津島軽便堂写真館

若松市電 2/2  若松の繁華街~工場地帯の道路を走っていた貨物列車の記録   若松市電1へ戻る

若松市電(23)

市電浜町 1975(S50).8.2

市電浜町で出発を待つ貨車の車票です。
実に感動的な車票です。
市電浜町
を出て、当時日本でただ1ヶ所だけ残っていた貨車が走る路面軌道を通り、日本に1ヶ所しかなかった海底トンネルを潜り(この約半年前に新幹線が並行してできましたが)、2ヶ所しかなかった連絡船の貨車航送で運ばれて、四国の鳴門までヒマシ粕を15t積んで行くことが分かります。
若松市電(24)

浜町車庫 1975(S50).8.2

浜町車庫の前です。
入換が一段落したようです。
若松市電(25)

浜町車庫 1975(S50).8.2

入換が終わり、機関車は貨車をつないだまま車庫の前で一休みです。
私が大好きな凸型電気機関車の中でも、最も好きなタイプの機関車です。

先ほど機関車が通った路地(左の線路の先)を通って、パート帰りのおばさんが家に向かいます。これから夕飯の支度をするのでしょうね。
若松市電(26)

浜町車庫 1975(S50).8.2

車庫の奥にいた201号も顔を出してくれました。
三菱電機で1952(昭和27)年に製造された機関車です。
若松市電(27)

浜町車庫 1975(S50).8.2

201号を真横から撮りました。
若松市電(28)

浜町車庫 1975(S50).8.2

夕方の出発時間まで待機する、機関車101号です。

後ろの貨車3両をつないで出発準備完了しました。
浜町での撮影はこれで切り上げ、繁華街の中川通りで貨物列車を待つことにしました。
若松市電(29)

中川通り商店街 1975(S50).8.2

いよいよ夕方の貨物列車が走る時間になりましたので、商店街で待ち伏せしました。

残念ながら陽が傾き、日陰になってしまいました。

貨物列車の後方に「八鹿」のアーチが見えます。そこから手前(若松駅側)がパチンコ店、映画館、百貨店が建ち並ぶ若松随一の繁華街です。
若松市電(30)

中川通り商店街 1975(S50).8.2

映画館の前で、貨物列車が近づいたところをもう1枚!
若松市電(31)

中川通り商店街 1975(S50).8.2

上の写真(29・30)を撮った後、貨物列車が信号待ちをしている間に走って追い越しました。(若くて元気でした!)

貨物列車の後方にある高架橋は、若戸大橋の誘導路です。
若松市電(32)

中川通り商店街 1975(S50).8.2

上の写真(31)の続きです。
貨物列車が通り過ぎたところで、振り返って撮りました。
←若松市電(32) 中川通り商店街 1975(S50).8.2

若松駅から戻ってくる貨物列車を、百貨店の屋上遊園地から海(洞海湾)を入れて撮りました。

屋上へ上がった百貨店は、前頁の地図で見ると若松井筒屋百貨店と書いてありますが、Wikipediaで調べると、「丸柏(マルカシ)百貨店が1979(昭和54)年に閉店し若松井筒屋となる」と書いてありましたので、撮影当時は丸柏百貨店だったわけです。なお、若松井筒屋も1995(平成7)年に閉店したそうです。
↓若松市電(33)  中川通り商店街 1975(S50) .8.2

左の写真の続きで、貨物列車が百貨店の前を通り過ぎたところです
松市電(34)

中川通り商店街 1975(S50) .8.2

百貨店の屋上から、若松駅の反対方向を見た写真です。
遠方に工場地帯が広がっています。

貨物列車が「八鹿」のアーチをくぐり、斜め右の方へ進んでいきます。

この写真を撮ってから若松を離れました。 

この日は北九州旅行の初日で、このあと西鉄北九州市内線、三池鉄道熊本電鉄高島炭鉱、長崎電軌、大分交通耶馬溪線(中津~野路の残存区間)を訪問したあと、旅行の最終日に再度若松へ戻りました。
若松市電(35)

中川通7丁目分岐 1975(S50) .8.8

昭和50年夏の北九州旅行の最終日
戸畑から若戸渡船に乗り、若松渡船場から分岐点まで歩きました。

分岐点で浜町方面からくる貨物列車を待ちました。午後(夕方近く)の列車です。

手前が若松駅方向で、真っ直ぐ行くと北湊、右方向が浜町方面、左方向が連歌浜方面です。
前頁の地図Eの付近です。
若松市電(36)

中川通7丁目分岐 1975(S50) .8.8

貨物列車がオートバイのおっさんとすれ違います!
若松市電(37)

中川通7丁目分岐 1975(S50) .8.8

上の写真(36)の続きです。
貨物列車は、浜十二番町支線から本線に入って来ました
若松市電(38)

中川通7丁目分岐 1975(S50) .8.8

上の写真(37)の続きです。
貨物列車は消防署の前を通ります。
若松市電(39)

中川通商店街付近 1975(S50) .8.8

上の写真を撮ったあと、必死で追いかけましたがここまでが限度でした。
 斜め左に曲がって商店街へ入っていきます。
若松市電(40)

中川通商店街 1975(S50) .8.8

商店街へ入ってすぐに、もう1枚撮りました。
若松市電(41)

中川通商店街 1975(S50) .8.8

若松駅方面から戻ってくる貨物列車を中川通商店街で待ち構えて撮りました。

右の方に、上から K A S H I の看板が並んでいますが、上の写真(32)で屋上から写真を撮った丸柏(マルカシ)百貨店です。
若松市電(42)

中川通商店街 1975(S50) .8.8

上の写真(41)の続きです。

道路上を走る貨物列車が近づいてきました。
若松市電(43)

中川通商店街 1975(S50) .8.8

上の写真(42)を撮ったあと、また必死で走って貨物列車を追いかけました。
パチンコ店の前で信号待ちしてくれましたので撮れました。
若松市電(44)

中川通商店街 1975(S50) .8.8

信号待ちの間に交差点を渡り、出発する貨物列車を撮りました。
若松市電(45)

中川通商店街 1975(S50) .8.8

貨物列車が通り過ぎました。
若松市電(46)

中川通商店街 1975(S50) .8.8

 更に貨物列車の追っかけを続けました。
「八鹿」のアーチの手前で貨物列車が信号待ちをしているところです。
若松市電(45)

中川通商店街 1975(S50) .8.8

この写真が、私が撮った若松市電最後の写真となりました。

これから3ヶ月も経たず、繁華街を走っていた、この貨物軌道は廃止となりました。
信号が変わり、貨物列車が出発しました。
貨物列車に行く手をふさがれていたパート帰りのおばさんたちが道路を横断します。
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