廃止が迫った頃の谷汲線 1 谷汲駅 昭和40年代の谷汲線へ 2谷汲-長瀬へ 3長瀬へ 4赤石へ
↑この地図は、20万分の一の「岐阜」です。国土地理院 昭和43年6月30日発行 |
名鉄谷汲線が廃止になったのは、2001(平成13)年10月1日でした。 廃止が迫った頃、風景・車両共に魅力的な鉄道は、谷汲線が日本一だと私は思っていました。全国から大勢のファンが訪れ、ちょっとしたフィーバーになっていました。 昭和50年代(1977)から、廃止になった平成13(2001)年まで14年間の谷汲線(左図の赤線)の写真をアップします。 谷汲駅から黒野駅に向かって順にご紹介します。第1弾は谷汲駅です。 なお、昭和40年代、モ400形やモ180形が活躍していた頃の谷汲線は、 「モ401号が走っていた頃の谷汲線」をご覧ください。 |
↑谷汲線① 旧谷汲駅 2013(H25).3.30 廃止から11年半後の谷汲駅です。 駅と755号(左)と514号(右)が綺麗な状態で保存されています。保存活動をされている皆様には頭が下がります。 |
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←谷汲線② 谷汲駅 1977(S52).4.12 桜の咲く谷汲駅に停車中の510・520形です。 1975(昭和50)年から、名鉄電車は全部真っ赤に塗り替えられ始めました。 岐阜市内線~揖斐線直通運転用の510・520形は、赤白塗装から赤一色になりました。 その他の谷汲線電車は、昭和40年代まで緑色だったのですが、全部赤い電車になりました。 旧型電車に赤一色なんて似合わないと当初は思っていましたが・・・ |
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谷汲線③ 谷汲駅 1981(S56).1上旬 大雪が積もった谷汲駅前です。 谷汲線は名鉄で一番の積雪量を誇っていましたが、これだけ積もった谷汲駅前を見るのは、私にとって最初で最後でした。まるで豪雪地帯の駅のようです。 |
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谷汲線④ 谷汲駅 1981(S56).1上旬 谷汲駅1番線の末端は屋根から落ちた雪で埋まっていました。 |
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谷汲線⑤ 谷汲駅 1981(S56).1上旬 雪に埋もれた谷汲駅です。 この年は五六豪雪と呼ばれ、記録的豪雪でした。(③~⑤の写真) もっと撮っておけば良かったと思うのですが、この当時は鉄道写真の休眠時代であまり写真を撮っていません。 この年の福井はもっと凄い豪雪だったようで、名鉄の車両工場(名鉄住商)にも福井鉄道から救援要請があり、大勢の人が交代で除雪作業に動員されました。(この当時福井鉄道は名鉄の関連会社で、そのトップに車両出身の人がいたそうです) |
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谷汲線⑥ 谷汲駅 1988(S63).4.12 桜の咲く谷汲駅です。 電車の停まっている左側にも、昔は線路があったことが貨物ホーム跡などから偲ばれます。 ↓「写真が語る名鉄80年」P65に掲載された開業時(1926/大正15年)の谷汲駅の写真です。貨物側線が2本あったことが分かります。写っている電車は谷汲鉄道デロ1形です。 |
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谷汲線⑦ 谷汲駅 1988(S63).4.12 谷汲駅の手前には、綺麗な花が咲いていました。木蓮の一種でしょうか? 花や木のことはよく分かりません・・・ |
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谷汲線⑧ 谷汲駅 1995(H7).1.15 再び雪の谷汲駅です。 この当時、1月15日は成人の日の祝日でした。 1月の土日祝日は、初詣客用に谷汲線も増発されましたが、電車で谷汲まで初詣に来るお客さんは減っていました。 谷汲線の晩年は、日中1時間おきの運転でしたが、初詣・春・夏・秋の行楽シーズンの土日祝祭日は30分おき運転に増発されました。 |
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谷汲線⑨ 谷汲駅 1995(H7).1.15 谷汲駅の旧駅舎です。 西国三十三所巡り三十三番目の満願霊場の玄関駅にふさわしい堂々たる立派な駅舎でした。 1926(大正15)年の開業時に造られたこの駅舎も、この翌年(1996/H8年)に建て替えらたということで、旧駅舎最後の頃の写真です。 |
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谷汲線⑩ 谷汲駅 1995(H7).1.15 752号を谷汲駅の横で撮りました。 降り積もった雪が枝から落ちました。 このあと、この電車の走行写真を撮るために線路脇の道を歩きました。 (谷汲~長瀬間の写真は次頁に掲出します) |
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谷汲線⑪ 谷汲駅 2001(H13).5.5 谷汲線最後の年のゴールデンウィークです。 頑張って走ってきた谷汲線も、いよいよ最後の年を迎えました。 この年の9月末限りで営業を終了し、10月1日付けで廃止となりました。 |
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谷汲線⑫ 谷汲駅 2001(H13).5.5 少し高い位置から見下ろしました。 |
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谷汲線⑬ 谷汲駅 2001(H13).5.5 ホームのツツジは綺麗に手入れされていました。 |
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谷汲線⑭ 谷汲駅 2001(H13).5.5 谷汲駅を出発した751号です。 後方の駅舎は、1996(平成8)年、谷汲昆虫館を併設した新駅舎に建て替えられました。 |
