国鉄 飯田線6 (城西~) 1(豊橋) 2(長山) 3(三河槙原) 4(東栄) 5(中部天竜) 7(伊那松島)
飯田線(87・88) 城西~向市場 1971(S46).7.15 飯田線名物:渡らずの鉄橋です。 中部天竜~大嵐間の新線区間です。本来は右の山の中をトンネルで通る予定でしたが、この付近をフォッサマグナ(中央地溝帯)が通っていて、地滑り地帯になっており、トンネル工事が中止になって、山を避けるように鉄橋が掛かりました。 |
飯田線(89) 城西~向市場 1971(S46).7.15 渡らずの鉄橋を渡り、旧型国電がやってきました。 この鉄橋は有名でしたから、当時の私でも知っていました。 飯田線沿線へ、最初の訪問でここまで来ました。しかし、この場所へはそれ以降行っていませんので、最初で最後の訪問でした。 この電車の後ろには流電がいました↓ |
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飯田線(90) 城西~向市場 1971(S46).7.15 飯田に向かう電車が通り過ぎます。 一番後ろにクモユニを連結していました。 |
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飯田線(91) 城西~向市場 1971(S46).7.15 渡らずの鉄橋を通り過ぎて行きます。 これが、この鉄橋で撮った最後の写真です。 結局、3列車撮って引き揚げたことになります。 |
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飯田線(92) 向市場 1971(S46).7.15 向市場に到着する電車です。 城西~向市場を訪問したこの日の最初の写真です。 記憶がないので、時刻表から推定すると、急行「伊那」で水窪まで乗り、水窪から城西~向市場の鉄橋を目指して歩いたと思います。 歩いている途中に、電車が走ってきたので、対岸の道路から撮りました。 |
←飯田線「大嵐~飯田」の地図 国土地理院1/20万「豊橋」S42.6.30発行(下半分)、「飯田」S43.3.30発行(上半分)より この地図区間で撮影したのは○温田のみです。 主要駅を青●で、秘境6駅を赤●で駅名を記入しました。 水色 : 旧・三信鉄道(三河川合~大嵐~天竜峡), 紫色 : 旧・伊那電気鉄道(天竜峡~飯田~辰野) |
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↑飯田線(93) 温田 1982(S57).8.4 辰野から温田まで下ってきました。ところがこの日この南の区間が不通になっており、豊橋経由で帰れなくなり、この駅で折返して飯田まで戻り、中央道の名飯特急バスで名古屋まで帰りました。 |
飯田線(94) 市田 1971(S46).10.19 市田駅に到着したED19 1号の貨物列車です。 これから入換が始まります。 市田駅は飯田駅の少し北にあり、昔はこの駅が天竜船下り乗船場の最寄り駅でした。ここから飯田の東を通り天竜峡まで天竜川の船下りができました。 「天竜下れば しぶきに濡れる 持たせやりたや桧笠」(伊那節) 市田駅付近の地図は次ページ(準備中)に掲載予定です。 |
飯田線(←95・↑96) 市田 1971(S46).10.19 市田駅で入換中のED19 1号機です。 ↑辰野方面のホームの先に貨物ホームがあり、チップを積んだ無蓋車が停まっていて、その貨車を連結しに行くようです。 |
飯田線(97) 市田 1971(S46).10.19 市田駅の少し南(飯田方)です。 チップを積んだ無蓋車を連結し、ED19 1号が本線路に顔を出しました。 これから少しバックし、市田まで引っ張ってきた貨車に増結し、飯田方向に向かいます。 |
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2014(H26).7.19up | |
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参考図書:「世界の鉄道'79」特集・旧型国電 朝日新聞社1978(S53).11.30発行
「旧型国電ガイド」 ジェー・アール・アール1981(S56).10.1発行
「鉄道ピクトリアルNo.416」<特集>飯田線旧型国電 1983(S58).5月号 鉄道図書刊行会発行
「電気機関車展望1」久保 敏・日高冬比古著 交友社1976(S51).11.10発行