津島軽便堂写真館

廃止が迫った頃の谷汲線 3 (結城)長瀬赤石   1谷汲  2谷汲-長瀬  4赤石 5赤石-北野畑 6北野畑

谷汲線(50)

 長瀬 1999(H11).1.10

大雪が降った日に出かけました。
忠節付近では雪が少し積もっていた程度ですが、谷汲へ向かうにつれて雪が深くなってきました。

黒野駅から、雪まみれになったスノープロー付きの755号谷汲行きに乗り、長瀬駅で下車してすぐ、出発する電車を撮りました。
 (降りたのは私一人でしたが・・・)
谷汲線(51)

 長瀬 1999(H11).1.10

上の写真の続きで、出発した755号の後ろ姿です。



このあと、雪の降る中を谷汲方向へ歩き、この折り返し電車を撮りましたが、ピンぼけ写真だったので、小さくして前ページの最後(49)に掲載しました。
念のため前頁最後の写真を再掲します。
↓谷汲線(49) 谷汲~長瀬 1999(H11).1.10
谷汲線(52)

長瀬~谷汲 1999(H11).1.10

長瀬を出発し、最初のカーブを曲がった谷汲行き751号です。
雪が一旦小降りになりました。

この日は日曜日で、谷汲線は初詣用に増発され、30分間隔で運転。751号と755号の2本が運用されていました。
谷汲線(53)

長瀬~赤石 1999(H11).1.10

長瀬を出発した黒野行き751号です。
また雪が激しく降ってきて、真っ白の景色の中を走りました。


この大雪の日は、このあと雪まみれになりながら、更地駅まで約4.5kmを歩きました。その途中の鉄橋・赤石・北野畑などで撮った写真は次頁以降に登場します。
長瀬駅付近の1/5万地図です。

谷汲線を
でなぞり、この頁の撮影ポイントを印で記入し、写真番号を青字で記入しました。
(左上の印は前頁の撮影ポイントです)

左の地図は、国土地理院1/5万
 
「谷汲」1967(S42).9.30発行に追記
谷汲線(54)

長瀬~谷汲 2001(H13).5.5

田植え直後の田圃と赤い電車です。背景には古い農家もあり、里山の風景という感じがして、私のお気に入り写真です。
谷汲線(55)

長瀬~谷汲 2001(H13).5.5

上の写真(54)の少し長瀬寄りです。
谷汲線(56)

長瀬~谷汲 2001(H13).8.18

上の写真(54・55)から3ヶ月チョットで田圃は黄色くなりました。
谷汲線(57)

長瀬~谷汲 2000(H12).11.23

線路脇の神社のイチョウの木が黄葉していたので、それを無理矢理入れて撮りましたが、ゴチャゴチャした写真になってしまいました。
谷汲線(58)

長瀬~谷汲 1997(H9).4.13

採石場の山に登り、谷汲線を俯瞰しました。
電車のいる場所は、上の写真(52)と同じです。
谷汲線(59)

長瀬~谷汲 1989(H1).4.10

長瀬駅へ到着する751号の谷汲行きです。
線路跡や貨物ホームがそのまま残されており、昔は貨物扱いのある交換駅だったことが分かります。

右奥の山肌が削られているところが採石場で、上の写真(58)はその中腹から撮りました。
谷汲線(60)

 長瀬 2001(H13).8.26

廃止約1ヶ月前の長瀬駅です。

栗の実がなり、ススキの穂が出て、既に秋の気配が漂っていました。
谷汲線(61) Nさん撮影

 長瀬 1973(S48).1.4

長瀬駅を俯瞰しました。
この頁の写真は廃止が迫った頃の谷汲線ですが、この1枚だけは別で、昭和40年代です。
モ401がいた頃の谷汲線3(長瀬)の頁へ掲載し忘れたので、ここに掲載します。

連接車モ401+ク2151の編成が長瀬駅に停車中です。昭和40年代の谷汲線の電車は、こんな緑色でした。
(私は緑色電車の方が好きでしたが、赤色の方が写真写りは良いですね!)
(ク2150形は、モ750形の電装解除した車両のため、750形と同じ形状です)
谷汲線(62)

長瀬~赤石 1989(H1).4.10

向こうに見える長瀬駅ホームを出発してきた750形電車です。
春の田圃の畦道にはレンゲが咲いていました。
谷汲線(63)

長瀬~赤石 2001(H13).5.5

田圃に水が張られて、田植えの準備ができました。


昭和40年代(1970年頃)までは、日本の各地でこのようなローカル私鉄風景が見られたました。
谷汲線は、電車も施設も風景も全部含めて「田舎の電車」という表現がピッタリ当てはまる路線でした。
谷汲線(64)

長瀬~赤石 2001(H13).7.1

すぐ上の写真(63)から2ヶ月。
青々とした田圃を510形2連が走りました。
谷汲線(65)

長瀬~赤石 2001(H13).8.26

すぐ上の写真(64)から更に2ヶ月。
稲刈りの季節を迎えました。
廃止まで、残り1ヶ月・・・
谷汲線(66)

長瀬~赤石 1995(H7).1.15

長瀬駅の南のカーブです。
採石場を背景に、ク2320形+モ700形の編成が走ります。
谷汲線(67)  Nさん撮影

長瀬~赤石 1999(H11).2.7

雪化粧で綺麗になった採石場を背景に、モ750形が走ります。
上の写真(66)と同じ場所で4年後ですが、だいぶ山が削られました。

白い景色に赤が映えますね!

この日は、Nさんの車で一緒に廃止間近の美濃町線(新関~美濃・1999/H11.4.1廃止)へ撮影に行き、その帰りに谷汲線も寄りました。美濃町線より谷汲線の方が雪が多く、ここは北側斜面なので夕方でも前夜の雪が残っていました。
谷汲線(68)

長瀬~赤石 2000(H12).11.23

斜光線を受け、紅葉した木が採石場バックに輝いていました。
谷汲線(69)

長瀬~赤石 1997(H9).4.13

採石場から谷汲線を俯瞰しました。
谷汲線(70)

長瀬~赤石 1997(H9).4.13

上の写真(69)の続きです。
703号と751号の2連でした。
700形は片運転台になっていましたので、連結側にヘッドライトがありません。
谷汲線(71) Nさん撮影

長瀬~赤石 2001(H13).9.22

谷汲線廃止の約1週間前です。

長瀬を出た510形2連は、カーブを曲がり、このすぐあと踏切を渡り、管瀬川鉄橋を渡って赤石に向かいます。
谷汲線(72)

長瀬~赤石 1998(H10).4.5

踏切と管瀬川鉄橋に挟まれた場所です。
700形と750形の似たもの同士です。
よく見ると、ドア下の裾が700形(右)の方が下へ伸びています。従って床下の切れ込みが少し大きく見えます。
谷汲線(73)

長瀬~赤石 1998(H10).4.5

谷汲線で一番長い管瀬川鉄橋です。管瀬川は鉄橋のすぐ向こう側で根尾川に合流します。
近くに桜の木があり、ちょうど満開でした。鉄橋の向こう側の遠くに見える桜並木は、樽見鉄道の木知原駅付近です。

この管瀬川鉄橋は谷汲線の撮影名所の一つでした。
ここで撮った写真はたくさんありますので、続きは次頁に掲載します。
 2017(H29).2.8up
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参考図書: 「名古屋鉄道社史」 1961(昭和36)年5月 名古屋鉄道発行
       「写真が語る名鉄80年」 1975(昭和50)年3月 名古屋鉄道発行
       「名古屋鉄道百年史」 1994(平成6)年6月 名古屋鉄道発行