津島軽便堂写真館

名古屋の臨港線 4/4  (西名古屋港)   東臨港線へ   東臨港・白鳥線へ   西臨港線へ

西臨港線⑰ railbusさん撮影

西名古屋港 1969(S44).11.9

西臨港線の終点・西名古屋港は広い構内でした。
D51がテンダーファースト(バック運転)で、稲沢に向けて出発準備完了です。

ここは現在、あおなみ線の車庫になっているようです。

国鉄の臨港線は、ここが終点でしたが、線路は更に南の潮凪石炭埠頭や空見町の方まで伸びていました。


こちらのブログに→西名古屋港の配線図が掲載されています。
西臨港線⑱ railbusさん撮影

西名古屋港 1969(S44).12.9

上の写真⑰の1ヶ月後です。
左方向が、笹島・稲沢です。
158列車が、出発準備を整え待機しています。

前ページの写真と見比べると、西名古屋港方に煙突を向けたD51(写真⑰⑱)と、稲沢方に煙突を向けたD51(前頁③-⑮)の両方がいたようです。
西臨港線⑲ railbusさん撮影

西名古屋港 1969(S44).12.9

西名古屋港の素晴らしい風景です。
遠くに石炭埠頭と船が見えます。

この写真を見せてもらった時は感動しました。
臨港線のページを作ろうと思ったのも、この写真を見せてもらったおかげです。
西臨港線⑳ railbusさん撮影

西名古屋港 1969(S44).12.9

出発直後です。煙がよく出ました。
大きな船も写っています。
稲永埠頭のすぐそばでした。
西臨港線(21) railbusさん撮影

西名古屋港 1969(S44).12.9

遠ざかって行く158列車です。
上の写真⑱~⑳の続きです。
西臨港線(22) railbusさん撮影

西名古屋港 1969(S44).12.9

西名古屋港に留置された、タキ5054号です。
西名古屋港からは引き込み線がたくさん出ていて、いろんな私有貨車が見られました。
西臨港線(23) railbusさん撮影

西名古屋港 1969(S44).12.9

セメント会社の引き込み線にいた、タキ10613号です。
明星セメントの私有貨車が、糸魚川からはるばるセメントを運んできました。
このタキ10600形(35t積セメント専用車)は、70両製造され、全車が明星セメントの私有貨車でした。
糸魚川の小さな会社にしては、独自の形式の私有貨車を持っていて、立派でした。
西臨港線(24・25) 西名古屋港 1969(S44).12.9 railbusさん撮影    railbusさんが西名古屋港で見るのを楽しみにしていたタキ10600形です。

西臨港線(26)

西名古屋港 1983(S58).3.19

DD51とDE10の重連で、出発を待っていました。
西臨港線から蒸気機関車が消え、12年近く経った頃です。
当時、ここまで来る貨物列車は2往復しかありませんでしたが、広い構内には貨車がいっぱい留置されていました。
↑1970(S45).10.1改正ダイヤ
西名古屋港線(笹島~西名古屋港)
貨物列車が走っていた時間帯のみ

定期貨物列車が3往復と、不定期貨物(6000番代)が1往復+途中折返し1往復走っていたことが分かります。

「'80貨物時刻表」鉄道貨物協会発行より

昭和55年10月ダイヤ改正の西名古屋港線のページです。
このダイヤ改正から、名古屋貨物ターミナル駅が開業しました。
コンテナの取り扱いは、かなりの部分が笹島から名古屋貨物ターミナルへ移ったようですが、まだ笹島貨物駅も残っていました。
西名古屋港まで走る貨物列車は2往復に減っていました。

なお「'82貨物時刻表」昭和57年11月ダイヤ改正号までは、
稲沢~西名古屋港の貨物列車は2往復残りました。

しかし「'84貨物時刻表」昭和59年2月ダイヤ改正号では、
・稲沢~名古屋港は1往復に減りました。
  西名港→ 稲沢
   13:22   14:57
  稲沢 → 西名港
    8:49    10:17
西臨港線の貨物輸送も衰退の一途をたどっていきました。 
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参考図書: 「'80 貨物時刻表」社団法人 鉄道貨物協会 昭和55.10発行