木曽路のD51 その1 木曽路2へ 木曽路3へ 木曽路4へ 木曽路5へ 木曽路6へ 木曽路7へ
中央本線は、東京と名古屋を塩尻経由で結ぶ路線ですが、塩尻を境に東西で役割が分かれています。 名古屋~塩尻は中央西線と呼ばれて、名古屋~松本・長野方面の輸送ルートとなっています。 木曽谷の山間を走る中津川~塩尻間は、輸送量の割には近代化がちょっと遅れ、電化されたのが1973(昭和48)年で、それまで蒸気機関車D51が活躍しました。 私は、その現役時代に間に合い、1969~71(昭和44~46)年の約2年間に9回も訪問しました。その「木曽路のD51」の写真を訪問順に掲示しますので、ご覧ください。 左地図は、国土地理院1/20万「飯田」S43.3.30発行(下の4/5) ・・・・・・・・・国土地理院1/20万「高山」S44.8.30発行(上の1/5) 中央西線を青でなぞり、中津川~塩尻の全駅名を記入 |
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↓木曽路のD51① 落合川 1969(S44).8.19 落合川で交換する客車列車と貨物列車を、客車の窓から撮りました。共にD51が牽引し、貨物列車には後補機が付いていました。 1969(昭和44)年、私は大学に入学し、鉄道同好会に入りました。その年の夏の旅行で連れて行ってもらったのが明知線・中央西線・木曽森林鉄道です。 生まれて初めての本格的撮影旅行でしたが、まだ自分のカメラは持っておらず、親からキャノネットを借りて出掛けました。 前日に、明知線阿木駅近くの旅館に泊まり、この日の午前中明知線のC12を撮ったあと、昼過ぎの客車列車で北へ向かいました。 その列車は、中津川からD51が牽引しました。 客車の窓を開け、牽引する蒸機を眺めながら乗るのは初めてでした。トンネルで窓を開け閉めするのも、初めての体験でした。 |
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↑中央西線ダイヤ(鉄道ファン117号 「蒸気機関車撮影地ガイド」より) |
木曽路のD51② 田立~南木曽 1969(S44).8.19 木曽川沿いを走る列車の窓から撮りました。 前方に読書発電所が見えます。 窓から顔を出しているのは、同行したKoさんでしょうか。このときの鉄研旅行は、記念写真を見ると総勢9人でした。 この田立~南木曽間は、木曽川沿いを走り、撮影の名所でした。その後何度かこの区間を訪問しています。その写真は続編(木曽路-3)で掲示しています。 なお、田立~南木曽は複線電化の際に(1973(S48)年)、別ルート化され、ほとんどトンネルになりました。従って、この風景は現在、車窓から見られません。 |
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木曽路のD51③ 南木曽 1969(S44).8.19 南木曽に停車中のD51貨物列車です。 客車列車の窓から撮りました。 D51の影に隠れている操重車らしきものも気になりますが・・・ |
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木曽路のD51④ 大桑 1969(S44).8.19 大桑駅での列車交換です。 DD51重連の急行「ちくま2号」大阪行きが通過していきます。 手前の蒸機が牽引する列車に、乗ってきましたが、この大桑駅で途中下車しました。 上のダイヤで調べると、乗ってきたのは829列車ということになります。 右も左も分からぬ私は、このあと先輩に引率され、須原に向かって歩き始めました。 |
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木曽路のD51⑤ 大桑~須原 1969(S44).8.19 伊奈川鉄橋を渡る急行列車です。 上のダイヤで調べると、2802D急行「赤倉」です。 名古屋と新潟を最短ルートで、約8時間かけて走る列車でした。 急行にもクーラーが無い時代で、窓が開いています。 先輩に引率され、炎天下を歩いて連れてきてもらったのが、この格好いい鉄橋でした。 白黒フィルムがなくなったので、ここからカラーネガで撮りました。だいぶ変色していましたがフォトショップエレメンツで色補正しました。 |
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木曽路のD51⑥ 大桑~須原 1969(S44).8.19 伊奈川鉄橋を渡る、D51牽引客車列車です。 |
←木曽路のD51⑦ 大桑~須原 1969(S44).8.19 キハ58系の6802D、急行「きそ3号」です(たぶん)。 河原から伊奈川鉄橋を見上げて撮りました。 |