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谷汲線⑮ 谷汲駅 2001(H13).7.1 谷汲駅の510形です。 谷汲線と揖斐線黒野~本揖斐間の晩年は、750形3両(751・754・755号)により運用されていました。ときどき510形が入ることもありましたが、それは運次第という状況でした。 谷汲線廃止3ヶ月前のこの日は、揖斐線の忠節~黒野間で750形の三重連運転イベントが行われることになっていました。 そうなると、谷汲線には510形が入ることが容易に予想されました。510形をメインに、750形の三重連も撮ろうと、張り切って朝から出かけました。 |
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谷汲線⑯ 谷汲駅 2001(H13).7.1 谷汲駅の改札口付近からです。 考えることは皆一緒で、谷汲線510と揖斐線750×3連を車で掛け持ちするファンが大勢いました。 (カレンダーで調べると2001.7.1は日曜日) |
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谷汲線⑰ 谷汲駅 2001(H13).9.29 営業最終日前日の谷汲駅です。 さよなら系統板もついていました。 天気が良くて、大勢の人がお名残乗車に来ていました。 みんなで記念写真。はいチーズ! この翌日(9/30)は、谷汲線の営業最終日で名残りを惜しむように涙雨が降りました。 |
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谷汲線⑱ 谷汲駅跡 2002(H14).7.7 廃止から1年後、谷汲駅へ755号が戻って来ました! 谷汲線と揖斐線黒野~本揖斐間の廃止(2001/H13.10.1)により、750形3両(751・754・755号)も同時に廃車となりました。 750形3両は廃車後もしばらく市ノ坪の岐阜工場で留置されていました。 谷汲村で保存という話も出ましたが、費用がかかるので村議会で否決され、村は保存に消極的でした。廃止から半年経過し、保存はダメかと諦めかけた頃、「赤い電車を谷汲駅に保存する会」の代表が4月に名鉄住商へ来社、保存のため地元で募金活動を始めるので輸送費の見積を出してほしいと依頼がありました(私が応対)。保存会が中心になって募金活動が始まり、その熱意に動かされ、谷汲村も補正予算を組んで保存する方向に動き始めました。そして6月に保存が正式決定しました。750形3両のうちトップナンバーの751号が保存されると思ったのですが、保存会に達人がいて、車内が最も原形に近い755号を希望されました。 755号は1932(昭和7)年に半室畳敷き(日本初のお座敷列車!)に改造され、柳橋から高山線下呂まで直通運転をしたという輝かしい歴史を持っています。(なお、残った750形2両も、そのすぐ後に瀬戸市と北方町の個人から譲渡依頼があり、結果的に3両とも保存されました) 755号は、名鉄から谷汲村へ譲渡されましたが、車両輸送費は保存会が負担し、保存会からの発注により名鉄住商が輸送を請け負い、1ヶ月後の7/4にトレーラーで搬入しました。7月7日に保存会のメンバーが手押しで谷汲駅ホームへ入線させるイベントを行うことになり、私も請負業者の一員として参加しました。 |
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谷汲線⑲⑳ 谷汲駅跡 2002(H14).7.7 大勢の人が集まり、「おかえりなさい赤い電車」のイベントが開催されました。 | |
谷汲線(21) 谷汲駅跡 2002(H14).7.7 太鼓演奏のあと、赤い電車保存会のメンバーが力を合わせて、755号をホームまで押してきました。 翌日の朝日新聞に掲載された写真です。 私が写っていたので、新聞社に頼んでプリントしてもらいました(有償)。 私は作業服を着て先頭にいますが、これは、あまり勢いよく電車を押されると危険なので注意喚起するためと、電車を止めるためです。 保存車はノーブレーキなので、動き出すと転がっていってしまい簡単には止められません。停止位置では車輪とレールの間に木の棒を突っ込んで止めます。そのために左手に木の棒を持っています。 |
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谷汲線(22) 谷汲駅跡 2002(H14).7.7 「おかえりなさい赤い電車」の横断幕が素晴らしいですね! 谷汲の「赤い電車保存会」は保存の目的を達したので、「赤い電車友の会」と名前を変えて、その後の維持管理を行っています。 このあと、755号の上に屋根ができ、ホームの反対側に514号も保存されました。 |
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谷汲線(23) 谷汲駅跡 2016(H28).4.2 保存から14年経過した755号です。 保存車両も、雨ざらしで長年保存されていると、ボロボロになってきて、知らぬ間に解体される場合があります。 谷汲駅の電車は屋根のおかげで綺麗な状態を保っています。(ボランティアの方の保守整備も効いていると思いますが) 電車と駅が、末永く保存されることを願っています。 |
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↓谷汲線(24) 谷汲駅跡 2016(H28).4.2 ホームを挟んで514号が屋根付きで保存されています。 |
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←谷汲線(25) 旧谷汲駅前 2016(H28).4.2 旧谷汲駅(現・昆虫館)前の514号!?です。 電車によく似たバスは、谷汲参道らくらくバスと呼ぶそうですが、514号の特徴を捉えてよくできていますね。 →岩戸工業製ということです。 |
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2017(H29).1.20up | |
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参考図書: 「名古屋鉄道社史」 1961(昭和36)年5月 名古屋鉄道発行
「写真が語る名鉄80年」 1975(昭和50)年3月 名古屋鉄道発行
「名古屋鉄道百年史」 1994(平成6)年6月 名古屋鉄道発行