津島軽便堂写真館

三岐鉄道 1/4  貨物列車が走る私鉄 45年前の姿  「いぶき号」三岐編  三岐2  三岐3 三岐4

三岐鉄道(三岐線)は、名前の通り三重県(四日市)と岐阜県(関ヶ原)を結ぶ計画でしたが、完成したのは富田~西藤原間26.5km(1931/昭和6年に全通)でした。三重県の中小私鉄は戦時中に統合され三重交通になり、鉄道部門は、後に近鉄へ合併されましたが、三岐鉄道だけは独立を保ちました。
三岐鉄道の歴史については三岐鉄道HPの→三岐鉄道80年の歩みをご覧ください。
昔は比較的地味な鉄道でしたが、今や鉄道ファンが集まる人気の路線となりました。それは、希少価値の「貨物列車が走る私鉄」のためで、臨海鉄道などの貨物用の鉄道を除けば、貨物列車が走る私鉄は、三岐鉄道と秩父鉄道の2社だけに減ってしまいました。
2003(平成15)年4月からは、近鉄が廃止候補にしたナローゲージの北勢線を、地元市町の要望により、三岐鉄道北勢線として運行しています。これにより従来の三岐鉄道線は、三岐線と呼ばれるようになりました。
終点の西藤原駅には、三岐鉄道開業70周年記念で2001(平成13)年7月に蒸気機関車102号などが保存され、丹生川駅には2003(平成15)年9月に貨物鉄道博物館ができました。最近は、電車3編成を旧塗装に復刻させるなど、鉄道ファンにとって非常に有難い鉄道会社です。応援せずにはいられませんね!  
私は、昔(名鉄住商勤務時代)仕事で大変お世話になりました。
三岐鉄道の写真を何回かに分けて古い順に掲出します。1回目は1975(昭和50)年~2001(平成13)年
国土地理院1/20万「名古屋」S41.8.30発行より

三岐鉄道線を赤く塗り、駅に
を付け、駅名を青字で記入しました(駅名は現在のものです)
 主な駅名の変遷
  大長 → 北勢中央公園口 1997(H9).4
  大井田 → 大安 1986(S61).3
  宇賀渓口 → 三里 1986(S61).3


主要な撮影地や施設に
を付け緑字で記入しました。
三岐鉄道① 国鉄富田 1975(S50).10.26 Nさん撮影

富田駅で入換をするED22形222です。ウエスチングハウス製の元国鉄機関車で、現在西藤原駅で保存されています。
三岐鉄道②

西藤原 1975(S50).1

終点の西藤原です。
この当時は貨物ホームと貨物倉庫がありました。
停車している電車はモハ100形と思われます。この電車に乗って終点まで来ました。

私の最初の三岐鉄道訪問でした。
三岐鉄道は、家から近いところにあるのですが、学生時代には訪問しておらず、社会人になってからの初訪問でした(といっても45年以上前ですが)。今から思えば、学生時代(1969~1974)は蒸気機関車やローカル私鉄など廃止間近な鉄道がたくさんあり、そちらに目が向いてしまい、当分安泰と思われた三岐鉄道は後回しになってしまいました。
三岐鉄道③

東藤原 1975(S50).1

東藤原に到着した貨物列車です。先頭の電気機関車はED45 6です。
三岐鉄道にはED45形が当時7両在籍し、456・457は3次車になります。次位の機関車も同形状なので457と思われます。(現在は9両在籍)
この写真は45年前ですが、今とあまり変化がなく、貨物列車は重連で運転されていました。
すぐに分かる違いを探せば、前照灯が1灯-白熱灯(現在2灯-シールドビーム)と、石油輸送用のタンク車をつないでいることでしょうか(現在石油輸送は行っていない)。
三岐鉄道④

 富田 1975(S50).10.26

国鉄富田駅で出発を待つ三岐の貨物列車です。ED45形電気機関車を3両連結しています。(3両目は回送ですが)
先頭(一番左)が1次車(451~453)で裾に丸みがあるのが特徴です。
2両目が2次車(454・455)で、裾が真っ直ぐ、側窓が少し大きくなりました。
3両目が3次車(456・457)で正面窓と側窓が大きくなりました。

詳細は→三岐鉄道車両大図鑑
  をご覧ください。
↑交通公社時刻表1975(昭和50)年7月号から三岐鉄道の時刻表を取り込みました。1970(昭和45)年6月に三岐朝明~近鉄富田の近鉄富田連絡線が開通し、電車は国鉄富田発着から近鉄富田発着となり利便性が格段に向上しました。(当時の関西線の旅客列車は日中は約2時間おき)
しかし、1日4往復だけは国鉄富田駅へ乗り入れを継続していました(斜字の列車)。
1985(昭和60)年3月に国鉄富田乗り入れの電車を廃止
三岐鉄道⑤  Nさん撮影

国鉄富田 1975(S50).10.26

国鉄富田駅へ到着するモハ150形2次車です。
当時の三岐鉄道の電車はこの色でした。(最近、復活塗装車が登場!)

