北勢線 1/4 西桑名・北大社付近 北勢線2へ 北勢線3へ 北勢線4へ 内部・八王子線へ
北勢線は、2014(平成26)年4月5日に開業100周年を迎えました。 これを機に、北勢線のページを全面リニューアルし、写真を大量に追加しました。ご覧ください。 北勢線は一時廃止の危機に陥りましたが、地元の熱意と三岐鉄道の努力により、2003(平成15)年から三岐鉄道北勢線として体質改善しつつ軌間762mmのまま存続しています。 波瀾万丈の北勢線の歴史は →Wikipediaをご覧ください。 ここでは、近鉄時代の、しかも軽便の面影をまだ色濃く残していた、昭和47(1972)年頃の写真を中心に、最新の100周年記念列車まで、4頁にわたりご紹介します。 西桑名から阿下喜に向かって順に掲示しますので、ご覧ください。 |
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北勢線@ 西桑名 1972(S47).1.29 阿下喜から走ってきた電車は、近鉄名古屋線と関西線の上を越したあと、しばらく関西線に並行して走り、最後に急カーブを直角に曲がり警手付き踏切を渡り、西桑名のホームに到着します。 半径40mで90°曲がる急曲線! この当時、西桑名〜阿下喜間の営業キロは20.5kmでした。 1977(昭和52)年に、この急カーブは廃止され、西桑名駅は、この踏切の向こう側へ移転しました。 これにより営業キロが0.1km短くなり、西桑名〜阿下喜間20.4kmになりました。 |
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西桑名駅配線図 このページの写真撮影時の西桑名駅の配線図です。 駅の奥に機回し線があり、その横に車庫がありました。昔は更に奥(図の左側)の桑名京橋まで線路が伸びていました。 鉄道模型趣味426号(1983.2月)に掲載された図をトレースしました。 |
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北勢線A 西桑名 1975(S50).1 移転前の西桑名駅舎です。 駅前の一本松が印象的でした。 この写真の2年後の1977(昭和52)年5月に駅は移転されました。 |
北勢線B 西桑名 1975(S50).1 移転前(国鉄・近鉄と直角に配置)の西桑名駅です。 |
北勢線B 西桑名 1975(S50).1 駅の横の踏切警手付き踏切を電車が通り過ぎます。 |
北勢線D 西桑名 1975(S50).1 曲線のホームで奥に車庫がありました。 この当時の北勢線は、四日市から出ていた内部・八王子線と同様に、両運転台付の電車+客車数両で運転されていましたので、終点では機関車列車のように、必ず機回し入換が必要でした。 列車が到着すると、一旦奥で機回し入換をしてからホームへ出てくるので、それまでお客は改札で待たされました。 北勢線の電車(電動車)は、当時モニ220形だけでしたが、この225号は踏切事故で正面が改造(昭42)されており、特異な存在でした。 |
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北勢線E Koさん撮影 西桑名 1972(S47).1 西桑名の一番奥から見た車庫です。 上の配線図では、左端から右を見ています。 サ150形151号です。 サ150形は、1950(昭和25)年に製造され、近鉄ナロー路線で12両が活躍しました。 詳細は→Wikipediaをご覧ください 私は、西桑名の車庫を撮らずに終わってしまいましたが、軽便師匠のKoさんはしっかり撮っていました。 |
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北勢線F Koさん撮影 西桑名 1972(S47).1 北勢線は、内部・八王子線より若干近代化されており、連結器が自動化されていました。ヘッドライトもシールドビーム化された電車がいました。客車もリベットゴツゴツが少なく、ノッペリした車両が多かったです。 サ140形142号です。 サ140形は、1960〜62(昭和35〜37)年湯の山線用に7両製造され、同線の改軌により全車が北勢線に転属しました。この当時の北勢線の最新鋭車両でした。 詳細は→Wikipediaをご覧ください |
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北勢線G Koさん撮影 西桑名 1972(S47).1 車庫の前の220形227号です。 モニ220形は、221〜226号が北勢線の電化に合わせ1931(昭和6)年製造、227〜229号が1949(昭和24)年に製造されました。 227号から尾灯が2灯になったようです。 221〜227号が北勢線の主力電車として活躍しました。(228・229号は内部・八王子線で活躍していました) 詳細は→Wikipediaをご覧ください |
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北勢線H Koさん撮影 西桑名 1972(S47).1 225号ですが、西桑名側は他の220形と同じ顔でした。 阿下喜側だけが2枚窓に改造されていたようです。 (上の写真D参照) 225号は尾灯が1灯です。 左はサ130形135号です。 サ130形は、1954(昭和29)年に8両製造された、張り上げ屋根のバス窓車両です。 |
