津島軽便堂写真館

名古屋市電05   夜の今池・桜山     名古屋市電路線図へ

今池=夜の盛り場=歓楽街というイメージが私にはあります。「♪雨の今池、小さなスナック、一人ぼんやりしているあなた、ほろり涙が睫毛にたまる、抱きしめたいな名古屋の人♪」という歌もありました。(ふりむかないで・ハニーナイツ) そんな雨の今池の夜の情景です。
今池は路線図を見ていただくとお分かりのように、昔は東西南北に市電が走り、交通の要衝でした。今でも地下鉄が交差し便利なところですが、昔に比べると夜の賑わい(バー・キャバレー・スナック等)が減ったような気がします。名古屋の夜は錦三丁目に一極集中したんでしょうかね?
名古屋市電05-@

 今池  1972(S47).10.19

今池電停から南を見ました。
この写真は私のお気に入りです。
次々とやってくる市電、電停では傘をさして待つ女性、雨に濡れた敷石、光を反射するレール・架線・・・


自分でフィルムを現像し始めた頃で、初めて増感現像にチャレンジし、ASA1600相当にフィルム感度を上げて、手持ち撮影しました。 
名古屋市電05-A

今池  1972(S47).10.19

上の写真@の場所から逆方向を見た写真です。電車の向こう側が広小路通との交差点です。

今池を南北に走るこの路線は、名古屋市電最後の日(1974(S49)年3月)まで残りました。
名古屋市電05-B

今池  1972(S47).10.19

上の写真Aと同じ位置です。今池交差点方面を見ます。

上の写真@Aは望遠レンズ135mmですが、この写真は標準レンズ55mmで撮っています。
名古屋市電05-C

今池  1972(S47).10.19

電車がいっぱい写っています。

こちらに向かっている電車が走っているあたりが今池交差点の真ん中です。
左右に交差する道路が広小路通で、昔は市電が走っていて、ここで交差していました。交差点の右側(今池〜覚王山)が1965(S40)年に廃止になり、交差点の左側(栄〜今池)が1967(S42)年に廃止になりました。
名古屋市電05-D

今池  1972(S47).10.19

今池止まりの電車が、渡り線を使って折り返します。
行先は、次の電停の大久手です。ラッシュ輸送を終え、大久手車庫へ入庫する電車です。
名古屋市電05-E

今池  1972(S47).10.19

北(矢田町)行きの電停から南を見ました。
上の写真A〜Dの逆方向です。

今池止まりの電車は、ここで渡り線を使って折り返します。
名古屋市電05-F

今池  1972(S47).10.19

同上

この当時の今池には、「60」「61」「63」の3系統と「臨」が走っていました。
「60」は、名古屋駅前〜広小路〜今池〜八事の系統でしたが、路線廃止により矢田町四丁目〜今池〜安田車庫前になりました。
「61」は、今池〜新瑞橋〜昭和町
「63」は、矢田町四〜今池〜新瑞橋
「臨」はラッシュ用の区間運転・入出庫などです。
名古屋市電05-G

今池  1972(S47).10.19

上の写真Fの続きです。
名古屋市電05-H

今池  1972(S47).10.19

流し撮りに挑戦しました。
名古屋市電05-I

今池  1972(S47).10.19

雨の夜、電停で電車を待つ人たちです。
名古屋市電05-J

今池  1972(S47).10.19

今池電停に停車中の矢田町四丁目行きの市電です。

市電のすぐ手前側が今池交差点(広小路通)で、交差点の北から南を向いて撮りました。
名古屋市電05-K

今池  1972(S47).10.19

今池交差点の少し北側です。
地下鉄の出入口が写っているあたりが錦通りの交差点で、その向こうのレールが曲がっているあたりが広小路通りとの交差点(今池交差点)になります。
桜通りの歩道橋から南を向いて望遠レンズで撮ったと思います。
名古屋市電05-L

今池  1972(S47).10.21

上の写真@〜Kの2日後です。
今度は晴れた夜に出かけました。

今池電停から南を見ました。

再び夜の今池の写真を撮りに出かけました。(といっても今池は、大学への通学経路の途中で、毎日地下鉄で通り過ぎていました・・・しかし当時の地下鉄の通学定期は途中下車不可だったので、今池で乗降する場合は、別途切符を買う必要がありました)
名古屋市電05-M

