筑豊の石炭記念館めぐり 3 直方市石炭記念館 田川博物館へ 宮若記念館へ
直方市石炭記念館 筑豊炭田の炭鉱が相次ぐ閉山により風前の灯火となった1971(昭和46)年7月に、「炭鉱の歴史」を後世に伝えるため、直方市石炭記念館が誕生しました。筑豊の石炭記念館の中で最も古い歴史があります。 |
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直方石炭① 1975(S50).8.3 直方市石炭記念館は、直方駅のすぐ南にあります。 そこへ最初に訪問したのは1975(昭和50)年の夏でした。 まずはナローの凸電(凸型電気機関車)を見て大喜びしました。 右下の線路は、国鉄筑豊線・伊田線です。蒸気機関車は既に引退し、DD13が入換をしていました。 |
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直方石炭② 1975(S50).8.3 凸電と炭車(石炭運搬用の貨車)がつながって並んでいるのを真横から撮りました。 鯰田炭鉱(飯塚市)で使用された機関車です。 |
直方石炭③ 1975(S50).8.3 凸電のアップです。真横から | 直方石炭④ 1975(S50).8.3 凸電のアップです。斜め前から 右後方には竪坑櫓が見えます。 |
↑直方石炭⑤ 1975(S50).8.3 救護訓練坑道と坑内用ディーゼル機関車です。 訓練坑道は、坑内災害発生の際、実戦即応できるよう救護隊員の訓練用に、1922(大正11)年に建設された施設です。 直方石炭⑥ 1975(S50).8.3 上にそびえるのは炭鉱のシンボル竪坑櫓で、三井田川鉱業所伊田坑の第二竪坑櫓を1971(S46)年にここへ移築されました。しかし、1992(H4)年に解体され現存しません。 |
直方石炭⑦ 1975(S50).8.3 貝島炭礦・大之浦炭鉱で閉山まで使用された人車です。 三井田川鉱業所伊田坑の第二竪坑櫓も保存されていました。 |
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直方石炭⑧ 1975(S50).8.3 人車です。説明板を読むと↓ -------------------------------- この6両編成の人車・救急車は筑豊炭田における 坑内掘り最後の炭鉱である大之浦炭鉱で閉山のその日まで、鉱員さん達を坑内から、地上に運びあげて最後の勤めを果たしおえた記念の列車です。 寄贈 貝島炭礦株式会社 -------------------------------- 手前の救急車とは、斜坑で万一ロープが切断したときなどに、人車を停車させる安全装置を搭載した安全装置車です。 |
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直方石炭⑨ 1975(S50).8.3 圧縮空気式機関車(エアーロコ)です。 メタンガスの多い坑道で、安全のために使われた機関車です。 |
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直方石炭⑩ 1975(S50).8.3 ロッカーショベルです。 説明板を読むと 本機は圧気動にて坑道掘進現場に石岩、硬の積込みに使用するものです。動力はエアーモーター17RU×1台で能力は60~90立方米/時です。展示品は芳雄炭鉱にて使用されていたものです。 |
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直方石炭⑪ 1975(S50).8.3 セム1号車です。説明板を読むと この石炭車は明治37年に当時の九州鉄道行橋製作所で製作されたもので、セム第1号という記念すべき石炭車です。(以下略) |
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直方市石炭記念館パンプレット1 上の写真①~⑪の39年後の同じ日(2014/H26.8.3)に直方市石炭記念館を再訪しました。 そのときのパンフレットです。 三つ折りのパンフレットを広げてスキャナで取り込みました。 この日は、田川市石炭・歴史博物館→宮若市石炭記念館→直方市石炭記念館と1日で3ヶ所の石炭記念館を巡りました。 |
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直方市石炭記念館パンプレット2 上のパンフレットの裏面(内側)です。 展示場配置図です。39年前の写真と比べると、別館が建て替えられ大きくなり、コッペル32号蒸気機関車が追加で展示(左図のC)されました。 それに伴い配置変更が行われ、坑外用電気機関車(凸電)が展示場の隅っこ(左図のC→H)へ移動しました。 |
直方石炭⑫ 2014(H26).8.3 上の写真①~④から39年。久しぶりに見た凸電はだいぶ痛んでいました。塗装も塗り始めて途中でやめたような感じで、残念な姿でした。 保存場所も、展示場の一等地をコッペル32号蒸気機関車に譲り、隅っこの方に追いやられた感じです。 |
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↓直方石炭⑬ 2014(H26).8.3 機関車の下に立て掛けてあった説明看板です。 |
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直方石炭⑬ 2014(H26).8.3 圧縮空気式機関車と坑内用ディーゼル機関車です。 上の写真⑤⑨と同じ機関車ですが、だいぶ錆が目立っています。 圧縮空気式機関車は、上三緒・芳雄の両炭鉱で使用されました。 ディーゼル機関車は、大之浦炭鉱の坑内で使用されました。 |
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直方石炭⑭ 2014(H26).8.3 貝島炭礦で使用されたドイツ製コッペル32号機関車です。 「コッペル」とは、製造メーカーの略称で正式には「オーレンシュタイン・ウント・コッペル」で、略称は「O&K」ですが、コッペルの方が一般的です。 貝島炭礦専用線で閉山の1976(昭和51)年まで使用され、翌年からここで保存展示されました。それから37年経過していましたが、きれいな状態だったので驚きました。 調べたら2012(H24)年9~10月に、NPO法人汽車倶楽部により修復作業が行われたそうです。→コッペル32号の修復 |
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直方石炭⑮ 2014(H26).8.3 コッペル32号機を真横から見ました。 コッペル32号の現役時代の写真は →貝島炭鉱専用線 |
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直方石炭⑯ 2014(H26).8.3 C11形131号です。 コッペル32号に比べるとだいぶ痛んでいるような感じでした。 この機関車も2017(H29)年9月~翌年3月にかけて修復作業が行われたそうです。→C11131号の修復 |
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直方石炭⑰ 2014(H26).8.3 C11131とセム1です。 その前には炭坑夫の像があります。 |
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直方石炭⑱ 2014(H26).8.3 筑豊の石炭記念館めぐりの最後は、直方市石炭記念館本館です。 1910(明治43)年に筑豊石炭鉱業組合直方会議所として建てられた、筑豊炭田の歴史を伝える建物で、直方市の文化財に指定されています。 田川市石炭・歴史博物館へ 宮若市石炭記念館へ |
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参考図書:「鉄道讃歌」けむり・プロ著 交友社 1971(昭和46)年2月10日発行
「貝島炭礦鉄道」けむり・プロ著 南軽出版局 2015(平成27)年10月4日発行