三池炭鉱の鉄道  1/2   石炭輸送の貨物列車と、従業員・家族輸送用の客車列車が走っていました。

三池鉄道の地図  三池炭鉱の名は、中学の社会科と炭坑節で覚えました。
三池炭鉱と一言で言いますが、三川坑・万田坑・宮浦坑などいろんな坑口があり、それらを結ぶ鉄道がありました。

採掘された石炭と、従業員及び家族を輸送していた鉄道は三池鉄道と呼ばれていたそうです。

私が私鉄に興味を持ちだして、最初に購入した「昭和47年度私鉄要覧」(運輸省鉄道監督局監修)には、一般の地方鉄道として「(株)三井三池港務所」が掲載されています。
  本  線: 三池浜~三池港 9.3km
  旭町支線: 宮浦~旭町  1.8km
  玉名支線: 原万田~平井 4.1km  計15.2km
全線電化されていて、本線の三池港~万田の手前まで複線で、その他は単線でした。
1973(S48)年には地方鉄道(私鉄)から専用鉄道(工場の引き込み線)に格下げされ、1997(H9)年に三池炭鉱の閉山に伴いほとんどの路線が廃止されました。
(旭町支線が、宮浦にある三井化学の工場の関係で存続しました)

私鉄要覧には、時刻表に載っていない鉄道(主として貨物用)も記載されていましたので、情報の少ない時代の鉄道探しには好都合でした。
私鉄要覧を参考に、私は1975(昭和50)年8月に三池鉄道を訪問しました。
当時は、三池港~平井、三池港~万田(左の地図の青い線)に従業員・家族輸送用の客車列車が走っていました。
1時間に1本程度運行されており、一般人も便乗させてもらえました。
左の地図は20万分の1「熊本」国土地理院S46.11.30発行より
旅客列車が走っていた路線を青く塗りました。
撮影した駅を、駅名を青文字で記入。
撮影場所以外の主要駅を青文字で記入。
三池港駅の石炭荷卸し場  三池炭鉱の鉄道 ①

三池港 1975(昭和50)年8月4日

大牟田駅前からバスに乗り、三川坑のバス停で下車し、少し歩くと三池港の駅がありました。

まず目に入ったのが、石炭の荷卸し用の高架橋でした(左写真)。

石炭車(セラ)の下側に排出口があり、線路の間の穴に落とし、下に積み上げていくようになっていました。

貨車の長さと高架橋の橋脚のピッチが同じなのに感心しました。
  三池炭鉱の鉄道 ②

三池港 1995(平成7)年6月1日

この写真は上の①の20年後です。
貨車による石炭輸送が、ほとんど終わりかけていた頃です。
石炭荷卸し用の高架橋が廃墟のようになっていました。
そこへ登って上から撮った写真です。線路の間に穴が開いていて、そこから下へ石炭を落とす構造になっていたことが分かります。

インターネット(Wikipedia)で調べると、荷卸しのとき、九州の石炭車は線路の間に落とす構造の2軸車(セラ)を使い、北海道の石炭車は線路の両側に落とす構造のボギー車(セキ)を使っていたそうです。
地上側の設備がそのようになっていたので、貨車の構造もそれにあわせて作られたということです。

  三池炭鉱の鉄道 ③

三池港 1975(S50).8.4

三池港駅のホームです。

ホームの向こう側ににいる列車は、万田から到着した列車です。
EB型の小型電気機関車が客車2両を引っ張ってきました。
機関車は、これから切り放し、機回し入換を行い、客車の向こう側に連結して折り返していきます。

 
  三池炭鉱の鉄道 ④  Nさん撮影

三池港 1974(S49).3.30

上の写真③の逆方向を見ます。
ここで行き止まりになっています。

Nさんが私より1年前に訪問したときの写真です。
三池港に到着した客車列車から機関車を切り放して、機回し入換の途中です。
写真左側にホームがあり、客車列車から降りたお客さん(従業員の家族?)が大牟田の町へ向かいます。
結構たくさん乗っていましたね。
  三池炭鉱の鉄道 ⑤

三池港 1975(S50).8.4

地面から出ている煙突をバックに、三池港駅に客車列車が到着しました。

三池港のホーム端から撮りました。

  三池炭鉱の鉄道 ⑥

三池港 1975(S50).8.4

上の写真⑤の続きです。
到着した列車から電気機関車を切り放し、機回し入換です。

 
  三池炭鉱の鉄道 ⑦

三池港 1975(S50).8.4

電気機関車を反対側のロクサン型電車のなれの果て客車の前に連結しました。
次の列車まで時間があるようで、奥の方へ推進していきました。

撮影場所の背面がホームです。

この左側に貨物ヤードがあったのですが、当時はそちらのほうへ行きませんでした。チョット悔やまれます。
 
  三池炭鉱の鉄道 ⑧

三池港 1995(H7).6.1

上の①、③~⑦の20年後です。

さすがに客車列車はありませんでした。
Wikipediaによれば、1984(S59)年に通勤列車は廃止になったということです。
三池炭鉱閉山の2年前の三池港駅の貨物ヤードです。
上の写真⑦の左側の風景です。

廃止のせまった三池港駅です。このころは三池港駅の近くにある火力発電所に石炭を運ぶために残されていると現地で聞いたか、本に書いてあったか・・・記憶が定かでありません。

このときの訪問は時間がなくて、大牟田からタクシーで三池港駅まで行き1時間程度撮影して、また大牟田に戻りました。

  三池炭鉱の鉄道 ⑨

三池港 1995(H7).6.1

上の写真⑧から少し奥へ入って撮りました。

  三池炭鉱の鉄道 ⑩

平井 1975(S50).8.4

20年後からまた元に戻ります。

上の⑦の続きで、写っている列車に乗って、玉名線の終点平井に到着しました。
早速、機関車が機回し入換をしています。
  三池炭鉱の鉄道 ⑪

平井 1975(S50).8.4

三池港に向けて出発準備が整いました。
出発時間が近づいてきたようで、お客さんが集まり始めました。
ものすごく暑い日でした。

この列車に乗って、玉名線の分岐駅原万田へ戻りました。
   
⑫ 原万田 1975(S50).8.4
 原万田のホームにいると、三池浜方向から貨物列車がやってきました。
 右に分岐しているのが玉名支線の平井方面です。
⑬ 原万田 1975(S50).8.4 
 今度は、反対の三池港方面から貨物列車がやってきました。
 高圧線の鉄塔の下を走ります。
 
三池炭鉱の鉄道 ⑭ 

原万田 1975(S50).8.4 

上の⑬の貨物列車の後ろ姿です。
石炭満載のいろんな貨車をつないでいます 。
Topページに戻る  次のページへ