近鉄 内部・八王子線 1 四日市〜 2日永 3内部 4西日野 5室山 6桜・室山 7八王子へ
近鉄内部・八王子線は、2015(平成27)年4月1日から「四日市あすなろう鉄道」として再スタートしました。 これを機に、内部・八王子線のページを全面リニューアルし、写真を大量に追加しました。ご覧ください。 |
|
ただし、西日野〜伊勢八王子は1974(昭和49)年7月の集中豪雨で川沿いの線路が流され運転休止に、そのまま1976(昭和51)年廃止となりました。 1972(昭和47)年頃は、今よりも遙かに軽便鉄道らしい路線でした。その頃の写真を中心にご紹介します。 近鉄四日市〜内部が5.8km、途中の日永で分岐し、日永〜伊勢八王子が八王子線2.9kmでした。 (四日市駅高架化工事で、内部・八王子線の四日市駅ホームが移転したので、内部線は5.7km、八王子線は部分廃止で1.3kmになりました) 左の地図は20万分の一「名古屋」の一部です。 国土地理院 昭和43年6月30日発行 内部線を青で、八王子線を緑でなぞり、全駅に○を付けました。(なお、四日市〜赤堀間に南浜田信号所が1986/昭和61年まで存在しました) 四日市→内部の内部線、次に八王子線の順に写真をご紹介します。 |
近鉄内部・八王子線@ 近鉄四日市 1972(S47).1.26 「よっかいちーよっかいちー、湯の山温泉・内部(うつべ)・八王子方面お乗り換え四日市でございます」。 この頃、近鉄四日市駅は地上にありました。 内部・八王子線ホームの隣の湯の山線もかつてはナローゲージでしたが、標準軌の1435mmに改軌されていました。 湯の山線の標準軌と内部・八王子線の762mmが並ぶ風景が間もなく終わろうとしていた頃です。この写真を撮った1〜2週間後に四日市駅の高架化工事が始まり、この並びは見られなくなりました。 線路の幅が約半分で車体も小さいのに、架線の高さは同じで、214号のパンタがよく目立っています。 |
|
近鉄内部・八王子線A 近鉄四日市 1972(S47).1.26 上の写真@の少し前に撮りました。 この当時は、この四日市駅から内部行き、八王子行きが共に20分おきに出ていました。 当時の内部・八王子線の車両は、 電動客車が8両 ・モニ210形211〜214の4両 ・モニ220形228〜229の2両 ・モ230形231の1両 ・モ240形241の1両 付随客車が11両 ・サニ110形111〜113の3両 ・サ120形121の1両 ・サ130形131〜132の2両 ・サ150形158〜162の5両 機関車が1両 ・デ40形46の1両 合計20両が活躍していました。 |
|
近鉄内部・八王子線B 四日市 1972(S47).1.30 標準軌とナローの横並びが見られなくなる直前です。 線路幅の違いを目とフィルムに焼き付けに行きました。 上の写真@Aの反対側で、4日後です。 湯の山線の6301号が到着します。元・関西急行電鉄モハ1形です。 現在の近鉄名古屋線は、1938(昭和13)年に、関西急行電鉄が桑名〜関急名古屋を開通させて全通しましたが、「関西急行電鉄モハ1形」はそれに備えて製造されました。そのスピードと新造時の塗色から「緑の弾丸」と呼ばれました。 近鉄になって6301形となりました。 |
|
近鉄内部・八王子線C 四日市 1972(S47).1.30 上の写真Bの折り返し電車が出発しました。 このモ6301号は、1972(S47)年に養老線へ転出(電装解除・台車履き替え)したということですから、転出直前の姿ということになります。 養老線転出後、1974年に5301形と形式変更されました。 詳細は→Wikipediaをご覧ください。 |
|
近鉄内部・八王子線D 四日市 1972(S47).1.30 標準レンズでホーム全体を撮ると、こんな感じでした。 9番ホームの奥に停まっている電車は211号です。 |
|
内部・八王子線E 四日市 1972(S47).1.26 内部の行き先板を持って駅員が歩いています。 214号は内部行きになるんでしょうか? |
|
内部・八王子線F 四日市 1972(S47).1.30 212号は八王子行きになります。 光と影が絶妙ですね!(自画自賛) 内部・八王子線の主力モニ210形で4両の仲間(211〜214)がいました。 詳細は→Wikipediaデ50形をご覧ください。 |
近鉄四日市駅での内部・八王子線の入換(説明図) 1972(昭和47)年頃の内部・八王子線は、 両運転台付の電車+客車1〜2両で運転されていましたので、終点では機関車列車のように、必ず機回し入換が必要でした。(運転台付の制御客車がなかった)。 連結器も自動式ではなく、軽便鉄道らしい朝顔型を使っていました。この時代にあの大近鉄が・・・当時も意外でした。 内部線八王子線とも20分おきに電車が走っていましたので、四日市では1時間に6回も連結・解放・入換を行っていました。 四日市駅には機回し線がなかったので、左の図のような入換を行っていました。 @列車がいないときの状態です。電車(M1)はH番線ホームの奥に待機 A電車(M2)が客車2両(黄色)を牽引し四日市駅I番線ホームに到着 B電車(M2)を切り放してIの奥に突っ込む。Hの奥にいた電車(M1) を入換 C電車(M1)を客車の前に連結。内部or八王子行きの列車として準備完了。 D電車(M1)+客車2両の列車がお客を乗せて出発 E次の列車、電車(M3)+客車2両(黄緑)が四日市駅へ到着。 これ以降はホームが逆になるだけでA〜Eの繰り返し。 |
