津島軽便堂写真館

近鉄 内部・八王子線 7 伊勢八王子  1四日市 2日永 3内部 4西日野 5室山 6桜・室山 

内部・八王子線(124)

室山~八王子 1972(S47).4.5

室山橋(木橋)から伊勢八王子方面を見た風景です。
室山橋のあたりで街並みが途切れました。
内部・八王子線(125)

室山~八王子 1972(S47).4.5

満開の桜の下で子供たちが遊んでいます。
対岸に電車が通りました。
内部・八王子線(126) Nさん撮影

室山~八王子 1973(S48).4

Nさんも上の写真(124・125)の1年後に同じ場所(室山橋の端)から撮りました。
内部・八王子線(127) Nさん撮影

室山~八王子 1973(S48).4

室山橋の少し八王子寄りです。
桜並木は続いていますが、人家は途切れました。
内部・八王子線(128) Nさん撮影

室山~八王子 1973(S48).4

上の写真(127)の左側から、電車の真横を狙いました。
電車の向こうにある古い建物は、亀山製糸室山工場です。
1903(明治36)年に建設されたといわれる四日市の歴史的建造物です。
伊藤小左衛門さんが作った伊藤製糸場から出発しました。

参考図書「鉄道ピクトリアルNo.727」近鉄の特殊狭軌線90年の軌跡(椙山満著)によれば、三重軌道の開業の頃には「伊藤製糸工場へは室山から引込線が敷かれ、門前には伊藤製糸部前という乗降場まで準備された」と言うことです。
国土地理院の航空写真(撮影年月日1961/04/28(昭36)、整理番号MCB613)より 八王子線(赤線)の室山~伊勢八王子間です
内部・八王子線(129)

八王子線 1972(S47).7.26

八王子線を走る四日市行列車の一番後ろの窓から顔を出して撮りました。
朝顔形のピン・リンク式連結器です。
内部・八王子線(130)

伊勢八王子 1972(S47).1.22

終点の伊勢八王子駅の情景です。
連結していた客車に運転台がなかったため、機回し入換を行っていました。

手前の魅力的なサニ110形(111~113)は、1927(昭和2)年に製造された松阪鉄道デ31形電車(デ31~33)です。三重交通に統合されるときモニ201形(201~203)と改称、松阪線廃止の際、電装解除されて内部・八王子線へ転属、近鉄合併によりサニ110形(111~113)となりました。
詳細は→Wikipediaデ31形電車参照
内部・八王子線(131)

伊勢八王子 1972(S47).1.22

朝顔形のピン・リンク式連結器を連結するところです。
内部・八王子線(132)

伊勢八王子 1972(S47).4.5

機回し入換中です。
写っている車両・風景・光線状態など、私のお気に入りの1枚です。
内部・八王子線(134) 伊勢八王子 1972(S47).4.5

電車がいないときの八王子駅構内です。
内部・八王子線(135) 伊勢八王子 1972(S47).4.5

機回し入換中の写真です。上の写真(133)の次のシーンで、これからモニ228号をサ112号の四日市方に連結します。
内部・八王子線(136) 1951(S26)年頃

写真は地元・室山に在住の田中増治郎様からご提供いただきました。

この写真の所有者は、電車の運転手の御子息ということです。
コッペルに乗っている人は現在91歳でご健在で、コッペルのお別れ記念の写真で交代で機関車に乗って写真を撮ったということです。
1948(昭和23)年に八王子線は電化され、それまで活躍していた蒸気機関車も引退することになりました。実際に引退したのは、調査の結果1951(昭和26)年のようです。
この撮影場所は、てっきり伊勢八王子駅だと思っていましたが、田中さんの推定では伊勢松本か内部だろうということです。伊勢松本は湯の山線の駅ですが、昔は内部・八王子線と同じ線路幅で、列車が直通運転した時期もあります。

なお、田中増治郎さんが構成された八王子線の動画「消えたレール」もぜひご覧ください。
内部・八王子線(137)

動画
消えたレール2003年制作より
  企画・構成 田中増治郎さん
  撮影・編集 矢田 信さん
 You Tubeでもご覧になれます。

上記動画の1画面を切り取りました。
コッペル形機関車が導入された頃に伊勢八王子駅で撮られた写真です。

三重軌道(後の八王子線)の開業用に1911(明治44)年に3両製造された軌道用の蒸機、スチームトラムです。
この写真は登場間もない頃で、動輪の横にカバーが付いています。この機関車の晩年の姿がすぐ上の写真です。
機関車専門家で知人のMiさんが臼井茂信さんや金田茂裕さんの本で調べた結果、このO&Kの蒸気機関車は「製造番号46991911年製造15Hpトラム形・三重軌道2号→三重交通1→湯の山線1951廃車」と言うことだそうです。
この写真は四日市の鉄道研究家(故)椙山満氏所蔵の写真です。 北勢軽便王国物語第2話 自転車に抜かれたトラム型コッペルをご覧ください。
内部・八王子線(138)

動画
消えたレール2003年制作より
  企画・構成 田中増治郎さん
  撮影・編集 矢田 信さん


このコッペルの写真も、上記動画の1画面を切り取りました。
戦時と書いてあるので、てっきり1941(昭和16)年から始まった太平洋戦争中だと思っていたら、昭和7年の上海事変のときの写真でした。
田中増治郎さんからご連絡があり、この写真は1937(昭和12)年に撮影された(撮影者も健在)ものです。この年に支那事変(日中戦争)が始まっていますのが、この兵隊さんは何処へ送られたか分かりません(2016/H28.5.26修正)
内部・八王子線と呼ばれ、八王子線のほうが支線のような扱いですが、開通したのは日永~八王子の八王子線のほうが古く1912(大正元)年でした。当時の西日野から室山あたりは、醸造業・製糸業・製茶業などの産業で栄えていた町だったので、鉄道が早い時期に出来ました。
日永~内部は八王子線の鈴鹿支線として1922(大正11)年に開通しました。
内部・八王子線(139)

Miさん所蔵のO&K(オーレンシュタイン・ウント・コッペル)の本から、金田茂裕さんが作図された組立図をスキャナで取り込んでもらいましたので、添付します。
内部・八王子線(140)

赤堀~日永 2015(H27).3.31

「四日市あすなろう鉄道」移行記念の内部・八王子線リニューアル最後の写真です。
近鉄内部・八王子線の最終日でした。満開の桜に見送られ、この翌日から内部・八王子線は、「四日市あすなろう鉄道」へ移行しました。


新しく誕生した「四日市あすなろう鉄道」が、「三岐鉄道北勢線」と共に軽便王国三重の伝統を受け継ぎ、発展していくことを願っています。
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参考図書: 「鉄道ファン145号」1973(昭和48)年5月号 交友社発行
                      →P47「大きな私鉄の小さな電車 近鉄内部・八王子線」吉川文夫著
       「鉄道ピクトリアル727号」2003(平成15)年1月臨時増刊号-特集「近畿日本鉄道」 鉄道図書刊行会発行
                      →P147「近鉄の特殊狭軌線 90年の軌跡」椙山 満著
       「私鉄車両めぐり特輯-第1輯」1977(昭和52)年7月(私鉄車両めぐり第4分冊No.145号・1963.5月号の再録) 鉄道図書刊行会発行