津島軽便堂写真館

名古屋市電02  広小路(笹島〜栄)        名古屋市電路線図へ

名古屋の路面電車が最初にできたのは笹島〜県庁前(現・栄付近)間で、名古屋電気鉄道(名鉄の前身)により1898(明治31)年5月に開業しました。町外れにできた名古屋駅と、町の中心部を結ぶ目的で建設されました。京都に次いで日本で2番目に電車が走ったのが、この広小路です。名古屋で一番の繁華街広小路(笹島〜栄)を走った由緒ある路線も、1971(昭和46)年1月31日が最後の運行となりました。
当時学生だった私は、栄へ行くときによく市電を利用しました。外の景色が見えることもありましたが、運賃が地下鉄=30円、市電=25円と5円安かったこともあります(栄は通学経路の途中で、毎日地下鉄で通り過ぎていましたが、当時の地下鉄の通学定期は途中下車不可で、運賃が別途必要でした)。名古屋市電の中では、一番良く乗った路線ですが、あまり写真を撮っておらず、廃止の直前に慌てて撮っただけでした。もっとしっかり撮っておけば良かったと毎度のことながら悔やんでおります。
名古屋市電02-00a 笹島町 1970(S45).4

この右が笹島交差点で、そこから右へ広小路が始まります。
この上の2枚だけは、廃止の少し前です。
名古屋市電02-00b 柳橋 1970(S45).11.1 Nさん撮影

朝日を浴びて柳橋交差点を栄に向かう市電です。
ここから下の写真が、廃止直前の広小路を走る市電です。
名古屋市電02-@ 柳橋 1971(S46).1.23

夕暮れの柳橋交差点です。
1922〜1935(大正11〜昭和10)年の間は名鉄(→名岐鉄道)の本社が交差点北西角(富士銀行のビルの所)にあり、一宮・犬山・津島へ行く郡部線(郊外線)の電車はそこ(柳橋駅)から出発していました。
名古屋市電02-A 柳橋〜納屋橋 1971(S46).1.23

納屋橋付近から柳橋交差点方向を見ました。
名古屋市電02-B

柳橋〜納屋橋 1971(S46).1.31

広小路を走る市電の最終日です。
11系統(浄心町〜名駅〜栄)、2系統(稲葉地町〜栄)の2つが最後まで残りました。

納屋橋付近から柳橋方向を見ました。
↑名古屋市電02-C 納屋橋(なやばし) 1971(S46).1.31

納屋橋の右(東南)には名宝会館などの映画館が数軒あり、当時は、名古屋の映画街でした。
←名古屋市電02-D 納屋橋(なやばし) 1971(S46).1.31

堀川に架かる納屋橋です。名古屋で「橋」といえば「納屋橋」が一番有名です。(名古屋名物−納屋橋まんじゅう)
歴史を感じる橋ですね!
名古屋市電02-E

納屋橋(なやばし) 1971(S46).1.31

納屋橋を走る最終日の市電です。
翌日からは納屋橋の上を電車は走らなくなりました。
名古屋市電02-F

納屋橋(なやばし) 1971(S46).1.31

堀川と納屋橋です。
堀川は、名古屋城築城のために、江戸時代初期に開削された運河です。
名古屋市電02-G

納屋橋(なやばし) 1971(S46).1.31

いつも新鮮な・・・
  バャリース

なかなか目につく看板ですね!
エキゾチックな感じがします。
名古屋市電02-H

納屋橋(なやばし) 1971(S46).1.31

納屋橋の上を走る2000形です。

背景には18階建てのメルサ&名鉄グランドホテルと、キャバレーの広告塔が・・・
高度成長時代の風景です。
名古屋市電02-I

納屋橋(なやばし) 1971(S46).1.23

夕暮れ迫る納屋橋です。

上の写真Hと同じ場所ですが、上は望遠レンズ、この写真は標準レンズで撮りました。

オート三輪も走っていました。
太田胃散の看板が目立っています。
名古屋市電02-J

納屋橋(なやばし) 1971(S46).1.31

納屋橋電停から撮りました。 
名古屋市電02-K

納屋橋(なやばし) 1971(S46).1.31

納屋橋は名古屋駅から近い所にある繁華街で、映画館も数軒並んでいたので、名駅から歩いてくる人も多く、賑わっていました。
広小路L 1971(S46).1.30 広小路通の所々に掲げられた横断幕 広小路M 1971(S46).1.31 一部の電車の横には「サヨナラ」表示も
名古屋市電02-N

