国鉄 飯田線5+久根鉱山 (中部天竜) 1(豊橋) 2(長山) 3(三河槙原) 4(東栄) 6(城西~) 7(伊那松島)
飯田線(67) 中部天竜 1969(S44).3 Nさん撮影 中部天竜駅の俯瞰です。中部天竜駅は写真右端にあります。 天竜川の真ん中辺にあったから中部と名が付いたと思っていましたが、中部(なかっぺ)という集落の近くに駅が出来たので中部天竜になったということです。ここは佐久間ダムと切っても切れない関係で、佐久間ダム建設のため手前の鉄橋(鉄道遺産ランガー橋・併用軌道)を建設し、ダム建設資材をこの写真右下の中継基地まで運んだということです。山の向こうに久根鉱山があり、索道で中部天竜駅まで鉱石が輸送されましたが、駅の向こうに索道が見当たりません。この写真(昭和44年撮影)当時、鉱山は現役でしたが、駅までの輸送はトラックになっていたかもしれません。 佐久間ダム専用線とランガー橋(B形鉄橋)の詳細は「鉄道ファンNo.640(2014/H26.8月号)天竜川をまたいだランガー橋(小野田滋氏著)」をご覧ください。 |
飯田線(68) Nさん撮影 中部天竜 1969(S44).3 デッカー製ED17形の形式写真です。 東海道線・横須賀線電化に際し輸入された機関車で1923(大正12)年製です。 1040形→ED50形を経て、ED17形となりました。 ED17形は、1972(昭和47)年6月までに全機廃車となりました。 詳細は→Wikipediaをご覧ください。 飯田線では、比較的線路状態のよい中部天竜以南で使われていました。 |
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飯田線(69) 中部天竜 1971(S46).7.15 ED17形そっくりのED18形です。 ED18 2号機は、1955(昭和30)年に種車のED17 16号機から軸重軽減の改造をされました。 すぐ上の写真(67)と見比べると、上周りは同じです。その違いは台車部分です。 飯田線中部天竜以北の線路規格の低い路線で使用するため、台車の動輪の間に小さな従輪を入れました。台車をご覧になれば、3軸台車です。 ED17形は機関車重量を4軸で支えましたが、ED18形は6軸で支えればよいため、軸重が軽くでき、軟弱路線にも投入できるようになりました。 |
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飯田線(70) Nさん撮影 中部天竜 1969(S44).3 ED19形の形式写真です。 ウェスティングハウス(電気部分)/ボールドウィン(機械部分)製の輸入電機です。 東海道線用に1926(大正15)年に製造され、6010形→ED53形を経て、ED19形になりました。 1975~76(昭和50~51)年に全6機が廃車となりました。 ED19 6号機はED19形のラストナンバーです。 私の印象では、豊橋~中部天竜がED17、中部天竜~飯田がED18、飯田~辰野がED19でしたが、ED19は中部天竜まで顔を出していたのですね。 |
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飯田線(71) Nさん撮影 中部天竜 1969(S44).3 流電クモハ52形です。 豊橋行きの行先板を付けています。 たまたま見た鉄道ピクトリアルNo.246(1971/S46.1月号)のTOPIC PHOTOSに「飯田線の前サボ廃止」という記事があり、「国鉄ケチケチ作戦のため10月から妻面の行先票を廃止、側サボのみとなった」と記載されていました。 1970(昭和45)年10月から行先板を付けなくなったということです。 |
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飯田線(72) Nさん撮影 中部天竜 1969(S44).3 まもなく中部天竜を出発する上諏訪行きです。 行先板が付いていた方が分かりやすくて良いですね。 |
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飯田線(73) Nさん撮影 中部天竜 1969(S44).3 サエ9320です。 1924(大正13)年に製造された木製付随車で、サロハユニフという長い名前の合造車を経て、1952(昭和27)年に救援車に改造されました。1979(昭和54)年まで在籍し、国鉄最後の木造電車となったそうです。 |
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飯田線(74) Nさん撮影 中部天竜 1969(S44).3 ED18 2号機の入換風景です。 1976(昭和51)年に貨物牽引から引退し、その後静態保存されていたのが、1992(平成4)年に、飯田線トロッコファミリー号牽引用にEF58形と共に抜擢され、営業復帰をしましたが2005(平成17)年に2度目の引退をしました。 現在はリニア・鉄道館に保存されています。 |
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飯田線(75) Nさん撮影 中部天竜 1969(S44).3 ED17 10号機が貨物列車の先頭に立ち、豊橋に向けて出発準備完了です。 |
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飯田線(76) 中部天竜 1971(S46).7.15 屋根に庇の付いたEF10 16号機がパンタを下ろして休んでいました。 ED17形を置き換えるため、EF10形の投入が始まっていました。 Nさんの2年後に私も中部天竜を訪問しました。 |
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飯田線(77) 中部天竜 1971(S46).7.15 車庫の中からです。 上の(76)より、車体がちょっと近代化されたEF10形の41号機もいました。 |
