木曽路のD51 その4 木曽路1へ 木曽路2へ 木曽路3へ 木曽路5へ 木曽路6へ 木曽路7へ
木曽路のD51(47) 薮原~奈良井 1970(S45).12下旬 薮原から鳥居峠に向かって、煙を吐きながら苦しそうに坂を上る、11D特急「しなの」です。 薮原~奈良井間には分水嶺の鳥居峠がありました。 この区間が複線化されたのは1969(昭和44)年で、この写真はその1年後ということになります。いかにも新線という感じのコンクリート橋です。そのすぐ向こう側に線路がもう1本写っています。そちらが旧線と思われます。 私の5度目の木曽路訪問でした。前回の木曽路訪問から約1ヶ月半後です。この日も鉄研の仲間と5人くらいで出掛けました。名古屋からたぶん801D「きそ2号」に乗って薮原まで来ました。Nさんが不参加だったので記録がなく日付もわかりませんが、冬休みに入ってすぐ出掛けたと思います。カメラにカラーポジ(エクタ)が残っていたので、このときもカラーで撮りました。 |
←木曽路のD51(48) 薮原~奈良井 1970(S45).12下旬 キハ91系も、黒煙を吐きながら苦しそうに坂を上っています。 最初の頁のダイヤで調べると、たぶん「きそ3号」と思われます。 背景は薮原の町並みと木曽川です。 落合川からここまで木曽川に沿って走ってきましたが、ここで木曽川に別れを告げます。 |
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↓木曽路のD51(49) 薮原~奈良井 1970(S45).12下旬 左の写真(135mm)と同じ場所から標準レンズで撮るとこうなります。 いかにも新線区間という感じがします。名古屋行きの急行「きそ2号」が下り坂を駆け抜けていきました。 |
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木曽路のD51(50) 宮ノ越~薮原 1970(S45).12下旬 本命のD51重連貨物列車です。 135mm望遠で撮ったのですが、米粒写真になりました。しかし蒸気機関車は、煙のおかげで存在感を示してくれます。 機関車が走っているのが、宮ノ越~薮原で、写真を撮ったのは薮原~奈良井です。その間に薮原の町並みです。 光線状態の加減で、木曽川も光ってくれて私のお気に入り写真です。 |
木曽路のD51(51) 薮原~奈良井 1970(S45).12下旬 D51重連の貨物列車が近づいてきました。気持ちよく煙を吐いています。 機関士と機関助士の各2名は大変だったでしょうが・・・ |
木曽路のD51(52) 薮原~奈良井 1970(S45).12下旬 迫力あるD51重連がますます近づいてきました。 |
木曽路のD51(53) 薮原~奈良井 1970(S45).12下旬 煙突からの煙だけでも迫力があるのに、2両とも安全弁まで吹き上げて、パワー全開の大迫力でした。 写真は手前にチョット邪魔物が入ってしまいましたが、この大迫力に免じてご容赦ください。 私が鳥居峠付近で撮った写真は以上(47~53)だけです。 Nさんは、これより約2年前にここを訪問していました。まだ複線になる前で、旧線の時代でした。といっても薮原~鳥居峠の旧線はこの写真にも写っています(機関車の向こう側)。 |
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木曽路のD51(54) Nさん撮影 薮原~奈良井 1969(S44).1 ヨンサントオ(S43.10)で登場して間もないキハ181系特急「しなの」が、単線時代の薮原~奈良井を走ります。 この組み合わせは1年間限定で、この年の秋に薮原~奈良井は複線化されました。 この写真の場所は、上の写真(47・48・51)の切り通しの薮原方と思われます。 |
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木曽路のD51(55) Nさん撮影 薮原~奈良井 1969(S44).1 キハ91系の急行「きそ3or4号」の後ろ姿です。 この系列はキハ181系開発のための試作車で、キハ91形9両と、キサロ90形3両の計12両が製造されただけでした。→Wikipedia 雪に覆われている手前側は、複線化工事スペースと思われます。 |
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木曽路のD51(56) Nさん撮影 薮原~奈良井 1969(S44).1 薮原から鳥居峠に向かう客車列車です。 D51なら盛大に煙を吐いてくれるのでしょうが、DD51牽引でガックリです。 雪の中に赤い機関車は映え、これはこれで良かったかもしれません。 最初の頁のダイヤで調べると827列車で、DL牽引と書いてありました。 上の写真(55)の逆方向を見た写真です。(54)よりも少し鳥居峠に近い所で撮りました。 |
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木曽路のD51(57) Nさん撮影 薮原~奈良井 1969(S44).1 待望のD51客車列車ですが、峠を下る列車で、絶気運転です。 上の写真(54)の反対側から切り通しを見ています。 |
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木曽路のD51(58) Nさん撮影 薮原~奈良井 1969(S44).1 待ちに待った、鳥居峠に向かって上るD51貨物列車です。 D51 200号でした。 上の写真(57)の反対側から撮りました。 |
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木曽路のD51(59) Nさん撮影 薮原~奈良井 1969(S44).1 薮原の町並みを後に、鳥居峠に向かうD51客車列車です。 Nさんの鳥居峠訪問はこの1回だけでした。 このあと、また私の写真に戻ります。 |
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木曽路のD51(60) 奈良井~木曽平沢 1970(S45).12下旬 この当時、D51の定番撮影地であった奈良井川の鉄橋です。 分水嶺・鳥居峠の北側ですから、南へ向かう列車が上り坂になります。 木曽平沢を出発した客車列車が奈良井に向かいます。 7つ上の写真(53)を撮ったあと、藪原駅に戻り、普通列車(DL827列車)で鳥居峠を越え、木曽平沢まで来ました。 |
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木曽路のD51(61) 奈良井~木曽平沢 1970(S45).12下旬 次の貨物列車は、少し山に上り、同じ鉄橋を俯瞰しました。 風の影響で、貨物列車が煙に隠れてしまいました。 拡大して見たら、D51重連のようですが、後ろの機関車は煙に隠れてしまっています。 |
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木曽路のD51(62) 奈良井~木曽平沢 1970(S45).12下旬 上(61)の貨物列車の後ろ姿です。 寒い日で、白い煙がしばらく残っていました。 この写真を撮ったあと、他の同行者はそのまま帰ったようですが、私はMさんと2人で奈良井まで歩きました。。 日帰りの予定でしたが、Mさんが「折角ここまで来たから1泊しよう」と言い出しました。しかし2人の財布の中身を合計しても宿泊できるかどうか微妙な金額でした。 奈良井駅の窓口で「この金額で泊まれる宿はありますか」と相談したところ、親切な駅員さんが民宿に電話してOKの返事をもらいました。帰りの運賃を払うと、翌日の昼飯はあんパン1個で我慢しなければならない、侘しい旅行でした。 奈良井の民宿に泊まった夜に雪が降り始めました。人通りのない、白くなった奈良井宿の古い町並みを夜中に歩いたのが懐かしい思い出です。 |
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2013(H25).11.16up | |
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参考図書: 鉄道ファン117号 「蒸気機関車撮影地ガイド」 昭和46(1971)年1月臨時増刊号 交友社発行