飯田線・豊橋~三河川合の地図です。
  (国土地理院1/20万「豊橋」S42.6.30発行より)
飯田線路線の南の約1/4です。
元は、私鉄4社がつながった路線で、戦時中の昭和18年に国有化され、飯田線となりました。

青線 : 豊橋~大海 → 旧・豊川鉄道
赤線 : 大海~三河川合→ 旧・鳳来寺鉄道
水色 : 三河川合~天竜峡→ 旧・三信鉄道
紫色 : 天竜峡~辰野→ 旧・伊那電気鉄道(地図の範囲外)
 撮影最寄り駅を青字で記入しました
本長篠から、豊橋鉄道田口線(本長篠~三河田口22.6km緑線)が分岐していましたが、1968(昭和43)年に廃止されました。残念ながら写真はありません・・・
津島軽便堂写真館

国鉄 飯田線1 (豊橋~長山)    2(長山)  3(三河槙原) 4(東栄) 5(中部天竜) 6(城西) 7(伊那松島)

旧型国電や貨物列車が走っていた、国鉄時代の飯田線です。

飯田線は、豊橋~辰野間195.7km(現在の路線長)のローカル線で、両端の駅を含め94駅もあり、駅間距離や沿線風景には私鉄の面影があります。
それもそのはず、元は私鉄で、豊川鉄道(吉田~長篠/現:豊橋~大海)、鳳来寺鉄道(長篠/現:大海~三河川合)、三信鉄道(三河川合~天竜峡)、伊那電気鉄道(天竜峡~辰野)の4社が、戦時中に一括して国有化されました。


私が飯田線を訪ねた頃、個性豊かな車両が走り、山の中の小さな交換駅にも必ず駅員がいて、タブレットの受け渡しや、通過列車のタブレット授受の監視をしており、なかなか楽しい光景が見られました。

旧型国電が走っていた頃の飯田線へは、10回ほど訪問しています。
写真がたくさんありますので、南から順にご紹介します。ご覧ください。
(といっても、私が訪問したところだけですが・・・)
飯田線① 豊橋 1982(S57).4.17

旧型国電がなくなる1年前の豊橋駅です。出発を待つ電車は左の80系のように看板を出し、手前側の改札から来るお客に案内していました。
飯田線② 豊橋 1971(S46).7.16

豊橋駅に到着した、クモニ83+4両の飯田線列車です。
国鉄時代は、貨物・荷物・郵便輸送も盛んで、飯田線にも両運転台のクモニや、合造車のクハユニが活躍しており、豊橋側に連結されていました。


まずは豊橋駅からスタートしましたが、豊橋駅の写真はこの2枚だけです。
飯田線③

豊橋機関区 1971(S46).6.14

飯田線関係で、私が最初に撮った写真です。
この当時(昭和46年)は、まだ各地に蒸機が走っていて、私は蒸機を中心に撮影していましたが、あるとき鉄研の部室で、「豊橋の飯田線にデッカーという英国製の珍しい機関車がいるけど、もうじきなくなる。」と聞いて、出掛けたような気がします。
機関区へ行ったら、デッカーED17形は2両いましたが、パンタを下ろして撮りにくい(横から撮れない)場所に停泊中でした。
飯田線④⑤

豊橋機関区 1971(S46).6.14

[DICK-KERR WORKS PRESTON]の銘板です。↗
 (デッカー製作所プレストン)

ED17形の1~17号は、旅客用のED50形を、戦時中に貨物用に改造(ギヤ比の変更等)した機関車です。
ED17 11号は1971年12月に、ED17 13号は1971年9月に廃車となっていますので、廃車が迫った頃の写真です。
飯田線⑥

豊橋機関区 1971(S46).6.14

右は流線形のクモハ52形です。
昭和11年に、国鉄初の流線形電車として登場しました。飯田線が最後の職場で、人気の電車でした。
その左が、郵便・荷物合造車のクハユニ56形、左奥にいるのがED17形電気機関車です。


