福岡県中央部の筑豊地方には、石炭が豊富に埋蔵されていた筑豊炭田がありました。 →Wikipedia筑豊炭田参照 筑豊炭田には数多くの炭鉱があり、産出される石炭輸送用に鉄道路線が網の目状に敷設され、石炭輸送で賑わいました。しかし、エネルギー革命と資源の枯渇などにより、昭和40年代からは炭鉱の閉山が相次ぎ、1976(昭和51)年に筑豊の全ての炭鉱が閉山となりました。 石炭輸送用に敷設された路線の多くは、赤字ローカル線として廃止されました。 左の地図は国土地理院1/20万「福岡」昭和35年発行を元に加工し、主要駅を青字で記入、地図の炭鉱記号を赤丸○で囲みました。 筑豊には数多くの炭鉱があり、それらを結ぶように線路が敷設されていたことがわかります。 私は1970・71(昭和45・46)年の夏休みに学生仲間(Nさんを含む)と九州旅行をしました。当時の九州には蒸気機関車が大活躍していました。当然、筑豊も訪ねて蒸機の写真もたくさん撮りましたが、蒸機だけが写っている写真ばかりで見返すとガッカリします。炭鉱地帯の情景をしっかり撮っておくべきだったと反省するばかりです… そんなほろ苦い思い出の写真をご覧ください。 |
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まずは筑豊の鉄道網の中心地・直方から |
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筑豊線① 直方 1970(S45).8.5 直方に留置中のC55 52です。 | |
↓私が筑豊を訪ねた頃の列車ダイヤ。貨物列車は全てSL牽引、旅客列車は気動車と客車列車が半々で、客車列車はSL牽引でした。 『鉄道ファンNo.103』1969(昭和44)年12月臨時増刊号より |
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筑豊線② 直方 1970(S45).8.5 直方に停車中のC55牽引客車列車です。上のダイヤで調べると1732列車門司港行きです。 横の機関区側線には蒸機がたくさん並んでいました。 直方には機関区があり、筑豊の鉄道網の中心地でした。 ここで半日ほど写真を撮りましたが、見返すと蒸機の写真ばかりで、駅の情景の写真が皆無でした。ホームで冷えた麦茶をコップに入れて立売りしていたのが記憶に残っていますが、そういった情景を記録に残すべきだったと反省しています。 |
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筑豊線③ 直方 1970(S45).8.5 立派な給炭装置です。 石炭の積込みが終わった9600形49688が停車中です。 |
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筑豊線④ 直方 1970(S45).8.5 D60形D6069です。 |
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筑豊線⑤ 直方 1970(S45).8.5 D51形 カマボコ形ドームのD51868 |
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筑豊線⑥ 直方 1971(S46).7.26 転車台に乗ったD60形D6071 |
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筑豊線⑦ 直方 1970(S45).8.5 石炭or石灰石の輸送列車を牽引し直方に到着した9600形79635 |
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筑豊線⑧ 直方 1970(S45).8.5 D60形と9600形重連の貨物列車 |
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筑豊線⑨ 直方 1971(S46).7.26 9600形重連の石炭列車 |
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筑豊線⑩ Nさん撮影 勝野 1971(S46).7.26 勝野に到着するD60牽引客車列車です。 1732列車門司港行きと思われます。 勝野では、宮田線が分岐していました。宮田線の先には貝島炭鉱の専用線もありました。 →貝島炭鉱+宮田線 |
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筑豊線⑪ 勝野 1971(S46).7.27 C57牽引客車列車です。 勝野13:57発の1734列車門司港行きと思われます。 |
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筑豊線⑫ 小竹~鯰田 1971(S46).7.27 遠賀川の橋梁を渡る9600形牽引の石炭列車です。 直方方向に向かう上り貨物列車です。 上の写真⑪を撮った後、鯰田へ列車移動し、駅近くの堤防上から撮りました。 |
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筑豊線⑬ Nさん撮影 小竹~鯰田 1971(S46).7.27 遠賀川の橋梁を渡る下り貨物列車です。 D60同士が頭を突き合わせた重連で走ってきました。 |
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筑豊線⑭ Nさん撮影 小竹~鯰田 1971(S46).7.27 C55牽引の下り客車列車です。 |
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筑豊線⑮ 鯰田 1971(S46).7.27 鯰田に到着するD60牽引上り客車列車です。 |