今池  1972(S47).10.21

電停から、今池交差点方向を見ました。昭和町行きの「61」系統が到着します。


雨の夜は、写真を撮るのが大変でしたが、写真を見ると雨の夜(@〜K)の方が情緒がありますね。
名古屋市電05-N

今池  1972(S47).10.21

夜の今池、最後の写真です。
1550形は1800形と同じ車体の廉価版ということです。1551号だけは行先幕を大型化しましたが、大型幕の使用期間は短く、他の市電と同じ小型の幕を使っていました。

結局、私は今池では昼間の市電の写真を撮らずに終わってしまいました。(この1年半後まで市電は残ったのですが・・・) 今池=夜の街というイメージが当時の私には強すぎたんでしょうか?「ビール1本ウ万円、甘い誘いにご用心」千種警察署 という看板もよく見かけました。
夜の今池の写真は以上で終わりですが、この後、市電に乗って桜山町(市立大学病院)へ移動し、夜の桜山を撮りました。
名古屋市電05-O

市立大学病院 1972(S47).10.21

桜山交差点です。
市道環状線(南北)と八熊通(東西)が交差しています。
昔は桜山町という電停でしたが、市立大学病院が近くに移転してきて、市立大学病院という由緒のない名前に変わってしまいました。(地下鉄ができて桜山の駅名が復活しました)

南北の路線と、西(写真左)から来る路線が合流する拠点駅で、賑やかな商店街もありました。駅周辺には学校も多く、通学客で賑わいました。
名古屋市電05-P

市立大学病院 1972(S47).10.21

今池方面から電車が到着します。
この当時、桜山を通る市電は、
31」金山〜港東通
35」金山〜新瑞橋
51」船方〜八熊通〜市大病院
61」今池〜昭和町
63」矢田町四〜新瑞橋
と、入出庫などの「」がありました。

この当時の桜山町(→市立大学病院)電停には、定期5系統運行され、系統数最大の賑やかな電停でした。
名古屋市電05-Q

市立大学病院 1972(S47).10.21

上の写真Pの続きです。
電停に到着しました。
名古屋市電05-R

市立大学病院 1972(S47).10.21

51系統は、船方〜八熊通〜市立大学病院なので、ここで折り返し、交差点を左へ曲がります。
名古屋市電05-S

市立大学病院 1972(S47).10.21

上の写真Rの続きです。

交差点の南(手前)に新瑞橋方面行きの電停、交差点の北に今池方面行きの電停、交差点の西に沢上町方面行きの電停がありました。
名古屋市電05-(21) 市立大学病院 1972(S47).10.21

流し撮りに挑戦しました。31系統は金山橋〜港東通です。
名古屋市電05-(22) 市立大学病院 1972(S47).10.21

流し撮りに挑戦しました。61系統は今池〜昭和町です。
名古屋市電05-(23)

市立大学病院 1972(S47).10.21

51系統が到着します。
市立大学病院が終点なので、行先幕は既に折返しの「船方」になっています。
名古屋市電05-(24)

市立大学病院 1972(S47).10.21

63系統が交差点を通過します。
交差点を渡った所に、今池方面行きの電停があります。
名古屋市電05-(25)

市立大学病院 1972(S47).10.21

高辻行きの電車が、桜山交差点を曲がります。
高辻車庫へ入庫する電車です。

高辻には市電の車庫があり、30番台系統の電車を受け持っていたということです。
名古屋市電05-(26)

市立大学病院 1972(S47).10.21

西側から桜山交差点を見ました。
31系統(金山橋〜港東通)が交差点を曲がっていきます。

結局、桜山町(市立大学病院)で撮ったのは、この夜だけです・・・(反省)
市電のある風景・名古屋にはrailbusさんの素晴らしい写真がたくさんあります。ぜひご覧ください。
大久手〜桜山町
 2020(R2).7.28renewal
2011(H23).4.12up
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参考図書
  「名古屋を走って77年」 名古屋市交通局 1974(昭和49)年3月発行
  「名古屋の市電と街並み」 日本路面電車同好会名古屋支部編著 トンボ出版1997(平成9)年10月発行
  「名古屋市電が走った街 今昔」 徳田耕一著 JTBキャンブックス1999(平成11)年9月発行
  「RM LIBRARY 170〜172 名古屋市電(上・中・下)」 服部重敬著 ネコパブリッシング 2013(平成25)年10〜12月発行