名古屋市電04 下之一色線 名古屋市電路線図へ
下之一色(しものいしき)線は、正式には尾頭橋から下之一色までで、下之一色〜稲永町〜築地口は築地線でした。しかし、「70」系統の市電は尾頭橋〜下之一色〜築地口を直通して走っていたので、一般的には尾頭橋〜下之一色〜稲永町の単線区間が下之一色線と呼ばれ、1969(昭和44)年2月20日に廃止となりました。 この区間の大部分は田圃の中を走る専用軌道で、ローカルムードにあふれていました。電車ワンマン運転発祥の路線で、2扉ワンマン車の1600形が主力でした。 ←国土地理院1/5万「名古屋南部」1968(S43).3.30発行より 下之一色線・築地線を赤く塗り、電停名を記入しました。 |
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↓ 名古屋市電04-@ 尾頭橋 1969(S44).2 Nさん撮影 尾頭橋交差点です。電車が走っているのは江川線で、手前に分かれている単線が下之一色線の尾頭橋電停につながっています。 |
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名古屋市電04-A Nさん撮影 明徳橋 1969(S44).2 廃止直前のローカルムードあふれる下之一色線の写真です。地元に住んでいた当時高校生のNさんの写真と記録をご覧ください(一部加筆しました)。 まずはNさんに敬意を払い、N邸の最寄り駅:明徳橋です。名古屋市内とはとても思えませんね! 廃止直前のため「70」の系統板の代わりに「尾頭橋−築地口」の系統板が付けてあります。 ワンマン運転を示す赤い帯が下之一色線の電車の特徴でしたが、その後名古屋市電は全線でワンマン運転するようになり赤帯車だらけになりました。 |
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名古屋市電04-B Nさん撮影 下之一色線車内 1969(S44).2 高度成長期の路面電車の車内風景です。こんな服装でしたねー。 下之一色線は、1954(昭和29)年に日本で最初に電車ワンマン運転を始めた路線です。 窓柱には、当時まだ珍しかったワンマン用の押しボタンスイッチがついてますね。 尾頭橋〜築地口間の14kmを、59分で走っていました。 |
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名古屋市電04-C Nさん撮影 尾頭橋 1969(S44).2 下之一色線(築地線も含む)を尾頭橋から下之一色を通って築地口まで順にご紹介します。 下之一色線の起点「尾頭橋」です。 下之一色方面(手前側)へ向かう人が乗り込みます。下之一色線の電車は、ここで折り返しました。 正面左窓上に並んでいる2灯の標識灯はWikipediaによれば「後続車確認標識灯」で、単線で交換するとき続行運転の有無を表示する灯です。これも下之一色線の電車の特徴でした。 |
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名古屋市電04-D Nさん撮影 八幡西通〜五女子 1969(S44).2 臨港線と新幹線(手前)のガード下を走ります。 五女子は「ごにょうし」と読みます。 |
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名古屋市電04-E Nさん撮影 長良橋 1969(S44).2 長良橋を渡った市電です。 長良橋は、中川運河に架かっていた橋です。 中川運河は、笹島貨物駅と名古屋港を結ぶために掘られた運河で、昭和30年代(トラック輸送が発達する)までは貨物の水上輸送路として活用されました。 単線を走る路面電車はムードがありました。 |
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名古屋市電04-F Nさん撮影 長良本町 1969(S44).2 電車が路地を抜けて佐屋街道に入ってきました。江戸時代は東海道の宮(熱田)〜桑名の七里の渡しを避けた旅人で賑わった(宮〜佐屋が陸路、佐屋〜桑名が水路三里の渡し)という歴史ある街道です。 尾頭橋から長良本町までは佐屋街道上の併用軌道ですが、ここから左に曲がり、下之一色を通って、稲永町まで専用軌道です。 この道路(佐屋街道)を向こう側へ約400m進むと近鉄の烏森駅があり、名古屋駅へ出る場合は、ここで降りて烏森駅へ歩くのが最短ルートでした。 |
名古屋市電04-G 長良本町〜松葉 1969(S44).2 Nさん撮影 下之一色線の電車は、長良本町を出たところでカーブを曲がり専用軌道に入ります。専用軌道に入ったところです。 1400形は名古屋市電を代表する電車で、名古屋市内のいたるところで見かけましたが、下之一色線用に左窓上に標識灯を付けた電車は極少数派でした。 |
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↓名古屋市電04-H 小本付近 1969(S44).2 Nさん撮影 長良本町に向かう電車の後ろ姿です。 |