横には三岐鉄道線の貨物を関西線へ継送するためのDD51が待機していました。

この日は、Nさんと一緒に列車本数の少ない国鉄富田~三岐朝明間を乗り潰すために出かけました。
富田11:38発の列車に乗りました。
三岐鉄道⑥

国鉄富田 1975(S50).10.26

上の写真⑤と同じ時に、少し左側を向いて撮りました。
この写真を見て気付きました!

ホーム上のリヤカーに小荷物がたくさん乗っています。当時は鉄道による小荷物輸送がまだ盛んで、国鉄の荷物列車や客車列車併結の荷物車で運ばれた荷物を、三岐鉄道の電車に載せ換えて沿線に運ぶ必要がありました。
近鉄富田連絡線の開通後、不要と思われた電車の国鉄富田駅乗り入れを継続した理由として、小荷物輸送は大きな要因だったと思われます。その後、宅配便の発展により鉄道小荷物輸送は急激に縮小し、国鉄は1986(昭和61)年に荷物輸送を廃止しました。
三岐鉄道は国鉄富田乗り入れの電車を1985(昭和60)年3月に廃止しましたが、荷物輸送廃止との関連もある気がします。
三岐鉄道⑦ 富田 2016(H28).9.27   富田駅を通過するキハ85系特急「南紀5号」。富田駅は汽車の時代の面影を残しています。

三岐の電車の乗り入れ廃止31年後に撮った写真ですが、三岐ホームはそのまま残り、ホームへ降りる階段も通行禁止ですが残っています。
三岐鉄道と関西線の貨物を中継する重要な役割は変わりません。 ED45形重連が、約10分後に四日市から到着する関西線の貨物列車(セメント列車の返空)を継送するため待っていました。
三岐鉄道⑧ Nさん撮影

保々~大長 1975(S50).10.26

保々の駅と朝明川橋梁の間のカーブを走る電車です。(右が朝明川)
左がモハ120形、右がクハ200形です。

保々の隣は、この当時「大長」駅でしたが、1997(平成9)年4月少し移転し「北勢中央公園口」と改称されました。
三岐鉄道⑨

保々~大長 1975(S50).10.26

朝明川橋梁を渡るモハ120形などの3連です。
この電車は、名鉄のHL3700系によく似た日車標準タイプで、てっきり日車製と思ったら、東洋工機製の車体でした。
2扉の中型車(全長18.7m)だったので、西武から20m3扉車を譲り受けて廃車となり、1982(昭和57)年に高松琴平電鉄へ譲渡されました。
三岐鉄道⑩

保々~大長 1975(S50).10.26

上の写真⑨を撮った後、振り返って撮りました。
後ろ(手前)の車両は、元小田急のモハ140形です。

モハ120-クハ210-モハ140の3連でした。
三岐鉄道⑪  Nさん撮影

保々~大長 1975(S50).10.26

朝明川橋梁を渡る貨物列車です。

上の写真④で富田駅に停車していた貨物列車です。
先頭(右)からED45形の1次車・2次車・3次車の順に並びました。

電気機関車の色は、昔(45年前)も今も同じですね。
 年をとったせいか昔と同じだとホッとしますね。
三岐鉄道⑫

保々~大長 1975(S50).10.26

朝明川橋梁を渡るセメント満載の上り(富田行き)貨物列車です。

通過時間にカラスの群れが飛んできました。
三岐鉄道⑬  Nさん撮影

保々~大長 1975(S50).10.26

朝明川橋梁です。
モハ140形(右)-クハ210形-(モハ120形-左枠外)の3連です。
モハ140形は141の1両だけなので、上の写真⑨⑩の列車の折返しです。
三岐鉄道⑭  Nさん撮影