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↓木曽路のD51⑧ 大桑~須原 1997(H9).11.3 上と左の写真の28年後の伊奈川鉄橋です。 Nさんを誘って、久しぶりに行って見たら橋が架け替えられていてガッカリしましが、165系の普通列車を待って撮りました。この鉄橋は今でも有名撮影地=お立ち台になっているようです。 (最近撮った写真だと思っていたら、撮影から既に16年。あっという間ですね・・・) |
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木曽路のD51⑨ 大桑~須原 1969(S44).8.19 伊奈川鉄橋を渡る、D51牽引貨物列車です。 少し離れた位置から撮りました。 扉を開けた有蓋車(ワム?)を6両つないでいます。通風車代用で野菜でも運んでいるのでしょうか? この写真を撮ったあと、先輩に引率されて須原駅まで歩き、列車に乗り上松へ行き、上松駅近くの旅館に泊まりました。木曽森林鉄道の上松運輸営林署の目の前の旅館でした。 そして翌日、木曽森林鉄道に便乗しました。上松~本谷を通して乗ったのは、このときが最初で最後でした。1日掛けて延々と乗っていましたが、ナローの魅力に目覚める前で、ロクな写真が無いのが残念無念です。 |
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木曽路のD51⑩ 中津川~落合川 1970(S45).2.13 中津川駅から落合川に向けて1kmほど歩いた所に、国道と並行して、立派な鉄橋がありました。 ちょうどD51の貨物列車が峠を下ってきました。 今は、この鉄橋もコンクリート橋に架け替えられたようです。 2度目の木曽路訪問です。 この少し前に、私は初めて一眼レフカメラ(ミノルタSRT101)を購入しました。地元の関西線弥富付近で少し訓練をしたあと、一眼レフ最初の撮影旅行として、気合いを入れて中津川~落合川に出掛けました。 |
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木曽路のD51⑪ 中津川~落合川 1970(S45).2.13 中津川と落合川の間には峠があり、上下どちら方向の貨物列車にも補機が付きました(上のダイヤ参照)。 中津川駅から峠の近くまで歩いて、貨物列車を待ちました。期待通り、後補機付きの貨物列車がやってきました。 白い煙がとても綺麗でした。 蛇足ですが、白い煙は蒸気(水蒸気が冷却され水滴になった湯気)ですから、寒いときでないと見られません。その代わり力行中は必ず出ます。夏より冬の方がSL撮影の条件がよかったわけです。 |
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木曽路のD51⑫ 中津川~落合川 1970(S45).2.13 上の写真⑪の続きです。 後補機が通ります。 |
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木曽路のD51⑬ 中津川~落合川 1970(S45).2.13 1日1往復走っていた、特急「しなの」です。 特急用気動車キハ82系を、勾配線区用に出力増強して誕生したのがキハ181系です。 そしてキハ181系が最初に使われたのが、この特急「しなの」です。 ヨンサントオ(昭和43年10月)のダイヤ改正から中央西線に登場しました。 夏場は初期トラブルが多発したようです。→Wikipedia |
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木曽路のD51⑭ 中津川~落合川 1970(S45).2.13 次の貨物列車も後補機付きでやってきました。 落合川駅には転車台がなかったので、上下列車についた後補機の片道はバック運転でした。 写真をよく見ると、後補機はバック運転のようです。 |
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木曽路のD51⑮ 中津川~落合川 1970(S45).2.13 D51の貨物列車が、目の前を通り過ぎます。 まもなく汽笛を鳴らして、峠のトンネルに入ります。 この写真を撮ったあと、私も道路を歩いて峠越えし、峠の落合川方へ移動しました。 その写真は次頁(木曽路D51-2)です。 |
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2013(H25).10.31up | ||
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参考図書: 鉄道ファン117号 「蒸気機関車撮影地ガイド」 昭和46(1971)年1月臨時増刊号 交友社発行