貝島炭鉱専用線+宮田線 1/2 貝島炭鉱専用線のコッペルと宮田線です 貝島炭鉱+宮田線2へ
↑この地図は、国土地理院1/20万「福岡」 S35.2.28発行より 貝島(大之浦)炭鉱専用線を青くなぞり「鉄道賛歌」を参考に主要な駅を記入しました 室木線の終点、室木駅の2〜3km南に貝島炭鉱専用線の基地:六坑がありました。 なお、筑前宮田駅から六坑に至る詳細図は次ページをご覧ください。 |
筑豊の国鉄宮田線の終点、筑前宮田駅から専用線が出ていました。 貝島炭鉱の大之浦炭鉱専用線です。全盛時は総延長18.6kmあったということです。 1976(昭和51)年6月、炭鉱閉山により全て廃止となりました。 貝島炭鉱のために建設された国鉄宮田線も、特定地方交通線の第3次廃止対象路線となり、1989(平成元)年に廃止されました。 貝島炭鉱の専用線には、最後まで蒸気機関車が走っていました。ドイツのコッペルと、アメリカのアルコで製造された機関車で、私が国鉄以外の蒸気機関車を現役時代に見た唯一の路線でした。 貝島炭鉱の専用線を訪ねたのは、1971(昭和46)年の夏で、Nさんと一緒でした。Nさんの記録を基に(私は記録をとっていないので・・・)訪問記を綴っていきます。 |
↓朝の吉塚駅を通過するブルートレイン 1971(S46).7.27 Nさんの記録によれば、1971(昭和46)年7月27日の朝、八木山ユースを出て博多方面に向かい、寝台特急を撮りました。 |
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貝島炭鉱@ 六坑 1971(S46).7.27 六坑のコッペル31・32号です。 軽便鉄道ファンにお馴染みのコッペル製蒸気機関車ですが、このコッペルは大型で、コッペルらしくない機関車でした。 (といっても、私は軽便鉄道でコッペルが活躍していた時代は知りません) 博多10:32発の篠栗線の列車で11:26新飯塚へ到着しました。 そこからバスに乗り、12時頃にこの場所に着きました。 |
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貝島炭鉱A Nさん撮影 六坑 1971(S46).7.27 コッペル32号です。 赤いナンバープレートでした。 |
貝島炭鉱B 六坑 1971(S46).7.27 機関庫の人に聞いたら、まもなく31号が出発するということでしたので、線路沿いに歩き始め、振り返って撮りました。 |
貝島炭鉱C 六坑 1971(S46).7.27 Nさん撮影 左の写真Bのすぐ右側にも機関庫があり、アメリカンロコモティブ(アルコ)で製造された22号がいました。 |
貝島炭鉱D 六坑 1971(S46).7.27 チョット変わったスタイルのアルコ22号です。 |
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貝島炭鉱E 六坑付近 1971(S46).7.27 六坑を出発したコッペル31号です。 石炭の積み込み設備や機関庫など、炭鉱らしいゴチャゴチャした背景が良い感じです。 出発合図の汽笛が鳴ったので、この写真を撮るために、炎天下の中を一生懸命走ったような気がします。 |
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貝島炭鉱F Nさん撮影 六坑付近 1971(S46).7.27 Nさんも一生懸命走りました。 私と別のところで、真横から31号を撮りました。 機関車の少し前に転轍機標識が写っています。 |
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貝島炭鉱G 六坑付近 1971(S46).7.27 EFの続きで、通り過ぎた31号です。 左に転轍機標識が写っています。 これは、上のFに写っている標識と同じものです。 進行方向やや右にボタ山が見えます。 railbusさんが登られた二坑のボタ山ですね。 →大之浦二坑 |
貝島炭鉱H 六坑付近 1971(S46).7.27 Nさん撮影 筑前宮田方向へ走り去る31号です。 六坑付近(地図で見ると「長井鶴」集落)の家並みが素晴らしいですね。 |
貝島炭鉱I 六坑付近 1971(S46).7.27 左のHと同じ列車で、ほぼ同じ位置にいますが、別のアングルから撮っています。貝島炭鉱専用線では、この1本撮っただけでした。 この写真を撮ったあと、筑前宮田駅へ急ぎ、13:39発の列車に乗りました。ギリギリ間に合ったようで、私もNさんも、筑前宮田駅で撮った写真がありません・・・ |
宮田線@ Nさん撮影 勝野 1971(S46).7.27 Nさんと一緒に筑前宮田13:39発に乗り、宮田線分岐駅の勝野に13:47到着しました。 勝野に着くと、すぐにキューロクの貨物列車がやってきました。 49688号のバック運転でした。 機関助士が宮田線のタブレットを受け取った瞬間です。もう一瞬シャッターを押すタイミングが早ければもっと良かったですが・・・ |
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宮田線A 勝野 1971(S46).7.27 すぐ上の写真と同じ列車です。 右に停まっているキハ58が、私たちが筑前宮田から乗ってきた列車と思われます。 |
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宮田線B Nさん撮影 勝野 1971(S46).7.27 しばらくすると、筑豊本線の客車列車が勝野駅に到着しました。 C5753号牽引の直方方面に向かう列車です。 C5753号に隠れているホームの向こう側が、宮田線のホームです。 |
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宮田線C 勝野 1971(S46).7.27 筑豊本線の直方方面若松行きの列車が出発しました。 私とNさんは、宮田線で13:47に勝野へ到着し、この列車を見送ったあと13:59発の列車で、直方と逆方向の飯塚方面に向かいました。 結局、貝島炭鉱専用線は六坑の付近で撮っただけで終わりました。 遺構へ行こうを見ますと、この頃は六坑から二坑までの路線しかなかったようです。 それ以外の貝島炭鉱専用線の素晴らしい写真は、「鉄道讃歌」をご覧ください。 |
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←交通公社の時刻表より 上段が1970(S45)年 下段が1972(S47)年です 1日11往復から9.5往復に減っています。 蒸気機関車の牽引する客車列車も6往復がゼロになっています。 肝心な1971(S46)年の時刻表はありません。 |
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2012(H24).9.4up | |
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参考図書:「鉄道讃歌」けむり・プロ著 交友社1971(昭和46)年2月10日発行