津島軽便堂写真館

名古屋の臨港線 1/4  (東臨港線)    東臨港・白鳥線へ  西臨港線へ  西名古屋港へ

一昔前の名古屋には、国鉄の臨港線が2本ありました。
 名古屋港線:山王信号場~名古屋港の東臨港線(左図赤線)と、
 西名古屋港線:笹島~西名古屋港の西臨港線(左図青線)です。

東臨港線は、港の貨物輸送という本来の役目は終えましたが、現在も存続しており、週に何回かレールを輸送する列車が走っているようです。
西臨港線は、複線電化・高架化され「あおなみ線」となりました。

まずは、東臨港線の紹介から始めます。
この臨港線の歴史は古く、1911(明治44)年に名古屋~名古屋港が開通しました。詳細は→Wikipediaをご覧ください。
1950(昭和25)年に、笹島~西名古屋港の西名古屋港線(西臨港線)が開通したので、それ以降、この臨港線は、東臨港線と呼ばれるようになりました。
名古屋港に陸揚げされた貨物は、この臨港線を経由して各地の駅へ輸送され、逆に船積みされる貨物は、各地の駅から臨港線で港まで運ばれてきました。
この臨港線には、1971(昭和46)年7月末まで、蒸気機関車が活躍していました。名古屋近辺に最後まで残った現役SLです。SLの引退と共に、国鉄の貨物輸送の衰退が始まり、臨港線も寂れてしまいました。
臨港線に活気があった時代の写真をご覧ください。

左の地図は国土地理院1/5万「名古屋南部」S43.3.30発行より
東臨港線を
赤色、その支線の白鳥線を桃色、西臨港線を青色、名古屋市電を緑色でなぞりました。
↓東臨港線① 名古屋港 1971(S46).2 Nさん撮影

 名古屋港で入換に活躍するC50143号です。

東臨港線② railbusさん撮影

名古屋港 1969(S44).2.15

名古屋港で入換に活躍するC50143号です。

名古屋市電1400形との貴重な顔合わせです。
市電の日比野~名古屋港は、1969(昭和44)年2月20日に廃止されていますので、その直前の風景です。
この市電路線の廃止は地下鉄建設に伴うもので、市電のいる付近の地下には現在、地下鉄の名古屋港駅があります。
手前右側が中央埠頭です。


こちらのブログに→名古屋港配線図が掲載されています。
東臨港線③ railbusさん撮影

名古屋港 1969(S44).1.20

埠頭へ行く踏切を塞いで、C50110号が入換をしていました。
名古屋港の入換は、C50が、いつも車掌車を前後につないで行っていました。

このC50は稲沢第一機関区の所属で、朝、貨物列車を引っ張って稲沢から名古屋港へやって来て、日中は名古屋港の入換に専念し、夜になると貨物列車を引っ張って稲沢へ戻るといった運用だったと思います。
中日球場の横の山王信号所に入る手前でボーーーッという汽笛を鳴らしていたのを、ナイター中継のラヂオでよく聞きました。
東臨港線④ railbusさん撮影

名古屋港 1969(S44).1.20

港で働く人々が入換中のC50110号に行く手をふさがれています。
ちょうどお昼頃で、これから昼飯を食べに行くのでしょうね。
東臨港線⑤ railbusさん撮影

名古屋港 1969(S44).1.20

C50が入換中です。

上の写真④の少し左を見た風景です。
東臨港線の入換と、その送り込みを兼ねた小貨物列車は、C50が担当していましたが、この当時頻繁に運転されていた通常の貨物列車はD51が担当していました。

そのD51活躍シーンは、→「はなぶさ」をご覧ください。


東臨港線山王のC50は→はなぶさ
名古屋港のC50も→「はなぶさ
補遺のC50も→「はなぶさ」です。
東臨港線⑥ railbusさん撮影

名古屋港 1969(S44).1.20

埠頭から名古屋市内に向かう車が踏切待ちをしています。
遮断機のない大きな踏切でした。
上の写真②とほぼ同じ場所ですが、こちらの方が約1ヶ月前の撮影です。
東臨港線⑦ Nさん撮影

名古屋港 1971(S46).2

上の写真②~⑥の、ほぼ2年後です。
NさんもC50を撮りに名古屋港へ行きました。

⑥の歩道橋の反対側から船を入れて撮りました。この船が泊まっているのが東埠頭です。
東臨港線⑧ Nさん撮影

名古屋港 1971(S46).2

同じ歩道橋から西を見た風景です。
手前に車掌車をつないでC50が入換に励んでいます。
東臨港線⑨ Nさん撮影

名古屋港 1971(S46).2

中央埠頭の東の、東埠頭付近の情景です。
臨港線は、ここで向きを北の方に変え掘川口に向かいます。

左の百葉箱が懐かしいですね!
東臨港線⑩ Nさん撮影

名古屋港 1971(S46).2

東埠頭です。
右は海で、船が浮かんでいます。

左の赤い建物は、上の写真⑨の右に写っている円筒形(影になって暗いですが)と同じ建物と思われます。
この少し北に、可動橋(名古屋港跳上橋)があり、2009(平成21)年に近代化産業遺産に登録されました。

東臨港線は、現在も名古屋港以北が存続していますが、このページの写真①~⑫の撮影場所は既に廃止となっており、線路は撤去されています。


左の写真の東埠頭には、2005(平成17)年に「名古屋港イタリア村」が開園しましたが、3年で閉鎖されてしまいました。
↑東臨港線⑪ 名古屋港 1971(S46).2 Nさん撮影

C50の手前の岸壁のようなものは、元運河のものでしょうか?そこに書かれた落書きが時代を感じさせます。
←東臨港線⑫ 名古屋港 1971(S46).2 Nさん撮影

名古屋港のC50最後の写真は、上の⑧と同じ歩道橋から撮りました。

C50の写真は、これで最後ですが、臨港線名古屋港(なごやみなと)の写真はまだ続きます。
  2013(H25).6.3up
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