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北勢線I Koさん撮影 西桑名 1972(S47).1 機回し線に停車中の226号です。 この電車、現在は阿下喜駅に保存されています。 226号も尾灯は1灯でしたが、阿下喜に保存してある226号は2灯あります。 |
北勢線J 西桑名 1972(S47).1 Koさん撮影 サ150形152号です |
北勢線K 西桑名 1972(S47).1 Koさん撮影 サ140形147号です。 |
北勢線L 西桑名 1972(S47).1 Koさん撮影 サ140形144号です。 |
北勢線M 西桑名〜馬道 1972(S47).1 Koさん撮影 226号が西桑名を出発し、勾配を駆け上がり間もなく国鉄と近鉄名古屋線の上を越します |
北勢線M-2 Nさん撮影 西桑名〜馬道 2001(H13).1.8 上の写真@〜Mの29年後です。 JR関西線と近鉄名古屋線の上を越す近鉄北勢線です。 軌間は、 ・JR関西線:1067mm ・近鉄名古屋線:1435mm ・北勢線:762mmで3種類のゲージが揃っています。 1977(昭和52)年に車両の近代化が行われ、右(西桑名方)の141号も、サ(付随車)からク(制御車)に改造されました。 |
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北勢線N 北大社 1972(S47).12.10 北大社車庫ができる前の北大社駅に西桑名行きが到着します。 構内踏切の関係で右側通行でした。 側線には無蓋貨車が停めてありました。 |
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北勢線O 北大社 1993(H5).11.6 北大社車庫ができた後の北大社駅に西桑名行きが到着します。 北大社駅の阿下喜方ホーム端から撮りました。 北大社駅を→Wikipediaで調べると、1977(昭和52)年5月に、車庫が西桑名から移転してきました。 到着する202号は連接車です。 ナロー時代の湯の山線用に1959(昭和34)年に製造されました。 詳細は→Wikipedia(4400形電車)をご覧ください。 Rail Magazine368号(2014/5月号)に、「三岐鉄道北勢線200系完全ガイド」の特集記事が掲載されています。そちらもご覧ください。 |
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北勢線P 北大社 1993(H5).11.6 北大社車庫ができた後の北大社駅です。 車庫が出来たときに、駅の配線もこの形になったと思いますが、2005(平成17)年3月に駅は廃止となり、信号場に格下げされました。(六把野駅と北大社駅を統合し、東員駅が誕生) 1977(昭和52)年の270形電車導入により、編成の総括制御化が行われ、西桑名側の先頭には制御車(ク)が連結されるようになりました。(終点で機回し入換が不要になりました) 202号も、左の134号も、サ(付随車)からク(制御車)に改造されました。 |
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北勢線Q 北大社〜大泉東 1972(S47).12.10 北勢線で一番長い鉄橋を渡る阿下喜行きの列車です。 この川は、地図で調べたら戸上川でした。 軽便鉄道らしい鉄橋です。 その上を軽便鉄道らしい列車が走ります。 今は、周りの風景が少し変わってしまいました。 |
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北勢線Q-2 Nさん撮影 北大社〜大泉東 2003(H15).1.25 上の写真Qの約30年後です。 同じ戸上川の鉄橋です。 橋桁が新しくなりました。 藤原岳をバックにしたこの鉄橋は、現在でも北勢線の撮影地になっています。 上の写真は、川の上流側から、この写真は下流側から撮っています。 この写真の約2ヶ月後に、近鉄から三岐鉄道へ運営が移管されましたので、近鉄北勢線時代の最後の頃の写真です。 |
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北勢線R 北大社〜大泉東 1972.12.10 30年前に戻ります。 戸上川の鉄橋を渡った西桑名行きの221号です。 鉄橋を挟んで両側に急カーブがあり、S字カーブになっています。 |
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北勢線S 北大社〜大泉東 1972.12.10 上の写真Rの続きで、手前の急カーブを曲がってきました。 北大社駅も大泉東駅もなくなりましたので、現在の駅名では、東員〜大泉間で撮ったことになります。 |
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2014(H26).4.11renewal | |
2010(H22).12.24up | |
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参考図書:「鉄道ピクトリアルNo.313」 1975(S50).11月臨時増刊号−近畿日本鉄道特集 鉄道図書刊行会発行
「Rail Magazine 368」 2014(H26).5月号 ネコパブリッシング発行
「鉄道模型趣味426号」1983(S58).2月号 機芸出版社発行
「鉄道ジャーナルNo.56」1971(S46).12月号 鉄道ジャーナル社発行