津島軽便堂写真館

三岐鉄道 3/4   貨物鉄道博物館の開館     三岐鉄道1 →三岐鉄道2  三岐鉄道4

三岐鉄道(59)

三里~丹生川 2002(H14).1.6

雪景色の藤原岳バックお立ち台です。
ホキ10000形貨車16両の土砂輸送列車が来ました。
期間2年半の予定で計画された中部国際空港埋立用の土砂輸送ですが、開始から1年半経過し、あと1年弱で大輸送も終了です。
三岐鉄道(60)

 西藤原 2002(H14).9.15

ウイステリア鉄道が出来て1年後の西藤原駅です。
電車は、元西武の801系で、現在の三岐鉄道の代表車両です。
この形状の電車は、
801系3両×3本と851系3両×1本の計4本あります。
 詳細は→三岐鉄道車両大図鑑

 
↑2002年に完成したSL形の新駅舎
三岐鉄道(61)

丹生川~伊勢治田 2002(H14).10.12

白ホキをつないだ貨物列車です。
三岐の貨物輸送は、土砂輸送とセメント輸送は東藤原→富田→四日市港の片道輸送で、帰りの便は空車の貨車の回送です。
この白い貨車は、ホキ1000形で、炭酸カルシウム(石灰石の粉末)とフライアッシュ(石炭灰)の往復輸送用に開発されました。
東藤原(セメント工場)-三岐鉄道-富田-関西線-稲沢-東海道・武豊線-東浦-衣浦臨海鉄道-碧南市(碧南火力発電所)間の輸送で、
東藤原→碧南市、炭酸カルシウム(石灰石の粉末-火力発電所の脱硫装置で使用)を輸送。
碧南市→東藤原、フライアッシュ(石炭灰-セメント製造に使用)を輸送。
セメント工場と発電所の意外なつながり
参照
三岐鉄道(62)

大安~三里 2002(H14).10.12

宇賀川橋梁を渡る土砂輸送列車です。
土砂輸送もいよいよ終盤で、この2ヶ月後の2002(平成14)年12月に中部国際空港埋立用の土砂を運び終わりました。
三岐鉄道が輸送した埋立用土砂は300万立米(500万トン)。
1列車35t×16両=560トンなので、2年半の間に延べ8,900本余の列車を走らせました。
三岐鉄道(63)

大安~三里 2002(H14).10.12

宇賀川橋梁の横に保存してあったED22形222です。
上の写真(62)の続きで撮りました。

このED222は信濃鉄道→国鉄→三岐(1956/昭和31年)へ譲渡され、1984(昭和59)年に廃車となり、この場所へ保存されました。
三岐鉄道(64)

大安~三里 2002(H14).10.12

ED222が保存されていた頃の全景です。


2016(平成28)年から西藤原で保存されていますので、現在、建屋だけが残っています。

 ↑西藤原駅に保存されたED222
貨物鉄道博物館の開設に向けて ----- 貨物鉄道博物館の詳細・展示車両は→貨物鉄道博物館公式サイトをご覧ください。
三岐鉄道(65) 名鉄岐阜工場 2001(H13).1.29

ト15号の搬出です。揖斐・谷汲線で砕石輸送用に使用された貨車が廃車になり、三岐鉄道へ引き取られることになりました。三岐鉄道では貨車の博物館構想があったので、協力しました。
この日、美濃町線モ603号を搬出しました(手力付近へ展示のため輸送)。そのついでにクレーンを使って貨車をトラックに積み込みました。
三岐鉄道(66) 丹生川 2002(H14).8.24

昭和鉄道高校(東京)に保存されていたSL東武39号が、校舎改築で解体の危機にあったところ、三岐鉄道が引き取ることになり、この日搬入されました。
駅の伊勢治田方の貨物ホーム(跡)横にあった側線は撤去済みで、機関車搬入用に、また敷き直したような感じでした。
三岐鉄道(67)

 丹生川 2002(H14).8.24

東京からトレーラーで搬入された39号機関車です。(早朝に到着)

英国シャープ・スチュアート社1898(明治31)年製造で

貨物鉄道博物館の説明文
によれば
 ↓
日本鉄道が発注した英国製の蒸気機関車で、1906(明治39)年に国有化され、1922(大正11)年には東武鉄道B4形39号となって、貨物列車牽引に活躍しました。1966(昭和41)年に引退してからは、東京都の昭和鉄道高校で大切に保存されてきました。
三岐鉄道(68)

 丹生川 2002(H14).8.24

トレーラーを吊り上げ位置に移動し、牽引車(トラクター)を外しました。
これから両側にクレーン車を配置し機関車を吊り上げます。

到着した機関車を、クレーンで吊り上げて線路上へ降ろす作業は三岐鉄道が急遽担当することになり、"安くて"車体吊り経験のあるクレーン業者の紹介を依頼されました。
少し前に名鉄モ603号輸送を「丸登運送」で行い、日通より安く、日通並みの仕事をしてもらえたので、その業者を紹介し、私も立ち会いました。(土曜日で会社が休みだったので・・・)
三岐鉄道(69)

