谷汲線 (モ401号がいた頃)  5  黒野付近

  名鉄谷汲線

黒野北口@ 1973(S48)年4月19日

黒野北口を黒野行きが出発していきます。
この小学生たちはホームで遊んでいるように見えますが、谷汲行きの電車を待っていたと思われます。

この当時、平日の午後に谷汲線に乗ると、通学定期を持った学校帰りの小学生をよく見かけました。
  名鉄谷汲線

黒野北口A 1973.4.19

上の写真@の次で、モ765号が黒野で折り返し、谷汲行きとなって黒野北口に到着しました。
乗降客の多さに驚かされます。
   
名鉄揖斐・谷汲線

黒野@ 1972(昭和47)年6月

谷汲線が揖斐線から分岐していた黒野駅です。
黒野駅の構内には、揖斐・谷汲線の電車の車庫や乗務員の詰め所があり、揖斐・谷汲線の中枢でした。

古い電車によく似合う古い建物が建ち並び、昔の地方鉄道の面影が色濃く残る素晴らしい駅でした。

谷汲線廃止(2001年)まで、この風景はあまり変わりませんでした。
(奥の車庫がなくなり、車両の大部分が入れ替わりましたが)
  名鉄揖斐・谷汲線

黒野A 1972年6月

上の写真(黒野@)の逆方向から見た黒野駅です。
  名鉄揖斐・谷汲線

黒野B 1972.12.3

形式が違う緑色の3種類の電車が並びました。
2151号の後ろ(谷汲に向かって前)には401号もいます。

 
  名鉄揖斐・谷汲線

黒野C 1972.12.3

黒野の奥にあった車庫です。
谷汲線廃線の頃は、既に解体撤去されていたようです。

  
  名鉄揖斐・谷汲線

黒野D 1973.1.4

大好きな小型車180形2連です。

 
  名鉄揖斐・谷汲線

黒野E 1972.12.3

新岐阜から岐阜市内線の路面区間を走り、忠節から揖斐線に乗り入れてきた、鉄道・軌道直通運転の急行電車(510形+520形)が黒野に到着しました。
この列車の到着を待って、谷汲行きの電車が出発するダイヤになっていました。
右のホーム(1番線)には、本揖斐発新岐阜行きの急行電車が待っています。
昼間は3本のホームに3列車が並び、順次出発していく賑やかさが30分ごとに繰り返されました。

 
  名鉄揖斐・谷汲線

黒野F 1973.4.19

夕暮れ迫る黒野駅です。
行燈形案内表示器が光っています。

この当時、夕方の谷汲行きに、かなりお客さんが乗っていました。
  
  名鉄揖斐・谷汲線

黒野G 1973.4.19

夕方の忠節行き急行です。
この時間帯は新岐阜直通はなく、忠節折り返しでした。185号1両で運転されるような感じです。
(新岐阜〜忠節〜本揖斐の直通運転は昼間だけでした)
  名鉄揖斐・谷汲線

黒野H 1973.4.19 

本揖斐から180形2連の黒野止まりが到着します。
駅員の掲げる誘導信号によりゆっくりと進みます。
本揖斐から乗ったお客さんは、上の写真の忠節行き急行に乗換です。
  名鉄揖斐・谷汲線

黒野I 1973.4.19 

401号の本揖斐行きが黒野を出発しました。
  名鉄揖斐・谷汲線

黒野J 1973.4.19

完全に暗くなってからも電車は来ました。終電は結構早かったという記憶があります。






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