津島軽便堂写真館

名古屋市電09  菊井町〜景雲橋〜大津橋〜東片端〜平田町〜上飯田、東片端〜深田町  

名古屋市電北部の路線図です。(中央西線の東側は省略)
廃止年月日も記載しました。

名鉄瀬戸線を赤線で記入しました。図のように、市電と瀬戸線は2ヶ所で平面交差していましたが、当時の私は、私鉄の魅力に目覚める前(SLファン)で、残念ながら写真がありません・・・

名古屋駅前〜上飯田を結ぶ路線(81系統)が廃止(1971/S46.2.1=広小路線と同時)になる直前に慌てて撮った写真をご覧ください。
名古屋市電09-@ Nさん撮影

菊井町 1971(S46).1.30

菊井町の交差点です。
左が押切町、右が名古屋駅前方向で、明道町方向から来て名古屋駅前に向かう市電が停車中です。
名古屋市電09-A

景雲橋 1971(S46).1.30

名古屋城の近く、堀川を渡る橋が景雲橋です。堀川を渡って、熱田台地に向かう上り坂の途中に景雲橋電停がありました。
熱田台地の北端(写真左側)に名古屋城が築城されました。その資材輸送用に堀川が開削されました。
この左側に瀬戸電の堀川駅がありました。
名古屋市電09-B

景雲橋〜名古屋城 1971(S46).1.30

熱田台地に上る途中で、81系統(名古屋駅前〜上飯田)がすれ違いました。
現在、この左側に愛知県立図書館があります。
名古屋市電09-C

景雲橋〜名古屋城 1971(S46).1.30

上の写真Bの反対側です。

外堀通(電車道)と伏見通の交差点です。
名古屋城外堀の石垣が見えます。
この石垣の下にお堀の中を走っていた瀬戸電の堀川駅がありました。
名古屋市電09-D Nさん撮影

景雲橋〜名古屋城 1971(S46).1.30

上の写真Cの逆方向です。

左のクリーム色のビル(赤白塔付)が名古屋市役所西庁舎です。
名古屋市電09-E Nさん撮影

景雲橋〜名古屋城 1971(S46).1.30

この通りの市電の最終運行日前日だったので、装飾電車も走ってきました。
後ろの建設中のビルは、中日新聞社の本社ビルです。
名古屋市電09-F

名古屋城 1971(S46).1.30

上の写真Eと同じ場所から振り返って撮りました。
名古屋城最寄の電停ですが、ここから名古屋城正門までは、それなりの距離でした。
名古屋市電09-G

大津橋 1971(S46).1.30

名古屋駅から愛知県庁・名古屋市役所まで、乗換なしで行くには、81系統に乗り、この大津橋電停下車が一番でした。
この左側の堀の中には瀬戸電の大津町駅がありました。
名古屋市電09-H

大津橋 1971(S46).1.30

左の塔が市役所で、右のお城のような建物が県庁です。
名古屋市電09-I Nさん撮影

大津橋 1971(S46).1.30

同上、カラーでご覧ください。
名古屋市電09-J Nさん撮影

大津橋〜東外堀町 1971(S46).1.30

名古屋のシンボル・テレビ塔です。
市電の手前に名古屋城の外堀があり、瀬戸電はその中を走っていました。この左にお堀の中を直角に曲がる半径60mの急カーブがありました。↓1971.1.30
名古屋市電09-K

大津橋〜東外堀町 1971(S46).1.30

同上

お堀の中の瀬戸電は
お堀を走っていた頃の瀬戸電
名古屋市電09-L Nさん撮影

東片端〜清水口 1971(S46).3.19

東片端の名物・楠(クスノキ)が右端に写っています。
その向こうの交差点を東西に81系統の名古屋駅前〜上飯田の市電が走っていましたが、この年の2月1日に廃止されました。
それから1ヶ月半後に、東片端交差点から少し北上しました。
この区間(東新町〜黒川)も、この年(1971/昭和46)の4月1日に廃止されました。
←名古屋市電09-M 東片端〜清水口 1971(S46).3.19 Nさん撮影

現在、電車道の上と右方向に高速道路ができましたが、それに挟まれてこの楠は残っています。
↓名古屋市電09-N 清水口〜深田町 1971(S46).3.19 Nさん撮影

