熊本電鉄 1/5 釣掛電車が活躍し、混合列車が走っていた時代です。 熊本電鉄2へ 熊本電鉄3へ 熊本電鉄4へ 熊本電鉄5へ
熊本電鉄は、熊本市内と菊池を結ぶ鉄道でした。 1986(昭和61)年に、路線の北半分、御代志〜菊池が廃止となりました。 この鉄道の歴史は古く、1913(大正2)年に上熊本から藤崎宮経由で菊池(当時の駅名は隈府)までの路線が開業しました。 開業当時は、九州で普及した3フィート(914mm)ナローゲージの蒸機鉄道でしたが、1923(大正12)年に、改軌と電化工事が完了し、3'6"(1067mm)の電気鉄道となりました。 詳細は、RM LIBRARY 25「熊本電気鉄道 釣掛電車の時代」高井薫平・田尻弘行著をご参照ください。 私が最初に熊本電鉄を訪問したのは、釣掛電車が大活躍していた時代の1975(昭和50)年でした。 貨物扱いをしていたのに、電気機関車を持っていなかったので、大好きな電車+貨車の混合列車が走ると期待して行きました(RM LIBRARY 25を読むと、終戦直後には小型で凸型のEBを3両持っていました)。 私は釣掛電車時代の熊本電鉄を二度訪問しています(その後はご無沙汰しています)。Nさんも訪問していますので、訪問順に写真をご紹介します。 左の地図は、国土地理院1/20万「熊本」S46.11.30発行より 当時の熊本電鉄の路線を青でなぞり、撮影地の最寄り駅に○を付け、駅名を青字で記入しました。 |
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熊本電鉄@ 上熊本 1974(S49).3.25 Nさん撮影 上熊本停車中の71号です。(右に少し写っているのが国鉄の上熊本駅舎です) Nさんは、私より1年早く熊本電鉄の写真を撮っていました。 熊本市電を乗ったついでに撮ったということです。 |
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熊本電鉄A 打越 1975(S50).8.5 1975(昭和50)年8月5日、あこがれの混合列車が走る熊本電鉄を初めて訪問しました。 上熊本から電車に乗り、トンネルを越えて打越で降りました。 乗った電車が混合列車でした。 降りてすぐに撮った写真で、混合列車の後ろ姿です。 |
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熊本電鉄B 打越〜池田 1975(S50).8.5 打越からトンネル方面へ歩いて待っていると、北熊本から混合列車がきてくれました。 混合列車をAと続けて2本撮ったわけですが、連結していた貨車は両方とも熊本電鉄の社有ボギー貨車でした。 小荷物運搬用の貨車だったと思います。 この頃は、まだ宅配便がなく鉄道小荷物輸送が盛んな時代でした。 熊本電鉄沿線の駅に持ち込まれた小荷物を社有貨車に載せ、それを電車が牽引して上熊本駅まで運んでいました。上熊本で国鉄の荷物車に積み換えられ、全国の駅へ配達されたわけです。(駅までは受け取りに行く必要がありましたが・・・) |
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熊本電鉄C 打越〜池田 1975(S50).8.5 あこがれの混合列車ですから、続きをもう1枚! 電車モハ72号+貨車ヤ4号の編成です。 まもまくトンネルに入り、トンネルを出たところが池田駅です。 |
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熊本電鉄D 北熊本 1975(S50).8.5 分岐駅の北熊本です。 熊本電鉄の拠点駅でした。 30分または1時間毎に繰り返される電車3本並びの光景です。 いろんな電車がいました。その中でも藤崎宮前行きの後ろに付いていた客車の59号はムードがありました。 その昔、熊本電鉄の主力であった切妻形モハ51グループの電車が、電装解除されて客車化されたものです。 行先板の書体が絶妙です! |
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熊本電鉄E 北熊本 1975(S50).8.5 夏休みの少年少女は藤崎宮前からどこへ行くんでしょうか? 車掌のカバンも懐かしいです。 妻面の、ヘッドライトの名残の丸印と、板を貼り合わせた腰板が良い感じですね。 |
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熊本電鉄F 北熊本 1975(S50).8.5 上のDに写っている菊池行きの電車103号が、お客を乗せたまま入換をして貨車を連結します。 この貨車は、1本前の上熊本→北熊本の混合列車(上のA)で運ばれてきて、一旦北熊本に留置された貨車(国鉄からの連絡小荷物を積んでいた)と思われます。 ↓貨車を連結してすぐ、そのまま菊池に向けて出発していきました。 |
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熊本電鉄G 北熊本 1975(S50).8.5 北熊本の車庫で撮りました。 302号は、元小田急の電車です。 右に写っている203号は、元東急の電車です。 |
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熊本電鉄H 北熊本 1975(S50).8.5 中央やや左に写っている121号は、元南武鉄道(国有化されて南武線)の電車です。 中央やや右の71号は、元広浜鉄道(国有化されて可部線)の電車です。 共に「私鉄電車→買収国電→熊本電鉄へ払い下げ」という運命をたどった電車です。 |
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熊本電鉄I 北熊本 1975(S50).8.5 元広浜鉄道の、モハ71号電車のアップです。 好ましいタイプの小型車で、71〜73の3両の仲間がいました。 上熊本〜北熊本の専属車両のような感じでした。 |
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熊本電鉄J 北熊本 1975(S50).8.5 社有ボギー貨車ヤ5号です。 「ヤ」は屋根付きの有蓋車を意味するそうです。 私鉄の社有貨車でボギー車は珍しい存在だったと思います。 なぜ熊本電鉄がボギー貨車を導入したのかよくわかりません。 軽便鉄道の貨車には、線路状態が悪くても脱線しにくく、軸重も軽減できるボギー車がよく使われたと聞いたことがありますので、ナローゲージ時代に製造されて改軌された貨車と思っていましたが・・・ これらの貨車が出来たのは大正12年で、熊本電鉄が改軌・電化された年でした。 |
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熊本電鉄K 北熊本 1975(S50).8.5 藤崎宮方面から、腕木信号機の間を抜けて201号が到着します。 元東急の電車です。 この電車に乗り、菊池に向かいました。 続きは次ページです。 |
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参考図書:
RM LIBRARY 25 「熊本電気鉄道 釣掛電車の時代」 高井薫平・田尻弘行著 ネコ・パブリッシング 2001.8.1発行