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名古屋市電04-I Nさん撮影 小本〜荒子信号所 1969(S44).2 小本から少し荒子方面に、国鉄西臨港線との平面交差がありました。 西臨港線は、下之一色線の廃線後何十年か経って「あおなみ線」となり、立派な高架複線電化路線になりました。 西臨港線の写真は →名古屋の臨港線3をご覧ください |
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名古屋市電04-J Nさん撮影 小本〜荒子信号所 1969(S44).2 上の写真Iの平面交差部を別のアングルから撮りました。 右に信号所(跡)のようなボロボロの建物がありました。 |
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名古屋市電04-K Nさん撮影 荒子信号所 1969(S44).2 田んぼの中の荒子信号所で市電が交換します。 荒子駅には、下の写真Lのように交換設備がなかったため、荒子駅の少し北東(尾頭橋方面)に列車交換用の荒子信号所がありました。 |
←名古屋市電04-L 荒子 1969(S44).2 Nさん撮影 荒子観音の最寄り駅です。 観音様の命日には賑やかでしたが、この日はひっそりとしていました。 市電の右上に写っている建物に注目してください。 下の写真と同じですね。 |
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↓名古屋市電04-M 荒子電停の痕跡 2011(H23).4.3 Nさんと一緒に下之一色線の廃線跡を訪ねました。 手前から奥に通ずる道が廃線跡です。 交差点の向こう側が、荒子電停のあった場所です。 ここが下之一色線の面影を一番残している場所でした。 |
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名古屋市電04-N Nさん撮影 法花(ほっけ) 1969(S44).2 下之一色の一つ北の駅が法花(ホッケ)でした。 単線の停留所は両側にホームがありました。 市電は法花を出て、写真左向こうの中郷に向かいます。 電柱の建て方に特徴がありますね。 法花付近の現在の町名は「法華」と書くようです。 |
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名古屋市電04-O Nさん撮影 下之一色 1969(S44).2 尾頭橋方面から電車が来ました。右の方に分岐していくと下之一色駅です。 左には下之一色線の車庫がありました。 |
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名古屋市電04-P Nさん撮影 下之一色 1969(S44).2 下之一色車庫です。 2両停まっており、正面左窓上の標識灯が、手前は緑色灯、奥の電車は黄色灯が点灯してます。 続行運転をする場合、最初の電車が黄色灯を点灯させ「2」の標板を窓左上に掲げて走っていたと思われます。 手前に停まっている1700形電車は、5両しかいない小所帯のちょっと変わった経歴とスタイルの電車で、下之一色線専属のような感じでした。 運転台の左横に扉がないので、運転台の横に座って前が見られる特等席がありました。(Nさんが子供の頃によく利用したそうです) |
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名古屋市電04-Q Nさん撮影 下之一色車庫の裏 1969(S44).2 廃棄物置き場のように見えますが、下之一色車庫の裏です。 昭和の懐かしい風景です。左は庄内川の堤防です。 |
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名古屋市電04-R Nさん撮影 下之一色 1969(S44).2 下之一色駅の全景です。 左端が下之一色線とホームです。 その線路を跨いでいる橋が国道1号線です。 右の方に分かれている線は車庫の留置線で、電車が停まっています。 立派な建物は、下之一色線を管理する事務所だったと思われます。 |
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名古屋市電04-S Nさん撮影 下之一色 1969(S44).2 下之一色電停に築地口行きが停車中です。 踏切を渡る軽自動車はこのまま道なりに進むと庄内川の堤防に上がっていきます。 下之一色の町は庄内川を渡った対岸にあり、市電の下之一色駅とは少し離れていました。(一番上の地図参照) 尾頭橋からここまでが下之一色線で、ここから南(手前側)は築地線でしたが、電車は築地口へ直通していましたので、下之一色〜稲永町の単線・専用軌道区間も下之一色線と呼ばれていました。 |
