津島軽便堂写真館

山野炭鉱の凸型電機 1/4      山野炭鉱2へ  山野炭鉱3へ  山野炭鉱4へ

凸型電気機関車が走っていた筑豊の山野炭鉱(三井石炭鉱業・山野鉱業所)です。
1971(昭和46)年にrailbusさんが訪問しました。
漆生線鴨生駅の東に展開していた、夢のようなナローの世界の全貌をご覧ください。
railbusさんは、私の大学の鉄研の先輩(Aさん)で、私の鉄道写真の師匠です。貴重な真髄写真をたくさん撮られており、メールのやりとりで写真を見せ合っていたら、見たこともないとんでもない被写体に遭遇しました。
これはぜひ津島軽便堂にアップしたいと思い、無理を承知でお願いしたところ「OK」というありがたいお返事を頂戴しました。
ということでrailbusさんの貴重な写真を津島軽便堂にupします。
その第1弾が「山野炭鉱の凸型電機」です。
railbusさんに写真の提供だけでなく、解説や略図もお願いし、私が一部加筆しました。
山野炭鉱(01) railbusさん撮影

漆生線鴨生駅 1971(S46).6.26

まずは、山野炭鉱の石炭を運び出していた国鉄漆生線の写真からご覧ください。
漆生線鴨生駅のホームに停まっているキハ55車内から撮影しました。
北から南を向いています。ナローの線路網は左の高台にありました。
左側が炭鉱の構内になります。ここで石炭の受け渡しをホッパーで行っていました。
なお国鉄漆生線は、沿線の炭鉱の石炭搬出用に建設された路線で、後藤寺線の下鴨生から上山田線の下山田まで7.9kmのローカル線でした。
第2次特定地方交通線として廃止対象になり、1986(昭和61)年に廃止されました。
山野炭鉱(02) railbusさん撮影

漆生線鴨生駅 1971(S46).6.26

上の写真(01)の少し先(南)です。

鴨生駅の南端にキューロクが停まっていました。

左側に、国鉄の貨車(セム・セラ)へ石炭を積み込むホッパーがありました。
山野炭鉱(03) railbusさん撮影

漆生線鴨生駅 1971(S46).6.26

上の写真(02)の逆方向から見た風景です。
立派な石炭積み込み用のホッパーでした。

山野炭鉱(04) railbusさん撮影

漆生線・鴨生〜漆生 1971(S46).6.26

漆生から鴨生に向かう貨物列車です。
まもなく鴨生駅に到着します。

上の地図(1/2.5万)の鴨生駅の南側の線路を跨ぐ陸橋から撮りました。
行く手の右側に山野炭鉱がありました。

railbusさんに、記憶と写真と国土地理院発行1/2.5万の地図を基に概念図を描いていただきました。(記憶と写真をたよりに推測で描いてありますので間違い部分があるかもしれません。ご了承ください。)
それに私が色付けをしました。
山野炭鉱のナローの概念図です。

地形は下段(黄緑の部分)、中段(クリーム色の部分)、上段(ベージュ色の部分)に分かれていました。

ナローの軌道にも色付けしました。
青色が上段を走っていた軌道です。
水色が中段を走っていた軌道です。
そして赤色は、下段から上段まで貫通していた傾斜線路で、ケーブルにより貨車が上下していたインクライン(貨物用ケーブルカー)です。
紫色は非電化(一部電化)の連絡線で、下段部分は国鉄貨物ホームの材木広場から上の方にある坑道に坑木を運ぶための軌道です。
なお、昭和42年発行の1/5万地図を見ますと、水色の軌道は更に南の中篭地区まで約2km伸びていましたが、この当時(昭和46年)既に廃止になっていました。
(図中の順路・帰路はrailbusさんが当日歩いたルートです)
山野炭鉱(05)  炭鉱から鴨生駅方向を望む 1971(S46).6.26 railbusさん撮影

山野炭鉱の高台から、鴨生駅方向を俯瞰した写真です。
右側に写っている三井マーク付きの立派な建物の裏側に鴨生駅がありました。(04の写真の上の方に写っているのが三井マーク付きの建物です)
手前に国鉄の引き込み線があり、その手前の貨物ホーム上が、坑内の支柱などに使う坑木の貯木場になっています。
無蓋貨車で運ばれた坑木はここに降ろされ、トロッコで坑内に運ばれたと思われます。ホーム上にトロッコの軌道が敷いてあります。
山野炭鉱(06)  鴨生駅の少し南側を望む 1971(S46).6.26 railbusさん撮影

上の写真(05)から少し左側へ振った写真です。坑木の貯木場です。右端に写っている門型クレーンが上の(05)では左端に写っています。
貨物ホーム上は 非電化のトロッコ軌道で、その一段上の手前側に電化されたトロッコ軌道がありました。
山野炭鉱(07) railbusさん撮影
        1971(S46).6.26

いよいよ、ナロー機関車の登場です。山野炭鉱の3号機です。
この機関車はL形でした。

「全国鉱山鉄道」JTBキャンブックス2001.10.1発行によれば、
この鉄道は、軌間610mm、距離不明ということです。
1973(昭和48)年3月に閉山となりました。
山野炭鉱へは、上の概念図の中段(クリーム色)から入りました。
3号機のお出迎えを受け、その先にホッパーがあり、見上げると上の段にも軌道があり、右上にもホッパーがありました。
上段の軌道の写真は次ページ以降に出てきます。
山野炭鉱(08) railbusさん撮影

        1971(S46).6.26

上の写真(07)の逆方向から3号機を見た写真です。
地図によれば、北から南を見ています。
 
中段と下段の線路配線図です。

railbusさんに描いていただきました。
(記憶と写真をたよりに推測で描いてありますので間違い部分があるかもしれません。ご了承ください。)

の中の数字は、写真の番号です。

0510が、このページの写真です。

1117次のページの写真です。
山野炭鉱(09)  1971(S46).6.26 railbusさん撮影

3号機のアップです。大きな前照灯を付けていました。
なかなか魅力的ですね!
右奥にホッパーが写っています。その写真は次ページをご覧ください。
山野炭鉱(10)  1971(S46).6.26 railbusさん撮影 

左の写真(09)の逆方向から見た3号機です。L形ですね。
 2012(H24).11.16up
 津島軽便堂Topページへ戻る       山野炭鉱2へ  山野炭鉱3へ  山野炭鉱4へ  次の頁(山野炭鉱2)へ

参考図書: 「全国鉱山鉄道」 岡本憲之著・JTBキャンブックス・2001.10発行