津島軽便堂写真館
この地図は、20万分の一の「岐阜」です。
 国土地理院 昭和43年6月30日発行

 赤の線が谷汲線(全駅名を入れました)
 青の線が揖斐線です

谷汲線(モ401号がいた頃)1  谷汲             廃止が迫った頃の谷汲駅
         結城へ  長瀬へ  赤石・北野畑へ  更地へ  黒野へ  さよなら401号

揖斐・谷汲線の地図
名鉄谷汲線が廃止になったのは、2001(平成13)年10月1日でした。
廃止まで、風光明媚な谷汲線を昭和初期に造られた(時々は大正生まれも)旧型電車が走っていました。この頃、風景・車両共に魅力的な鉄道は、谷汲線が日本一だと私は思っていました。全国から大勢のファンが訪れ、ちょっとしたフィーバーになっていました。

それより28年前、1973(昭和48)年11月4日に、谷汲線で連接車401号のお別れ運転が行われました。
私は、この連接車400形と、同時期に活躍していた180形が大好きでした。
その頃の写真をご覧ください。
名鉄谷汲線

谷汲@ 1972(昭和47)年12月3日

終点谷汲で、運転士が行き先を変えます。
ブック式の行き先板でした。

私のお気に入りの写真です。


この頃の揖斐・谷汲線の電車の色は、510・520形を除き、上の記念乗車券のように緑色でした。
名鉄本線のAL車も緑色の時代でしたが、本線の方はもっと濃い緑色(濃緑色)で、600V線区の揖斐・谷汲線と瀬戸線は、それより明るい緑色でした。

名鉄谷汲線

谷汲A 1973.1.4

谷汲駅停車中の752号です。

谷汲線廃止の2001(平成13)年まで、750形の最後の3両が谷汲線で活躍し谷汲線廃止と共に廃車となりました。最後に残った751・754・755号のうち、755号が谷汲駅に保存されました。

下の写真は「赤い電車友の会」の尽力により、755号が廃止後の谷汲駅に運び込まれた日(2002年7月7日) です。
名鉄谷汲線

谷汲B 1973.1.4

谷汲駅の出札口改札口風景です。



この頃は、下の写真のように初詣客でそれなりに混んでいました。

↓谷汲C 1973.1.4
名鉄谷汲線

谷汲D 1973.1.4

谷汲駅の駅前風景です。

谷汲駅にも「豊川稲荷初詣」の看板が出ていました。

名鉄谷汲線

谷汲E 1973.4.19

学校の行事で、地元中学生の団体が乗り込みます。

 
   
谷汲F 1972.12.3 510+520形が西日を浴びて客待ちしています。 谷汲G 1972.12.3 510形の運転台です。谷汲を出発しました。
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