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筑豊線⑯ 新飯塚 1970(S45).8.5 新飯塚に到着する急行「天草52号」です。 7/25~8/21運転の臨時8211列車で大阪21:55発、筑豊線経由(新飯塚9:04)、熊本11:22着の列車。登場したばかりの12系客車を、筑豊では珍しかったディーゼル機関車DD51が牽引していました。 筑豊では、いつも八木山ユースホステルに宿泊しました。福岡~飯塚間の幹線道路沿いにあり、バス本数も多く飯塚・新飯塚へ出るのに便利でした。朝、バスで新飯塚へ到着してすぐ撮った写真です。 |
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筑豊線⑰ 新飯塚 1970(S45).8.5 急行「天草52号」の後ろ姿です。 D60の後補機を付けて冷水峠に向かいました。 当時まだ珍しかった全車冷房車の夜行急行でしたが、全車指定席のため貧乏学生向け「九州均一周遊券」では乗れない(別途料金必要)高嶺の花の列車でした。 |
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筑豊線⑱ 飯塚付近 1971(S46).7.25 夕暮れの筑豊線を走るC55客車列車を流し撮りしました。 どこで撮ったか記憶がありませんが、宿泊地(八木山ユースホステル)へ向かうに便利な飯塚付近と思われます。 |
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筑豊線⑲ 飯塚 1971(S46).7.27 C55牽引の客車列車。 飯塚16:09発1735列車・原田行きが発車しました。 |
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筑豊線⑳ Nさん撮影 飯塚 1971(S46).7.27 上の写真⑲の続きです。 出発したC55の向こう側にボタ山が見えました。 住友忠隈炭鉱ボタ山で飯塚のシンボルでした。 このボタ山は、今も残っていますが木々に被われて筑豊富士とも呼ばれるそうです。 |
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筑豊線(21) 飯塚 1971(S46).7.27 飯塚では上山田線が分岐していたので、上山田線用のC11+客車が留置してありました。16:25発の上山田行き935列車になります。 この写真を撮った後、Nさんと一緒に上山田線乗り潰しに出かけました。 →上山田線臼井 |
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筑豊線(22) 桂川 1970(S45).8.6 筑豊線と篠栗線が分岐する桂川です。C55牽引の門司港行き1732列車が発車しました。(桂川9:35) この日は筑豊線の撮影名所・冷水峠に向かうため、八木山ユース(バス)→城戸(篠栗線)→桂川で下車し、この写真を撮った後、西鉄バスで冷水峠に向かいました。 |
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筑豊線(23) 1970(S45).8.6 筑前内野~筑前山家 冷水峠 冷水峠に向かうD50の貨物列車です。D50は当時3両だけ残っていた貴重品だったのですが、下回りが暗くて、これではD60と区別がつきません… 「冷水峠…筑前内野~筑前山家10.2kmのほぼ中間に約3.3kmの冷水トンネルがあり、そこがサミット。トンネルの筑前山家寄りの"下西山"バス停付近の景色が良く、ファンの溜まり場」と鉄道ファン誌の撮影地ガイドに記載されていたので、バスでその場所を訪ねました。 |
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筑豊線(24) Nさん撮影 冷水峠 1970(S45).8.6 キハ82系の特急「かもめ」です。 (上のダイヤでは2004D) 当時「かもめ」は京都~長崎・佐世保間の列車で、京都~小倉間は併結、小倉で分割、小倉~長崎間の列車は鹿児島本線経由、小倉~佐世保間の列車は筑豊本線経由で運転されました。 1968(S43).10.1~1975(S50).3.10の間運転 |
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筑豊線(25) 冷水峠 1970(S45).8.6 C55牽引の客車1734列車です。 煙をモクモク上げながら近づき、間もなくトンネルに入ります。 冷水トンネルの上から撮りました。右の大きな建物は、トンネル内に充満する蒸気機関車の煙の排煙装置用です。 |
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筑豊線(26) Nさん撮影 冷水峠 1970(S45).8.6 次はD60牽引の上り貨物1766列車です。 長い編成だったので苦しそうに上がってきました。 |
筑豊線(27) 筑前内野~筑前山家 冷水峠 1970(S45).8.6 上の写真(26)と同じ列車です。 |
筑豊線(28) 冷水峠~筑前山家 1970(S45).8.6 Nさん撮影 峠を下るD60重連の短い貨物列車です。 |
筑豊線(29) Nさん撮影 冷水峠~筑前山家 1970(S45).8.6 峠を下るC55牽引の客車733列車です。 この右奥が冷水トンネル出入口です。 |
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筑豊線(30) 冷水峠~筑前山家 1970(S45).8.6 上の写真(29)と同じ列車です。流し撮りしました。 左上に人影が見えます。たぶん上の写真を撮ったNさん達ですね! |
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津島軽便堂 | 2022(R4).9.5up |
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参考図書:国鉄監修 時刻表1970(S45)年7月号 日本交通公社発行
「鉄道ファン No.103」 1969(昭和44)年12月臨時増刊 交友社
「鉄道ファン No.117」 1971(昭和46)年1月臨時増刊 交友社