私は国電の知識があまりありませんので、形式の間違いはご容赦ください。
間違いをご指摘いただければ、修正いたします。
飯田線⑦

豊橋機関区 1971(S46).6.14

流電の2次車で、上⑥と見比べると正面のおでこの形状が違います。
側窓も広幅になりました。

正面窓に「34」の記号がありますので⑥と同じ編成の反対側と思われます。
飯田線⑧

豊橋機関区 1975(S50).7.6

豊橋機関区2度目の訪問です。
前回の訪問(写真③~⑦)から4年後でした。
後ろを振り返ると、岐阜行きの7000系パノラマカーが豊橋を出発しました。

パノラマカーが走っている線路は、名鉄と国鉄飯田線の共用区間です。
飯田線⑨

豊橋機関区 1975(S50).7.6

旧型国電の回送電車が機関区へ戻ってきました。
正面スタイル角形で貫通扉付き3扉車です。
飯田線⑩

豊橋機関区 1975(S50).7.6

名鉄3800系の普通電車も通りました。
この3800系は、昭和23年の東西直通運転用の特急電車として登場し、豊橋~新岐阜を2時間5分で結びました。
(飯田線とは関係ないですが)
飯田線⑪

豊橋機関区 1975(S50).7.6

豊橋機関区へ行ったのは、この流電・クモハ52形を撮るためでした。

この流線形電車は、1978(昭和53)年に廃車になったということですから、廃車3年前の姿です。

これが豊橋機関区で撮った最後の写真です。
飯田線⑫

三河一宮 1983(S58).2.19

ED62形の貨物列車が三河一宮駅を通過します。
昭和58年のこの日は、私が飯田線へ旧型国電を撮りに行った最後の日です。
この数日後に湘南形電車80系が引退し、タブレット閉塞もそのしばらく後に終わったと思いますので、旧型国電の晩年に飯田線へ行ったときは、通過列車(急行と貨物)のタブレット授受を撮るように心掛けていました。

最初に飯田線の写真を撮った、上の③から11年8ヶ月経過していました。
その間に10回ほど、飯田線を訪問したことになります。
飯田線⑬

三河一宮 1983(S58).2.19

通過列車がタブレットを受け取る直前です。
飯田線の機関車や電車にはタブレットキャッチャーが付いていなかったので、通過する列車の運転台に乗務員が二人乗り、手でタブレットを受け取っていました。
手がタブレットに接触する瞬間に撮れれば良いのですが、そのつもりで撮ってもタイミングが一瞬遅れた写真ばかりでした。それより受け取る直前の方が写真としてはマシでした。
飯田線⑭

 長山 1982(S57).4.17

長山駅での交換です。
右の165系は、急行「伊那」豊橋行きです。
飯田線⑮

長山~江島 1982(S57).4.17

撮影場所がよく分かりませんが、上の⑭、下の⑱と同じときに撮っていますので、長山~江島としました。

クハユニを含む旧型国電4両編成です。
飯田線⑯ 長山~江島 1982(S57).4.17

クモニを連結した5両編成の後追いです。
飯田線⑰ 長山~江島 1982(S57).4.17

ED62形の貨物列車も撮りました。
飯田線⑱

 長山 1982(S57).4.17

長山に到着した、豊橋行きの2両編成です。
長山付近で⑭~⑱の写真を撮り、この電車に乗り豊橋へ戻りました。
豊橋駅へ戻って撮ったのが、一番上の写真①です。


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2014(H26).6.10up 
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参考図書:「世界の鉄道'79」特集・旧型国電 朝日新聞社1978(S53).11.30発行
       「旧型国電ガイド」 ジェー・アール・アール1981(S56).10.1発行
       「鉄道ピクトリアルNo.416」<特集>飯田線旧型国電 1983(S58).5月号 鉄道図書刊行会発行
       「電気機関車展望1」久保 敏・日高冬比古著 交友社1976(S51).11.10発行