津島軽便堂写真館

上山田線 臼井吉隈炭坑凸電         平山坑の蒸機へ     平山坑の凸電へ

国鉄上山田線は、筑豊の他の路線と同じように石炭を運ぶために建設された路線ですが、筑豊炭田の衰退と共に貨物もお客も減少し、国鉄再建法で、特定地方交通線の第2次廃止対象路線となり、1988(昭和63)年に廃止されました。

上山田線臼井駅の少し北側に、麻生産業吉隈坑がありました。(下の地図参照)
麻生グループのホームページ→麻生の歴史を読むと、
「麻生産業株式会社は、昭和44年5月11日で、最終の吉隈鉱業所を閉山し石炭事業に別れを告げました。おもえば明治五年に先代社長麻生太吉が、筑豊炭田で石炭採掘事業に着手して以来・・・」と書いてあります。
←吉隈坑の坑外電車の写真が、そのHPの麻生百年史に載っていました。凸電!→こちら

railbusさんが1969(昭和44年)の4月に臼井駅を訪問しました。
吉隈炭坑が閉山される直前で、臼井駅の全盛期でした。あいにく炭坑は訪問しませんでしたが、臼井駅周辺で撮った炭坑関連施設や上山田線の蒸気機関車の写真をご覧ください。
↑国土地理院1/5万「太宰府」1967(S42).630発行より

筑豊の国鉄上山田線の臼井駅付近の1/5万地図です。
地図の上(北)が飯塚方です。
臼井駅の北側に吉隈炭坑があり、国鉄線に並行して運炭鉄道があったことが分かります。
↑国土変遷アーカイブ・国土地理院1967/7/30撮影 MKU672X-C4-13より
   (国土交通省の航空写真画像情報所在検索・案内システム)
左の地図と同じ場所の航空写真で、地図発行後に撮られた写真です。
立派な炭住街が写っており、吉隈炭坑は、規模の大きな炭坑であったことが分かります。
 インターネットで調べたら→吉隈炭坑交流掲示板がありました。
上山田線① railbusさん撮影

 臼井 1969(S44).4.1

臼井駅に停車中の客車列車です。
C11270号が牽引する925列車で、飯塚から上山田に向かう列車です。

駅の横(東側)に立派な石炭積み込みホッパーがありました。
ホッパーの側面には、「麻生産業吉隈炭坑」と書いてあります。
吉隈炭坑の閉山1ヶ月前ですが、駅には活気がありました。ホッパーで貨車に石炭の積み込みを行っていました。

なおこの写真は、40年以上前に「鉄道ジャーナル」誌に掲載されました。覚えておられる方はご一報ください。
上山田線② Nさん撮影

 臼井 1971(S46).7.27

上の写真①と同じ場所の2年後です。
夕方の列車で大勢の学生が下車しました。ホームの賑わいとは裏腹に、線路の向こう側のホッパーはもう使われておらず、コンクリート構造物だけが廃墟のようになっていました。閉山後わずか2年で・・・

Nさんと私は一緒に九州旅行をし、その途中、上山田線の乗りつぶしに出掛けました。
それ以前にrailbusさんから、上の①の写真を見せてもらって感動したので、この列車が臼井駅到着すると同時に、飛び降り走ってこの場所で並んで撮りました。この写真を撮ったあと、再びこの列車に乗り、上山田線を完乗しました。
上山田線③ railbusさん撮影

平恒~臼井 1969(S44).4.1

2年前に戻ります。

若松機関区のC5519号が牽引する924列車が臼井を出発し、飯塚方面に向かいます。
臼井駅は広い構内でした。
上山田線④⑤ railbusさん撮影

平恒~臼井 1969(S44).4.1

通り過ぎる924列車です。
行く手に、線路を跨ぐ笹尾橋が見えます。
↓続いてD60の貨物列車も出発

上山田線⑥ railbusさん撮影

臼井~大隈 1969(S44).4.1

上山田方面からの列車が、まもなく臼井に到着します。
臼井駅の南側の風景です。
上山田線⑦ railbusさん撮影

 臼井 1969(S44).4.1

吉隈炭坑の凸電です。
運転台の屋根よりかなり高い位置にパンタがあります。
左端には竪坑櫓も写っています。
臼井駅のすぐ横に凸電が走っていたとは驚きで、お宝写真だと思いますが、いかがでしょうか?
インターネットで探して、やっと麻生産業のHPに1枚見つけました(この頁の一番上の写真)が、他には見当たりません!
残念ながら、railbusさんもこの1枚しか撮っていません。

筑豊の凸電では、明治鉱業平山坑が有名で、他に山野炭坑、鯰田炭坑の機関車が田川市と直方市の石炭記念館に保存されています。しかし吉隈炭坑の凸電については、ほとんど知られていないと思います。
上山田線⑧ railbusさん撮影

 臼井 1969(S44).4.1

臼井駅構内で入換をする19680号機の背景の小高いところに、坑外電車の軌道(架線柱)と炭車が写っています。
上山田線⑨ 臼井 1969(S44).4.1 railbusさん撮影
これ以降しばらくは、臼井駅に集っていた石炭車群をご覧ください。
石炭満載の「セム4500」形です。
上山田線⑩ 臼井 1969(S44).4.1 railbusさん撮影

「セム6000」形です。同じ15t積みのセムでも形が違います。
上山田線⑪ 臼井 1969(S44).4.1 railbusさん撮影 「セラ1」形です。

石炭を17t積めるので荷主から好評で、九州の石炭輸送の主力貨車でした。
上山田線⑫ 臼井 1969(S44).4.1 railbusさん撮影

セラ1形の車端面です。
上山田線⑬ 臼井 1969(S44).4.1 railbusさん撮影

車掌室付きの石炭車「セフ1」形です。
上山田線⑭ 臼井 1969(S44).4.1 railbusさん撮影

セフ1形の車端面です。

上山田線⑮  railbusさん撮影

 臼井 1972(S47).7.27

railbusさんが2度目に臼井を訪問したのは、上の写真①~⑭の3年後で、1972(昭和47)年の夏でした。

臼井の構内です。
わずか3年の違いでこの荒れようです。
D51牽引の822列車が臼井を出発しました。
上山田線⑯  railbusさん撮影

 臼井 1972(S47).7.27

臼井駅近くの麻生産業吉隈坑は閉山後3年経っていましたが、少し離れた明治鉱業平山坑は、この年まで頑張っていました。

臼井駅から平山坑まで専用線が伸びており、そこからの石炭輸送のため臼井構内には、まだ石炭車が見られました。
上山田線⑰  railbusさん撮影

 臼井 1972(S47).7.27

荒廃した臼井駅の北東です。

3年3ヶ月前までは、この辺りを凸電が走っていたのですが・・・

右の方の石炭車が止まっているあたりから、平山坑への専用線が右にカーブして伸びていました。
上山田線⑱ Nさん撮影

 上山田 1971(S46).7.27

上の写真⑮~⑰の奇しくも1年前です。

臼井で撮った客車列車(上の②)が上山田に到着しました。
客車列車は、ここが終点ですが、上山田線はここから先、豊前川崎まで昭和41年に延伸されました。

上山田線全線乗車のため、Nさんと私は左に停まっている気動車に乗り換えました。
2013(H25).3.12up
↑上山田線の昭和45年8月(左)と、昭和47年4月(右)の時刻表です(交通公社時刻表より)。2年半で列車本数が14→10往復に減ってしまいました。
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