清水口は熱田台地の北端で、そこから深田町にかけて急な坂道を下っていました。
←名古屋市電09-O 清水口〜深田町 1971(S46).3.20 Nさん撮影

この坂を下ったところが、市電の深田町で瀬戸電と平面交差していました。瀬戸電の駅は清水でした。残念ながら、Nさんも私も平面交差の写真は撮っていません・・・
↓名古屋市電09-P 清水口〜深田町 1971(S46).3.20 Nさん撮影

当時の34系統は黒川〜東新町〜鶴舞〜高辻〜堀田駅前で、全線にわたり、空港線と呼ばれる道路を南北に走っていました。

名古屋市電09-Q Nさん撮影

平田町 1970(S45).3

平田町(へいでんちょう)の交差点を曲がる3系統の市電です。
3系統は環状運転を行っていました。名駅前〜菊井町〜大津橋〜平田町〜新栄町〜鶴舞〜大須〜六反〜名駅前の経路(10.4km)でした。
平田町〜鶴舞公園2.7kmが1970(昭和45)年4月1日に廃止され、環状運転ができなくなり、3系統も廃止されました。
名古屋市電09-R Nさん撮影

平田町 1970(S45).3

平田町交差点の北から南を見ました。広い道路が国道19号です。
市電が走っていく狭い道が新栄町へ通ずる旧道です。
ここから新栄町を経由して鶴舞公園までは、このすぐ後(1970/S45.4.1)に廃止されました。
名古屋市電09-S Nさん撮影

平田町 1970(S45).3

環状運転内回りの市電です。
名駅前→六反→大須→鶴舞→新栄町→平田町→大津町→菊井町→名駅前と一周します。
市電の環状運転の最後の風景です。
名古屋市電09-(21)

上飯田 1971(S46).1.30

廃止直前の終点・上飯田電停の降車用ホームです。
この奥に乗車用ホームがあり、右側に名鉄小牧線の上飯田駅がありました。
この当時の上飯田は、小牧方面への乗り継ぎ拠点駅でした。
名古屋市電09-(22)

上飯田 1971(S46).1.30

上の写真(21)の逆方向です。
上飯田電停の乗車ホームから南側を見ました。
名古屋市電09-(23) Nさん撮影

上飯田 1971(S46).1.30

廃止直前の上飯田電停です。
左が名鉄上飯田ビルで、名鉄上飯田駅はビルの2階にあり、3階から上は公団住宅です。
1971(昭和46)年2月1日に市電が廃止になり、名鉄上飯田駅は鉄道に接続しない終着駅となりました。
2003(平成15)年3月27日に地下鉄上飯田線(平安通〜上飯田0.8km)が開通、名鉄小牧線が複線化・地下化して相互直通運転を開始しました。
名古屋市電09-(24)

名鉄上飯田駅 2003(H15).2.23

地下駅化の約1ヶ月前の上飯田駅です。地下鉄乗入れ用の300系で運用されていました。
昔の市電の上飯田電停は、この右下奥にありました。

上飯田連絡線(株)により、小牧線味鋺〜上飯田間の地下化・複線化と、地下鉄上飯田線の平安通〜上飯田間が建設され、2003(平成15)年3月27日に開通しました。
上飯田は便利になりましたが、(実質的に)ターミナルから中間駅に格下げです・・・
名古屋市電09-(25)

上飯田車庫 1971(S46).1.30

上飯田電停の南東にあった市電の車庫です。
上の写真EFで撮った装飾電車が停泊していました。
名古屋市電09-(26) Nさん撮影

上飯田車庫 1971(S46).1.30

トラバーサーの上に乗った1400形です。
この車庫も、菊井町〜上飯田間の路線廃止と共に1971(S46) .2.1に廃止され、車庫跡地はバスターミナルになったということです。
 2020(R2).8.15up
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参考図書
  「名古屋を走って77年」 名古屋市交通局 1974(昭和49)年3月発行
  「名古屋の市電と街並み」 日本路面電車同好会名古屋支部編著 トンボ出版1997(平成9)年10月発行
  「名古屋市電が走った街 今昔」 徳田耕一著 JTBキャンブックス1999(平成11)年9月発行
  「RM LIBRARY 170〜172 名古屋市電(上・中・下)」 服部重敬著 ネコパブリッシング 2013(平成25)年10〜12月発行
  「日本鉄道旅行地図帳7号 東海」 今尾恵介監修 新潮社 2008(平成20)年11月発行