名古屋市電07 金山橋・沢上町 名古屋市電路線図へ
金山駅は、1989(平成元)年7月に総合駅が完成し、名鉄・JR・地下鉄の乗換が非常に便利になりました。【名鉄:金山橋→金山(移転・改称)、JR:東海道線に金山駅新設、名鉄・JRを跨ぐ自由通路新設】 市電が走っていた頃の電停名は「金山橋」で、名鉄の駅名も「金山橋」でした。名鉄の本線東、常滑線から名古屋市内に向かう場合は、金山橋で市電(1967/昭和42年に地下鉄開通後は地下鉄)に乗り換えるのが便利だったので、大勢の乗換客がいましたが、駅が少し離れていて不便でした。それを解消するため金山総合駅ができ、名古屋の副都心として発展しました。 国鉄・私鉄との乗換駅として、市電で最後に残った電停が金山橋ですが、1974(昭和49)年3月31日の全線廃止に伴い、廃止されました。 左の地図は、国土地理院1/2.5万「名古屋南部」S47.7.30発行の一部。赤線は市電最後の路線で1974(S49).3.31廃止、青線は同年2.26廃止、紫線は地下鉄です。 |
名古屋市電07-① 金山橋 1970(S45).6.12 金山橋の終端部です。 ここから先、栄町を通り大津橋まで走っていた市電は1968(昭和43)年に廃止されました。 20系統は、その昔、大津橋~名古屋港を走りましたが、路線廃止により、金山橋~西稲永間に変更されました。 |
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名古屋市電07-② Nさん撮影 金山橋 1972(S47).5.7 48年前の金山には、あまり高いビルはありませんでした。 21系統は、大津橋~昭和町を走りましたが、路線廃止により、金山橋~昭和町間に短縮されました。 この当時の金山橋には 「20」金山橋~西稲永 「21」金山橋~昭和町 「31」金山橋~市大病院~港東通 の3系統と、入出庫などの「臨」系統がありました。 |
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名古屋市電07-③ Nさん撮影 金山橋~沢上町 1972(S47).5.7 金山橋を出てすぐの、中央線を越す場所です。 撮影場所から線路を横断して坂を下ると名鉄の金山橋駅でした。 |
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名古屋市電07-④ Nさん撮影 金山橋~沢上町 1973(S48).1.14 電車の位置は、上の写真③とほぼ同じです。 |
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名古屋市電07-⑤ 金山橋~沢上町 1974(S49).2.10 金山橋南のカーブを曲がって沢上町に向かいます。 この場所から、振り返ると下の写真⑥です。 |
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名古屋市電07-⑥ 沢上町 1974(S49).2.10 名古屋市電同士が十字に平面交差する交差点は、いろんな所にありましたが、最後まで残ったのが、この沢上町交差点です。 写真は、北(金山橋)側から見た沢上町交差点です。 51系統 船方行きが交差点を横断中です。 市電同士が交差する風景も、この日から6日後には見られなくなりました。(廃止直前に慌てて撮りに行きました) |
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名古屋市電07-⑦ 沢上町 1974(S49).2.10 沢上町交差点の西側です。 交差点には、銀行、証券会社、保険会社が並んでいました。 |
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名古屋市電07-⑧ 沢上町 1974(S49).2.10 交差点ですれ違う市電です。 交差点の向こう側(熱田駅前方面)と、右側(八熊通方面)は6日後に、手前側(金山橋方面)と、左側(高辻方面)は約1ヶ月半後に廃止となりました。 線路は3方向へ分岐していましたが、右へ分岐する系統は、これ以前に廃止されていました。 右端の歩道上に信号扱所がありました。市電操車塔とも呼ばれたそうです。 |
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名古屋市電07-⑨ 沢上町 1974(S49).2.10 上の写真⑧に写っている三菱銀行の前の市電操車塔下から沢上町交差点を撮りました。 高辻方面から来た金山橋行きです。 |
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名古屋市電07-⑩ Nさん撮影 沢上町 1973(S48).1.14 上の写真より約1年前の沢上町交差点です。 交差点の東側(高辻方面)から西方向を見た風景です。 |
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名古屋市電07-⑪ Nさん撮影 沢上町 1973(S48).1.14 同上 十字に交差する市電です。 笠寺西門行きの電車は、名鉄線・国鉄線を越すために坂を上ります。 |
