名古屋の臨港線 3/4 (西臨港線) 東臨港線へ 東臨港・白鳥線へ 西名古屋港へ
西臨港線と呼ばれた、西名古屋港線・笹島~西名古屋港の開業は、戦後の1950(昭和25)年です。発展する名古屋港の西地区の稲永埠頭・潮凪埠頭や、その周辺の工場の貨物輸送のために建設されました。 (西臨港線の地図は→こちらをご覧ください。) 昭和40年代には、貨物輸送強化のため、この西名古屋港線の途中(現・名古屋貨物ターミナル駅)から、東海道線の笠寺駅の間に南方貨物線を建設し、東海道線の貨物列車の笠寺~名古屋はこちらを通すということで工事が始まりました。90%工事が進んだ1975(昭和50)年に、国鉄貨物の衰退と地元の反対により工事は凍結され、1979(昭和54)年には国鉄改革の一環で、なんと工事中止となってしまいました。詳細は→Wikipediaをご覧ください。 その一連の工事の中で、1980(昭和55)年、西名古屋港線に名古屋貨物ターミナル駅が出来、名古屋地区の貨物輸送の拠点となりました。(南方貨物線が出来なかったので、東京方面へは稲沢折返しですが) その後、西名古屋港線は第三セクターで旅客輸送化されることになり、複線電化・高架化工事が始まり、工事に支障する名古屋貨物ターミナル~西名古屋港は2001(平成13)年3月31日に廃止されました。 西臨港線の線路敷は、2004(平成16)年10月6日に「あおなみ線」として生まれ変わりました。 |
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←西臨港線① 名古屋市電 1969(S44).2.15 railbusさん撮影 右手前から奥のほうに西臨港線が延びています。そこを名古屋市電下之一色線の電車が横断します。 この下之一色線は、1913(大正2)年に開通しました。西臨港線より37年も前です。その下之一色線の廃止直前の風景です。 あとから出来た西臨港線には、脱線ポイントと腕木信号機が写っていますが、腕がなくなっており、使われていなかったような感じです。 その先のカーブを曲がったあたりに、現在は「あおなみ線」の小本駅があります。 |
西臨港線② railbusさん撮影 名古屋市電 1969(S44).2.15 小本~荒子 平面交差を南西から見ます。 両方が出会うところを狙ったのですが、とうとう遭遇しませんでした。 下之一色線の写真は、 →こちら(名古屋市電)もご覧ください。 |
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写真の撮影地(全体地図は→こちら) 国土地理院1/5万「名古屋南部」S43発行より 青線が臨港線、緑線が市電下之一色線 |
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西臨港線③ railbusさん撮影 笹島~中部鋼鈑 1969(S44).2.15 平面交差を北西から見ます。 西名古屋港から稲沢に向かう貨物列車がやってきました。 正面やや左に信号所がありますが、既に使われなくなって暫く経っていたようです。 |
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西臨港線④ railbusさん撮影 笹島~中部鋼鈑 1969(S44).2.15 上の写真③の続きです。 D51が、ドッドッドッドッドッと音を立てながら、クロッシングを渡っています。 こちらのブログに→西名古屋港線の配線図が掲載されています。 |
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西臨港線⑤ Nさん撮影 中部鋼鈑~西名古屋港 1970(S45).11 上の写真③④の1年半後です。 D51ではなく、DD51が貨物列車の先頭にいました。 西臨港線からD51が消えたのは1971(昭和46).4.25(関西線と同日)と書いてありますが、一部(大部分?)の列車は既に無煙化されていました。 行く手に見える背の高い建物は、中部鋼鈑の工場です。その横に分岐線があり、工場への引き込み線がありました。 |
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西臨港線⑥ Nさん撮影 中部鋼鈑~西名古屋港 1970(S45).11 大きな踏切をDD51がゆっくりと渡っていきます。 ここは、Nさんの地元・東海通の踏切です。西から東を見ており、踏切の向こうの右側に名古屋競馬場があります。 現在踏切は高架化され、その左横に名古屋競馬場前駅があります。 |
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写真⑤⑥の撮影地(全体地図は→こちら) 国土地理院1/5万「名古屋南部」S43発行より |
