国鉄 飯田線4 (東栄~上市場) 1(豊橋) 2(長山) 3(三河槙原) 5(中部天竜) 6(城西) 7(伊那松島)
飯田線シリーズも4回目を迎え、いよいよ愛知県の県境付近まで到達しました。 愛知県の県境の駅:東栄から中部天竜に向かって順にご紹介します。 |
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下のスペースが余ったので、「佐久間ダム」と「佐久間レールパーク」の写真を。↓2009(H21).6.20 | |
飯田線(52) 東栄 1983(S58).2.10 東栄駅を通過するED62形の貨物列車です。 機関助士がタブレットを受柱に投げ込む準備をしています。 このあと、タブレットを受柱に投げ込みましたが、撮影に失敗しました。 |
飯田線(53) 東栄 1982(S57).4.24 東栄に到着するクハユニ先頭の旧型国電です。 |
飯田線(54) 東栄 1982(S57).4.24 この日の朝、三河槙原からスタートし、三河川合で交換列車を撮り、最後は上市場から東栄まで歩きました。 |
飯田線(55) 東栄~出馬 1971(S46).7.15 愛知・静岡の県境付近です。 ED17形の貨物列車を待っていたら、EF10形が来てしまいました。 まぁこれはこれで時代の一コマです。 この日は、飯田線沿線へ初めて写真を撮りに行きました。城西~向市場、中部天竜で撮ったあと、出馬から東栄まで歩きました。 この区間はお気に入りの撮影地だったようで、このあとも2回ほど出掛けています。 |
↖飯田線(56) 東栄~出馬 1971(S46).7.15 貨物列車の後、同じ鉄橋を旧型国電が通りました。 ←飯田線(57) 東栄~出馬 1971(S46).7.15 その旧型国電の最後尾は流電でした。(56)の続きで、同じ場所からです。 ↑飯田線(58) 東栄~出馬 1971(S46).7.15 この日の最後の写真です。湘南形電車80系を俯瞰しました。 |
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飯田線(59) 東栄~出馬 1982(S57).4.24 上の写真(55・56)と同じ鉄橋で、11年後です。 木がだいぶ伸びてきました。 ED62形の単機が通りました。 この日は、三河槙原、三河川合で撮ったあと、上市場から東栄まで歩きました。 |
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飯田線(60) 東栄~出馬 1982(S57).4.24 綺麗な新緑の中を走る湘南形電車80系です。 上の写真(59)の少し東栄寄りです。 道路からカーブした鉄橋が俯瞰できました。 |
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飯田線(61) 東栄~出馬 1982(S57).4.24 この場所が気に入ったので、暫く留まり、列車3本撮りました。 ED62形の貨物列車です。少しアングルを変えて撮りました。 |
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飯田線(62) 東栄~出馬 1982(S57).4.24 貨物の次は、中部天竜方面に向かう旧型国電です。 新緑に混じって、遠くの方に山桜も咲いていました。 |
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飯田線(63) 東栄~出馬 1982(S57).4.24 上の写真(62)の続きです。 この写真を撮ったあと、東栄駅まで歩きました。 |
↑飯田線(64) 東栄~出馬 1983(S58).2.10 湘南電車80系がなくなる直前にも、この場所を訪問しました。 165系が走ってきました。この当時は80系の普通電車の一部が165系に置き換えられていましたので、急行か普通電車か分かりません。 この写真が、私がここで撮った最後の写真です。 |
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←飯田線(65) 東栄~出馬 1995(H7).10.22 Nさん撮影 ED18形が牽引するトロッコ列車です。 Nさんはトロッコ列車を撮るため、私の訪問から12年後に出馬へ行きました。 上の写真(60~64)と同じ鉄橋です。 |
飯田線(66) 出馬~上市場 1982(S57).4.24 出馬~上市場の駅間は0.6kmで、平均駅間距離が短い飯田線の中でも最短駅間距離です。 旧型国電の2両編成が相川の鉄橋を左(出馬方面)へ通り過ぎました。 この日は、三河槙原、三河川合で撮ったあと、上市場から東栄まで歩きました。歩き始めてすぐに浦川で交換した電車が走ってきました。 この次に撮ったのが、上の(59)です。 次のページは、いよいよ飯田線中間部の要衝:中部天竜です。 |
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2014(H26).6.24up | |
津島軽便堂 1(豊橋) 2(長山) 3(三河槙原) 6(城西) 7(伊那松島) | 次の頁(飯田線5)へ |
参考図書:「世界の鉄道'79」特集・旧型国電 朝日新聞社1978(S53).11.30発行
「旧型国電ガイド」 ジェー・アール・アール1981(S56).10.1発行
「鉄道ピクトリアルNo.416」<特集>飯田線旧型国電 1983(S58).5月号 鉄道図書刊行会発行
「電気機関車展望1」久保 敏・日高冬比古著 交友社1976(S51).11.10発行