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名古屋市電07-⑫ Nさん撮影 沢上町~池内町 1973(S48).1.14 名鉄線・国鉄線の上を越します。 金山橋から高辻に向かう入庫用の「臨」系統です。 |
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名古屋市電07-⑬ Nさん撮影 沢上町~池内町 1973(S48).1.14 上の写真⑫の反対方向で、東側を見た風景です。 名鉄線・国鉄線の上を越えるため、市電は坂を登ります。 後方に写っている電停は、池内町です。 |
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名古屋市電07-⑭ Nさん撮影 沢上町 1974(S49).2.10 南の跨線橋から沢上町交差点を見ました。 この左(西)に沢上車庫があるので、北と南から入出庫線が分岐していました。 |
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名古屋市電07-⑮ Nさん撮影 沢上町~高蔵 1974(S49).2.10 上の写真⑭を撮った跨線橋から南(高蔵)方向を見ました。 |
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名古屋市電07-⑯ 沢上町 1972(S47).10.21 夜の沢上町交差点です。市電が横断しました。 上の写真⑭と同じ歩道橋から撮りました。 |
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名古屋市電07-⑰ Nさん撮影 沢上車庫 1974(S49).2.10 沢上車庫は、主に20番台系統の電車を受け持っていました。 この6日後に車庫前を通る路線が廃止され、車庫も廃止されました。 |
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名古屋市電07-⑱ 沢上車庫 1974(S49).2.10 車庫の入口付近で、西日を浴びた1400形です。 |
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名古屋市電07-⑲ 沢上車庫 1972(S47).10.21 夜の沢上車庫です。 |
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名古屋市電07-⑳ 沢上車庫 1972(S47).10.21 夜の沢上車庫、トラバーサの奥に並んだ市電です。 |
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名古屋市電07-(21) 金山橋 1974(S49).3.31 名古屋市電は、1974(昭和49)年3月30日に営業運転を終了しました。翌31日は10~15時の間、運賃無料のお名残運転が行われました。14時過ぎから、金山橋、昭和町、矢田町四丁目の3ヶ所でサヨナラ式を行い、最後は15時過ぎに市立大学病院に装飾電車3両が集結、市民にお別れをしたということです。 向こう側の電車が、サヨナラ式用の装飾電車(金山橋発の最終電車)で、手前の電車は、終電1本前の電車です。まもなく、サヨナラ式が始まるような雰囲気でした。 |
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名古屋市電07-(22) 沢上町 1974(S49).3.31 金山橋には人が多過ぎで写真が撮れないと思い、沢上町まで歩いてサヨナラ電車を待ちました。 ここにも大勢のファンが待ち構えていました。 |
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名古屋市電07-(23) 沢上町 1974(S49).3.31 サヨナラ電車が近づいてきました。 車内は超満員です。 フラワーレイを首にかけた運転手も窮屈そうですね。 |
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名古屋市電07-(24) 沢上町 1974(S49).3.31 市大病院に向けて走り去る哀愁の最終電車です。 私が撮った名古屋市電の最後の写真となりました。 この翌日から、私は会社勤めを始めました。その準備などでこの日は時間の余裕が少なく、金山橋付近でサヨナラ電車の時間に合わせて、少しだけ市電にお別れをしました。 これ以前にもっと撮っておけば・・・毎度おなじみの反省です! |
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2020(R2).8.5renewal 2011(H23).7.3up |
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参考図書
「名古屋を走って77年」 名古屋市交通局 1974(昭和49)年3月発行
「名古屋の市電と街並み」 日本路面電車同好会名古屋支部編著 トンボ出版1997(平成9)年10月発行
「名古屋市電が走った街 今昔」 徳田耕一著 JTBキャンブックス1999(平成11)年9月発行
「RM LIBRARY 170~172 名古屋市電(上・中・下)」 服部重敬著 ネコパブリッシング 2013(平成25)年10~12月発行