保々~大長 1975(S50).10.26

朝明川橋梁を渡る、モハ120形-クハ200形の2連です。
三岐鉄道⑮

保々~大長 1975(S50).10.26

上の写真⑭と同じ列車を橋の下から撮りました。モハ120形のアップです。

この写真を撮った後、Nさんと一緒に帰りました。Nさんの記録によれば保々14:03発の列車に乗りました。
三岐鉄道⑯

大安~三里 1989(H1).3.4

宇賀川橋梁を渡る元西武の601系で、クハ1601形-モハ601形の2連です。

橋梁の横にはED22形222が保存してありました。このED222は信濃鉄道→国鉄→三岐(1956/昭和31年)へ譲渡され、1984(昭和59)年に廃車となり、この場所へ保存されました。
2016(平成28)年から西藤原で保存されていますので、現在、建屋だけが残っています。
三岐鉄道⑰

伊勢治田 1993(H5).11.6

伊勢治田を出発する富田行きの貨物列車です。
伊勢治田にはヤードがあり、セメント輸送用の貨車(ホキ・タキ)がたくさん留置してありました。
三岐鉄道⑱

 西藤原 1993(H5).11.6

終点の西藤原に到着した電車から高校生が降りてきました。
少子高齢化の今、この駅を利用する高校生はどれだけいるのか・・・

上の写真②と比べると、左の貨物側線が1本減り貨物ホームもなくなっていました。

この写真の8年後には、左側の線路に蒸気機関車102号などが保存され、周りが綺麗に整備されました。
三岐鉄道⑲

三里~丹生川 1994(H6).11.23

三岐鉄道一番のお立ち台---藤原岳バックの撮影ポイントです。(一番上の地図参照)
四季折々の風景が楽しめます。

セメントを満載した貨車16両つないだ貨物列車がきました。
三岐鉄道⑳

丹生川~伊勢治田 1994(H6).11.23

青川橋梁を渡る貨物列車です。
青い空、白い雲が印象的でした。

四日市港で積荷のセメントを降ろした貨車がセメント工場へ戻ります。
三岐鉄道(21)

伊勢治田  2000(H12).9.24

伊勢治田駅を通過するホキ10000形貨車16両の土砂輸送列車です。
2000(平成12)年7月から、中部国際空港埋立用の土砂輸送が始まり、貨物列車が大増発されました。(1日9往復の土砂輸送列車を増発)

土砂輸送は、(三岐)東藤原→富田、(JR貨物)富田→四日市→四日市港、四日市港で船積み、というセメントと同じ輸送ルートでした。

土砂輸送用のホキ10000形貨車は、太平洋セメント秩父工場が石炭輸送用に大量に保有し、休車になっていたので、それを活用したということです。
昔は小野田セメント(三岐鉄道)と秩父セメント(秩父鉄道)に別れていましたが、合併して太平洋セメントになったので、貨車の融通が出来たことも大きな利点でした。

電気機関車も増備する必要があり、元大阪セメントの「いぶき」号などを導入しました。
その記録と土砂輸送時のダイヤは
「いぶき号」三岐編をご覧ください。

中部国際空港埋立用の土砂「大」輸送は、2000(H12).7~2002(H14).12の2年5ヶ月間行われ、500万トン(300万立米)の土砂を輸送しました。

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三岐鉄道(22)

三里~丹生川  2000(H12).9.24

土砂輸送貨車の空車返却(返空)列車です。
田圃の畦道には彼岸花が咲いていました。
三岐鉄道(23)

丹生川~伊勢治田 2000(H12).9.24

青川橋梁を渡るED45形電気機関車の回送です。
上の写真⑳の逆方向から見た写真です。

景色の良いところですね。この上流には青川峡キャンプ場があります。
三岐鉄道(24)

三里~丹生川  2001(H13).5.19

田植の頃の田圃を走る貨物列車です(土砂輸送-返空)。
上の写真(22)とほぼ同じ場所です。


この年に三岐鉄道は70周年を迎えました。
70周年式典に向けて、西藤原駅周辺の整備を進め、開業時の蒸気機関車102号の展示工事も進んでいました。次ページには70周年の写真を掲示します。
  →三岐北勢線
 2020(R2).5.26up 
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参考図書:「三岐鉄道70周年記念誌-地域とともに歩む」 2001(H13).10.14 三岐鉄道発行  →こちら
     RM LIBRARY 62 「三岐鉄道の車輌たち」 南野哲志・加納俊彦著 ネコ・パブリッシング 2004.10.1発行
     「私鉄車両めぐり特輯[第Ⅰ輯]」 鉄道図書刊行会 1977(昭和52)年7月発行
(元は私鉄車両めぐり第2分冊1962.3月号)
     「世界の鉄道'76」 朝日新聞社 1975(昭和50)年10月発行