津島軽便堂写真館

廃止が迫った頃の谷汲線5  赤石(根尾川沿い)北野畑  1谷汲へ 2谷汲-長瀬 3長瀬 4赤石 6北野畑へ

谷汲線(96)

赤石~北野畑 2000(H12).8.13

根尾川で鮎釣をする人と、谷汲線の赤い電車です。
水の色がとても綺麗でした。

赤石~北野畑間は、根尾川沿いを走り、谷汲線で一番の車窓風景でした。
並行する道路は狭くて交通量が少なく、線路は道路より一段高い所を走っていましたので、対岸から撮っても絵になる場所でした。
長瀬~北野畑の1/5万地図です。

谷汲線を
でなぞり、この頁の撮影ポイントを印で記入し、写真番号を青字で記入しました。
なお、地図で見ると赤石駅の北側も根尾川に沿っていますが、そちらの方は道路が線路より高い位置にあり、車窓から川は眺められませんでした。

左の地図は、国土地理院1/5万
 
「谷汲」1967(S42).9.30発行に追記
谷汲線(97)

赤石~北野畑 2000(H12).8.13

鮎釣の客がたくさんいました。その向こうを赤い電車が通りました。

上の写真よりも早い時間帯に撮りました。
この下流(左側)には水泳客が大勢いました(下の写真)
谷汲線(98)

赤石~北野畑 2000(H12).8.13

根尾川の河原は水泳客(川水浴?)で賑わっていました。
暑い日だったので、ビーチパラソルの日陰はありがたかったと思います。


赤石ヤナで、Nさんとビールを飲みながら鮎料理に舌鼓を打ちつつも、電車が通る時間になると、川縁まで出て撮った写真が(98~103)です。
谷汲線(99) 赤石~北野畑 2000(H12).8.13 谷汲線(100) 赤石~北野畑 2000(H12).8.13

谷汲線(101) Nさん撮影

赤石~北野畑 2000(H12).8.13

2人とも酔っ払っていましたが、飲む量が少し少なかったNさんが撮った写真です!
人がいっぱい写っていて、楽しくなりますね!。
谷汲線(102)

赤石~北野畑 2000(H12).8.13

若者たちが川の中を歩いています。このあたりは、少し深くなっているようでした。
(年寄りが酔っ払いながら河原で撮りました・・・)
谷汲線(103)

赤石~北野畑 2000(H12).8.13

少し遅い時間帯まで粘っていたら、日が電車の側面にあたるようになりました。
この日はこれで撤収しました。

赤石駅まで歩く途中に撮ったのが、このページ一番上の写真(96)です。赤石駅から赤い電車に乗って帰りました。
谷汲線(104) Nさん撮影

赤石~北野畑 1973(S48).1.4

上の写真(103)の27年前です。
連接車モ401号が走っていました。電車の色も緑色でした。
この当時は見通しが良く、運が良ければ、対岸の国鉄樽見線の列車を見ることができました。
(列車本数が多く便利だった谷汲線が廃止になり、本数が少なかった樽見線が存続するとは!? この当時予想できなかったです。世の中、先のことはわからんものですね!)


冬枯れの沿線ですが、写真を見比べると、27年間で線路(道路)沿いの樹木が生長し、見通しが悪くなったことがわかります。
谷汲線(105) 赤石~北野畑 2001(H13).7.1

上の写真(104)の28年後、谷汲線の最終年でした。北野畑を出発した510形が川沿いを走ります。
谷汲線(106) 赤石~北野畑 2001(H13).7.1

左の写真と同じ場所ですが少し遅い時間で、日が当たるようになってからアップで撮りました。
谷汲線(107)

赤石~北野畑 2001(H13).7.1

510形が川沿いを走ります。

梅雨明け前で水量も多く、川沿いには行楽客の姿がまだありませんでした。
谷汲線(108)

赤石~北野畑 2001(H13).7.1

750形の2連も根尾川沿いを走りました。

この日は、750形三重連の記念列車で揖斐線忠節~黒野間を3往復したあと、その記念乗車客を乗せて、2連で谷汲線へ入ってきました。
↑谷汲線(109) 赤石~北野畑 2001(H13).7.1
←谷汲線(110) 赤石~北野畑 2001(H13).9.22 Nさん撮影

廃止の約1週間前です。川沿いを走る510形を正面から撮りました。
谷汲線(111)

赤石~北野畑 2001(H13).5.5

新緑の山を背景に、赤い電車が映えます。
谷汲線(112)

赤石~北野畑 2000(H12).11.23

晩秋の谷汲線です。
谷汲線(113)

赤石~北野畑 1999(H11).1.10

大雪の日でした。
長瀬駅から写真を撮りながら雪まみれになって歩いてきました。この場所が気に入り、谷汲行きの電車を待ちました。
↑谷汲線(114) 赤石~北野畑 1999(H11).1.10

上の写真(113)の電車の後ろ姿です。
(この電車が谷汲で折り返し、30分後に戻って来た姿が左の写真です)
←谷汲線(115) 北野畑 1999(H11).1.10

北野畑駅の北側の分岐部です。
分岐器の先端部は、凍結防止用にレール下でカンテラを焚いているため、レールの雪が溶けていますが、その他の部分は真っ白です。

雪がまた激しく降りだし、谷汲を出て10分ほど走っただけで、751号の前面が白くなってしまいました。
谷汲線(116)

 北野畑 1999(H11).1.10

北野畑駅の交換シーンです。

谷汲行きの755号が、駅長から北野畑~谷汲間の通票(スタフ)を受け取ります。
谷汲線(117) 北野畑 1999(H11).1.10

駅長の出発合図を受けて、755号が出発しました。
谷汲線(118) 北野畑 1999(H11).1.10

出発直後の755号です。左の線路は電車が通り過ぎたばかりなので、レールが見えていますが、右側のレールは雪に隠れ白くなっていました。

谷汲線(119)

 北野畑 1999(H11).1.10

755号が、スノープローで雪を掻き分け出発しました。


谷汲線の昭和18(1943)年の配線図を調べると、稲富・更地・北野畑・長瀬が交換駅でしたが、昭和30年代以降は北野畑だけが交換駅として残りました。
その北野畑駅の北側です。

この続きの、北野畑駅を南側(順光側)から撮った写真は、次頁に掲載します。
 2017(H29).2.23up
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参考図書: 「名古屋鉄道社史」 1961(昭和36)年5月 名古屋鉄道発行
       「写真が語る名鉄80年」 1975(昭和50)年3月 名古屋鉄道発行
       「名古屋鉄道百年史」 1994(平成6)年6月 名古屋鉄道発行