 丹生川 2002(H14).8.24

2台のクレーンを使い、機関車の吊り上げを開始しました。
三岐鉄道(70)

 丹生川 2002(H14).8.24

機関車を線路上へ降ろします。
三岐鉄道(71) 丹生川 2002(H14).8.24

次に炭水車(テンダー)をトレーラーから吊り上げます。
三岐鉄道(72) 丹生川 2002(H14).8.24

向きを180度変えて、機関車の後ろへ降ろします。
三岐鉄道(73)

 丹生川 2002(H14).8.24

クレーン作業が終了し、線路上に据え付けられた39号機関車です。




同形機が東武鉄道で活躍していた頃の写真は、
 →東武会沢線
三岐鉄道(74)

 丹生川 2002(H14).8.24

据付作業が終わった39号の横を貨物列車が通りました。


これから、この周辺の整備が進み、1年後に貨物鉄道博物館が開館しました。
三岐鉄道(75)

 丹生川 2003(H15).9.15

貨物鉄道博物館開館記念式です。
上の写真(73)の背景にある(旧)貨物倉庫の中で行われました。
初代館長の挨拶です。
三岐鉄道(76)

 丹生川 2003(H15).9.15

貨物鉄道博物館の開館記念式テープカットです。

三岐鉄道日比社長、貨物鉄道博物館岩沙館長、鉄道友の会須田会長が参加されています
(あとの人はわかりません)
三岐鉄道(77) 丹生川 2003(H15).9.15

貨物鉄道博物館開館記念ヘッドマーク付きの電車が、すぐ横を走りました。
三岐鉄道(78) 丹生川 2003(H15).9.15

左の写真の後ろ姿です。別のヘッドマークを付けていました。
三岐鉄道(79) 丹生川 2003(H15).9.15

昔の貨物倉庫の入口は綺麗に化粧直しされ、機関車の上に屋根も設置されました。
三岐鉄道(80) 丹生川 2003(H15).9.15

ホームに停車中の西藤原行き101系です。この電車にも貨物鉄道博物館の別のヘッドマークが付いていました。
三岐鉄道(81)

 丹生川 2003(H15).9.15

上の写真(80)の続きです。
電車の後ろ姿と保存機関車を撮りました。この編成も前後で別のヘッドマークを付けていました。
三岐鉄道(82)

三里~丹生川 2003(H15).12.21

雪景色の藤原岳バックお立ち台です。
向こうのカーブの先に丹生川駅があります。(ここから1.2km)

電車は元西武の101系です。
現在、三岐の2両編成は101系のみで、2両×3本が活躍しています。
三岐鉄道(83)

 丹生川 2004(H16).12.5

開館から1年経過した貨物鉄道博物館です。

ボランティア活動おかげで、展示車両数が増えました。


この日、開館1周年の記念講演会が開催されました。左の方に小さく講師の青木栄一先生が写っています。
三岐鉄道(84)

 丹生川 2004(H16).12.5

丹生川駅近くの小学校の講堂で、記念講演会が開催されました。
講師は青木栄一先生で「石灰石・セメントの鉄道輸送の歴史」について講演されました。
昭和40年代(1970頃)までは、「4セ」と呼ばれた石灰石・セメント・石炭・石油が、鉄道貨物輸送の主力でした。

なお、青木栄一先生は、2020(R2).5.4に亡くなられたそうです。謹んでお悔やみ申し上げます。
三岐鉄道(85)

 丹生川 2012(H24).10.7

開館から9年経過した貨物鉄道博物館です。
毎月1回の開館日を継続しています。この日は,家族連れが電車と藤原岳をバックに記念写真!
39号機関車は前照灯が点灯しています。
三岐鉄道(86)

 丹生川 2013(H25).8.4

貨物鉄道博物館のすぐ横を通る貨物列車です。

左端の貨車は補修作業中です。
貨車はボランティアの皆さんのおかげでキチンと整備されています。
  2020(R2).6.12up 
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参考図書:「三岐鉄道70周年記念誌-地域とともに歩む」 2001(H13).10.14 三岐鉄道発行  →こちら
     RM LIBRARY 62 「三岐鉄道の車輌たち」 南野哲志・加納俊彦著 ネコ・パブリッシング 2004.10.1発行
     「私鉄車両めぐり特輯[第Ⅰ輯]」 鉄道図書刊行会 1977(昭和52)年7月発行
(元は私鉄車両めぐり第2分冊1962.3月号)
     「世界の鉄道'76」 朝日新聞社 1975(昭和50)年10月発行