納屋橋〜広小路伏見1971(S46).1.31

納屋橋電停から広小路伏見方向を見ました。
名古屋市電02-O

広小路伏見 1971(S46).1.31

伏見交差点にあった電停です。
この付近から広小路本町にかけては銀行や金融関係の会社が並んでいました。
名古屋市電02-P Nさん撮影

広小路伏見 1971(S46).1.30

広小路伏見の電停から、本町・栄町方向を見ました。
名古屋市電02-Q

広小路伏見〜本町 1971(S46).1.30

銀行の看板が並んだ通りを走ります。看板の写っている銀行は、全部名前が変わりましたね!
名古屋市電02-R

 広小路 1971(S46).1.23

広小路を走る市電の車内風景です。
名古屋市電02-S Nさん撮影

広小路本町 1971(S46).1.30

広小路本町の交差点です。

大和生命は2008年のリーマンショックで経営破綻したそうです。右の大和生命ビルは建て替えられましたが、その隣の中央信託銀行が入っていた大理石柱のあるようなビルは現存しています。
名古屋市電02-(21)

広小路本町  1971(S46).1.23

夕暮れ迫る広小路本町電停から名古屋駅方向を見ました。 
名古屋市電02-(22)

広小路本町  1971(S46).1.30

広小路本町電停です。
電車の後ろには、東海銀行本店ビルが写っています。
東海銀行は、我々愛知県民にとって一番馴染みのある銀行だったので、その名前が消えるとは夢にも思っていませんでした。
名古屋市電02-(23)

広小路本町〜栄 1971(S46).1.23

広小路の夕暮れです。
↑名古屋市電02-(24) 広小路本町〜栄 1971(S46).1.23

西日を浴びながら1800形が走ってきました。
名古屋市電02-(25) 広小路本町〜栄 1971(S46).1.23→

横断歩道を渡りながら撮りました。夕暮れ迫る広小路です。
名古屋市電02-(26)

広小路本町〜栄 1971(S46).1.23

広小路本町電停から栄方向を見た写真です。
上の写真(21)の逆方向です。
名古屋市電02-(27) Nさん撮影

 栄 1971(S46).1.30

栄が終点だった時代の「栄」電停です。この翌日限りで、廃止になりました。

写真を見ると、まだこの頃は赤帯のないツーマン車が走っていたことがわかります。
名古屋市電02-(28) Nさん撮影

 栄 1971(S46).1.30

栄電停に停車中の、名古屋市電のエース2000形です。
背景の丸栄百貨店は2018(平成30)年6月に閉店し、現在ビル撤去工事を行っています。
名古屋市電02-(29)

 栄 1971(S46).1.23

上の写真(28)の逆方向で、丸栄前から栄電停を見ました。
名古屋市電02-(30・31) 栄 1971(S46).1.31  オリエンタル中村百貨店から俯瞰。左写真の右下を見ると右写真です。

広小路と栄電停を俯瞰しました。栄電停の手前(東)が栄交差点でした。この写真は交差点の東側「オリエンタル中村百貨店」(今は三越)の屋上から撮っています。栄電停は同じホームで降車場と乗車場が別れていました。乗客をさばくには良いですが、団子運転のときは、次の電車が電停前で待たされる(お客が降車できない)ので、あまり良い策ではなかったです。
名古屋市電02-(32) Nさん撮影

 栄  1971(S46).1.30

オリエンタル中村百貨店(今は三越)の屋上から撮っています。
丸栄デパートの屋上遊園地に飛行塔があるのが懐かしいです。
↓オリエンタル中村デパート
  屋上遊園地の新幹線? 1971.1.30
名古屋市電02-(33)

 栄  1971(S46).1.31

広小路を走っていた市電の最終日の夕方です。
名古屋一の繁華街「栄」と名古屋駅を結ぶ市電もこの日限りとなりました。
市電のある風景・名古屋(広小路)にはrailbusさんの素晴らしい写真がたくさんあります。ぜひご覧ください。
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参考図書
  「名古屋を走って77年」 名古屋市交通局 1974(昭和49)年3月発行
  「名古屋の市電と街並み」 日本路面電車同好会名古屋支部編著 トンボ出版1997(平成9)年10月発行
  「名古屋市電が走った街 今昔」 徳田耕一著 JTBキャンブックス1999(平成11)年9月発行
  「RM LIBRARY 170〜172 名古屋市電(上・中・下)」 服部重敬著 ネコパブリッシング 2013(平成25)年10〜12月発行