名古屋市電04-(21) 下之一色 1969(S44).2 Nさん撮影 稲永町方から見た下之一色電停です。先頭の電車の向こう側に踏切(上の写真S)がありました。 |
04-(22) 下之一色〜東起町五丁目 1969(S44).2 Nさん撮影 下之一色電停の南を横切る国道1号線の高架橋から南側を見て撮った写真です。この写真の右側が庄内川です。 |
名古屋市電04-(23) Nさん撮影 明徳橋〜惟信高校前 1969(S44).2 田園地帯を走ります。 庄内川の堤防から、手前に池を入れて撮りました。 この写真にはN邸も写っています。 |
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名古屋市電04-(24) Nさん撮影 西ノ割 1969(S44).2 田園地帯を走ります。 電車の右側が交換駅の西ノ割です。 |
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名古屋市電04-(25) Nさん撮影 西ノ割 1969(S44).2 向こう側に名四国道があり、その上を高架橋で越え、坂を下りて来た電車です。 交換駅の西ノ割に到着します。 |
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名古屋市電04-(26) Nさん撮影 西ノ割〜大宮司 1969(S44).2 名四国道の上を越える電車です。 名四国道は1963(S38)年に開通し、同時に下之一色・築地線の高架橋が作られました。 今の名四国道(23号)からは想像できない風景です。 |
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名古屋市電04-(27) Nさん撮影 大宮司〜稲永町 1969(S44).2 水郷地帯を走る電車です。向こう側のカーブの先が稲永町です。 |
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名古屋市電04-(28) Nさん撮影 稲永町 1969(S44).2 下之一色方から見た稲永町です。 長良本町から、単線の専用軌道で、民家の間や田んぼの中を走ってきた下之一色・築地線も、この稲永町から向こうは複線の併用軌道になります。 この稲永町で、西稲永(写真右)から来る路線(築地支線)と合流します。 |
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名古屋市電04-(29) Nさん撮影 稲永町 1969(S44).2 上の写真(28)の逆方向から見ました。下之一色から電車が到着しました。 右奥のほうが下之一色方面です。 左へ分岐する線路は西稲永に至る築地支線です。 稲永町〜下之一色〜尾頭橋間は1969(昭和44)年2月20日に廃止されましたが、西稲永〜稲永町〜築地口間は1971(昭和46)年11月まで残りました。 稲永町の隣の一州町で西臨港線と平面交差をしていました。その写真は→名古屋の臨港線3です。 |
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名古屋市電04-(30) Nさん撮影 築地口〜築三町 1971(S46).2 西稲永行きが、中川運河にかかる橋を渡っていきます。 下の写真(31)を撮った後、振り返って走り去る1900形を撮りました。 |
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名古屋市電04-(31) Nさん撮影 築地口〜築三町 1971(S46).2 (東臨港線Lの写真の再掲) 東臨港線の上を、西稲永行きの20系統1900形が走ります。臨港線を跨ぐ部分は専用軌道になっていました。 この路線は1971(昭和46)年12月1日に廃止され、廃止後、この線路用地は道路の拡幅に使われました。 撮影場所のすぐ左下には、地下鉄の名港車庫がありました。 |
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railbusさんのHP↓ 市電のある風景・名古屋には、下之一色線の素晴らしい写真がたくさんあります。ぜひご覧ください。 |
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2020(R2).7.20renewal 2011(H23).4.7up |
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参考図書
「名古屋を走って77年」 名古屋市交通局 1974(昭和49)年3月発行
「名古屋の市電と街並み」 日本路面電車同好会名古屋支部編著 トンボ出版1997(平成9)年10月発行
「名古屋市電が走った街 今昔」 徳田耕一著 JTBキャンブックス1999(平成11)年9月発行
「RM LIBRARY 170〜172 名古屋市電(上・中・下)」 服部重敬著 ネコパブリッシング 2013(平成25)年10〜12月発行