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西臨港線⑦ railbusさん撮影 中部鋼鈑~西名古屋港 1969(S44).11.6 寛政町の荒野を走るテンダーファースト(バック運転)のD51貨物列車です。 貨物列車の真ん中付近にある鉄橋が荒子川の鉄橋です。 写真左の高い建物が、中部鋼鈑の工場です。西臨港線の上を越す、名四国道から撮りました。 |
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写真⑦-⑩の撮影地(全体地図は→こちら) 国土地理院1/5万「名古屋南部」S43発行より |
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西臨港線⑧ railbusさん撮影 中部鋼鈑~西名古屋港 1969(S44).11.6 上の写真⑦の逆方向を見たところです。 西名古屋港からD51893号の貨物列車が走ってきました。 |
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西臨港線⑨ railbusさん撮影 中部鋼鈑~西名古屋港 1969(S44).11.6 通り過ぎた長い貨物列車です。上の写真⑦と同じ場所から望遠で撮っています。 まもなく、荒子川の鉄橋を渡り終わるところです。 |
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西臨港線⑩ railbusさん撮影 中部鋼鈑~西名古屋港 1969(S44).11.9 荒子川を渡り、西名古屋港に向かうバック運転のD51です。 短い編成でした。 |
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西臨港線⑪ Nさん撮影 あおなみ線 2006(H18).4.8 荒子川公園~稲永 上の写真⑩から37年後の荒子川鉄橋です。 西臨港線の鉄橋は遊歩道になり、あおなみ線には立派な斜張橋が出来ていました。 |
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西臨港線⑫ railbusさん撮影 中部鋼鈑~西名古屋港 (名古屋市電 一州町) 1969(S44).12.9 西臨港線は、西名古屋港の手前で名古屋市電と2度目の平面交差をしました。 煙の向きは左へ進んでいるように見えますが、逆向きです。速度が遅いのと冬の北西風のせいです。 |
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写真⑫-⑯の撮影地(全体地図は→こちら) 国土地理院1/5万「名古屋南部」S43発行より 青線が臨港線、緑線が名古屋市電 |
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西臨港線⑬ railbusさん撮影 中部鋼鈑~西名古屋港 (名古屋市電 一州町) 1969(S44).12.9 上の写真⑫の続きです。 D51209号はバック運転で、大きな踏切をゆっくりと横断しました。 現在、ここは「あおなみ線」の稲永駅になりました。 |
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西臨港線⑭ railbusさん撮影 1969(S44).12.9 中部鋼鈑~西名古屋港 上の写真⑫⑬の続きです。 後方で威容を誇るのは、中部電力の名港火力発電所です。 この火力発電所は、1982(昭和57年)頃廃止になり、跡地には現在、カインズホームなどがあります。 名港火力発電所をネットで検索したら→「松永安左エ門と一州町」がありました。一州町の名前の由来も分かりました。 |
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西臨港線⑮ railbusさん撮影 1969(S44).12.9 中部鋼鈑~西名古屋港 貨車の後方に煙突が見えます。 上の写真⑭と同じ名港火力発電所です。 少し南から、稲沢行き貨物列車を撮りました。 |
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西臨港線⑯ railbusさん撮影 名古屋市電 1969(S44).11.7 大手橋~一州町 一州町で臨港線と平面交差する名古屋市電の写真がありませんので、一州町の少し東、荒子川を専用軌道で渡る市電の写真をご覧ください。 この1700形電車は、5両しかいない小所帯のちょっと変わった経歴とスタイルの電車で、下之一色線専属のような感じでしたが、下之一色線廃止から9ヶ月近く経ったこの日もまだ頑張っていました。 次のページは、貨物で賑わっていた →西名古屋港駅です。 |
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2013(H25).6.10up | |
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