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飯田線(78) 中部天竜 1971(S46).7.15 ED17牽引の貨物列車が、掛員と私が待機する中部天竜駅に到着しました。 ED17形が引退する約1年前の写真ということになります。 |
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飯田線(79) 中部天竜 1971(S46).7.15 到着したED1714号です。 これから入換が始まるようです。 |
飯田線(80・81) 中部天竜 1971(S46).7.15 ED17 14号機が中部天竜構内で入換をしています。 |
飯田線(82) 中部天竜 1971(S46).7.15 ED17が感じの良い古い木造建築物の前を走っています。 「久根鉱山」の看板があります。 Wikipediaで久根鉱山を調べると、佐久間町にあった鉱山で、銅、黄鉄鉱などを産出し、1970(昭和45)年に閉山となったと書いてあります。 久根鉱山と中部天竜駅との位置関係は、前頁の地図をご覧ください。 久根鉱山から中部天竜まで、索道で鉱石を運搬し、ここで貨車に積み換えていましたので、木造建築物は索道の終点兼貨車積込ホッパーだったのでしょうか。しかし、久根鉱山閉山1年後の写真ですから使われていなかったかもしれません。 このときは、久根鉱山に何の関心もありませんでしたが・・・ |
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上の写真の4年後に、久根鉱山にトロッコがあるという噂を聞いて出掛けました。飯田線から少し外れ、天竜川を下っていきます。 | |
久根鉱山跡① 1975(S50).9.14 中部天竜からバスに乗り、天竜川沿いを下り、ここまで来ました。 (遠江二俣~中部天竜は国鉄佐久間線の建設計画があり、この当時は国鉄バスが1日10往復走っていました。) 久根鉱山の全景です。 写真で見るように現役の鉱山の雰囲気がありました。しかし人の気配はありませんでした。訪問した昭和50年9月14日は日曜日で、鉱山が休みだと思っていました。 後から知ったことですが、閉山5年後の姿です。 (本当に5年前に閉山になったのかな?) 昔は、ここから帆掛け舟で天竜川を下り、西鹿島まで鉱石運搬をしていたそうです。1934(昭和9)年に飯田線の前身・三信鉄道が開通してからは、中部天竜駅まで空中索道で1日100トンの鉱石を運んだそうです。 詳細は→「出かけよう!北遠へ・・・」をご覧ください。 トロッコ(電機)の現役時代の写真もあります! 久根鉱山跡② 1975(S50).9.14 上の写真①の中央上方に写っている道路から俯瞰した久根鉱山です。 トロッコの線路がありました。 円形のシックナー(沈降濃縮装置)やホッパーもあり鉱山らしいムードです。 閉山5年後には見えませんね! |
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久根鉱山跡③ 1975(S50).9.14 この写真も上の道路から俯瞰しています。 トロッコの線路が急傾斜で下がる部分が写っています(木に邪魔されていますが)。インクライン(貨物用ケーブルカー)もあったようです。 |
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久根鉱山跡④ 1975(S50).9.14 これが久根鉱山跡で撮った最後の写真です。 上の道路から少しだけ線路が見えましたが、他は草木に隠れあまり見通しが良くなかったです。 結局、鉱山跡(?)を上からのぞいただけで終わってしまいました。 |
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久根鉱山跡の探訪は、上の4枚撮っただけです。 再び飯田線に戻ります。 | |
飯田線(82) 中部天竜~佐久間 1971(S46).7.15 駅から少し歩いたら、ED18の貨物列車が走ってきました。 暑い日だったので、貫通扉を開けて運転していました。 この貨物列車は無蓋車を多数連結しています。久根鉱山閉山後のはずですが、鉱石を運んでいたとしか思えません。謎です! |
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飯田線(83) Nさん撮影 中部天竜 1969(S44).3 中部天竜の駅から佐久間方向を見た写真です。 クモニが入換をしていました。 茶色のいかにも旧型国電という感じの電車もいました。 |
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飯田線(84) Nさん撮影 中部天竜~佐久間 1969(S44).3 佐久間方面からED19の貨物列車が天竜川の鉄橋を渡り、到着します。 左は発電所ですが、昔の佐久間駅はED19の後ろの方にあり、佐久間ダム建設に伴う線路の付け替えに伴い、写真右の方に移転しました。 駅跡が発電所用地になったということです。 写真に写っている鉄橋は、線路付け替えのときに新しく造られました。 そこから向こうの新線区間は次のページです。 |
飯田線(85・86) 佐久間レールパーク 2009(H21).6.20 飯田線で活躍したクモハ52形とED62形が中部天竜駅のすぐ横に保存してありました。閉園まで残り134日の佐久間レールパークです。 |
津島軽便堂 1(豊橋) 2(長山) 3(三河槙原) 4(東栄) 6(城西) 7(伊那松島) | 2014(H26).7.5up |
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参考図書:「鉄道ファンNo.640」-天竜川をまたいだランガー橋-小野田滋著 2014(H26).8月号 交友社発行
「鉄道ピクトリアルNo.246」<特集>名古屋鉄道 1971(S46).1月号 鉄道図書刊行会発行
「世界の鉄道'79」特集・旧型国電 朝日新聞社1978(S53).11.30発行
「電気機関車展望1」久保 敏・日高冬比古著 交友社1976(S51).11.10発行