内部・八王子線G 四日市 1972(S47).1.26 一番左の10番ホームに列車が到着し、高校生が大勢降りてきました。これから入換が始まります。 上の「四日市駅入換説明図」ではAの状態です。 |
|
内部・八王子線H Koさん撮影 四日市 1972(S47).1下旬 9番ホームに列車が到着し、高校生が大勢降りてきたときの写真をKoさんが撮りました。 上の「四日市駅入換説明図」ではDの状態です。 手前の張り上げ屋根のバス窓客車はサ130形で内部・八王子線に2両、北勢線に6両の仲間がいました。 |
|
内部・八王子線I Koさん撮影 四日市 1972(S47).1下旬 9番ホームの端っこです。 213号が停まっていました。 210形は湯の山線の前身、四日市鉄道が1928(昭和3)年に作った生え抜き車両ということです。 その向こうの方(10番線の奥)には、電気機関車がいます。 |
|
内部・八王子線J Koさん撮影 四日市 1972(S47).1下旬 10番線の奥に待機していたデ40形46号です。 救援機として待機していたと思われます。 北勢鉄道が20形として作った2両の機関車の内1両です。 内部・八王子線には、箱形のカッコイイ四日市鉄道のデ51形機関車や、松阪から来たかわいいB凸デ61形がいましたが、残念ならが既に引退し、このBB凸の46号だけが残りました。 手前から向こうへカーブしている線路は湯の山線です。 |
|
内部・八王子線K Koさん撮影 四日市 1972(S47).1下旬 建設中の内部・八王子線四日市仮駅のホームです。 四日市駅高架化工事のため、四日市駅の約300m赤堀寄りに仮駅を建設中でした。 この仮駅完成後に、内部・八王子線はこのホーム発着になり、標準軌(1435)とナロー(762)の並びは見られなくなりました。 Koさんは、H〜Kの写真を撮った後、桑名の北勢線の撮影に行ってしまったので、結局内部・八王子線には乗らずじまいでした。 |
|
内部・八王子線L Nさん撮影 四日市(仮駅) 1973(S48).1.21 上の写真@〜Kの約1年後です。 向こうの方では高架化工事が進捗しています。名古屋線・湯の山線の高架化工事です。コンクリート構造物はだいぶ出来上がっていますが、架線はまだのようです。 上の写真Kの反対から見ました。 モニ220形は、221〜227号が北勢線の主力電車として活躍し、228・229号が内部・八王子線で活躍していました。 詳細は→Wikiモハニ50形参照。 右の121号は旧松阪電気鉄道の車両で、一時期は電動車だったという経歴の持ち主です。 詳細は→Wikiサ120形と松阪鉄道デ31形をご覧ください。 |
|
内部・八王子線MN Nさん撮影 四日市(仮駅) 1973(S48).1.21 仮駅のホームで見た風景です。 |
|
内部・八王子線O 四日市 2015(H27).1.27 上の写真@〜Kの43年後です。 名古屋線・湯の山線の高架下に、内部・八王子線ホームが出来ました。 1974(昭和49)年6月に、上の写真の仮駅から元の場所まで戻りきれず、ここまで移動し、営業キロが0.1km短くなりました。駅移転から既に41年もたちました。 41年前と比べると、電動車は写真に写っている260形(261〜265)の5両だけになり、制御車が5両(新造3+改造2)と中間の付随車4両の計14両が、内部・八王子線車両の全てです。 3両組成×4本+2両組成×1本で運用されています。 →Wikipedia近鉄260系 |
|
内部・八王子線P H27.1.27 近鉄内部・八王子線の1dayフリーきっぷです。 Koさんの後押しで「四日市あすなろう鉄道」発足記念のHPリニューアルを計画したところ、最近の内部・八王子線の写真がないことに気付き、撮影に出かけました。 この日に撮ったのが、上の写真Oです。次ページにも日永駅の写真が登場します。 |
|
内部・八王子線Q 赤堀 1972(S47).1.26 四日市の隣の駅、赤堀の日没直前です。 赤堀ホームから撮りました。 |
|
内部・八王子線R 赤堀 1972(S47).1.26 上の写真Qの続きで、振り返って撮りました。 四日市行きの電車は、この少し向こうにある南浜田信号所を通り、四日市に向かいます。 (残念ながら、信号所の写真を撮らずにいるうち、1986/昭和61年に信号所がなくなってしまいました) |
|
内部・八王子線S Nさん撮影 赤堀〜日永 1973(S48).1.21 赤堀と日永の間にある鹿化川橋梁です。 この鉄橋は、現在コンクリートの壁付きの立派なものになり、写真が撮れなくなってしまいました。 モニ220形+サ150形の編成です。 電動客車モニ220形は北勢線7両+内部・八王子線2両の計9両、付随客車サ150形は北勢線7両+内部・八王子線5両の計12両で、共に近鉄軽便線の最大勢力でした。 次ページは、日永駅と日永〜内部間の写真です。 |
|
2015(H27).3.25renewal | |
2010(H22).12.24up | |
津島軽便堂 2日永 3内部 4西日野 5室山 6桜・室山 7八王子 北勢線へ | 次の頁(内部・八王子線2)へ |
参考図書: 「鉄道ファン145号」1973(昭和48)年5月号 交友社発行