屋久島の森林鉄道 2/5 荒川の入換 屋久島1へ 屋久島3へ 屋久島4へ 屋久島5へ
屋久島⑮ 荒川 1976(S51).11.9 黄色い機関車の列車が小杉谷方面へ出発していった後も、荒川工場では緑の機関車が入換をしていました。 ポイントの調子がおかしいようです。 (手で押さえて治るとは思えませんが・・・) 隣の側線には、屋久島電工のモーターカーが保線専用車をつないで停まっていました。 |
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屋久島⑯ 荒川 1976(S51).11.9 機関車は、車庫の中に空の貨車を押し込みました。しばらくしてから、セメント袋の積み込みが終わった貨車を引っ張り出しました。 積荷から推定すれば、工事現場へ向かう列車と思われます。 |
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屋久島⑰ 荒川 1976(S51).11.9 積荷の終わった貨車を牽引して、本線との合流点である荒川分岐へ向かうと思われましたが・・・ |
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屋久島⑱ 荒川 1976(S51).11.9 機関車と貨車を切り放し、貨車を置き去りにして、機関車単独で荒川分岐に向かいました。 (写真向こう側が荒川分岐です) |
↖左上⑲、↑上⑳ 荒川 1976(S51).11.9 切り放された貨車は、下り勾配を利用して自力で動き出しました。 運転手?がつかんだロープ1本のブレーキ操作でゆっくり動きます。 屋久島の森林鉄道の名シーン、屋久杉に跨がったブレーキの手綱さばきは見られませんでしたが、その片鱗はうかがい知ることが出来ました。 |
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←左(21) 荒川 1976(S51).11.9 自力で走った貨車が荒川分岐に到着しました。 上の⑳と同じ場所で、逆方向を見て撮った写真です。 機関車は事前に分岐の小杉谷方面へ逃げていました。 |
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↓下(22) 荒川 1976(S51).11.9 逃げていた機関車が、貨車を連結しに行きます。 これで、機関車と貨車の位置が入れ替わりました。 |
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荒川分岐付近での入換案内図(左から右へ) (左上)荒川工場付近にいた機関車と貨車です。 (中上)機関車と貨車を切り放し、機関車だけが入換します(分岐を通り過ぎて折返し)。 (右上)貨車が下り勾配を利用して自力で走行します。 このあと、機関車は貨車を連結し、機関車が先頭になって小杉谷へ向かいます。 |
屋久島(23) 荒川 1976(S51).11.9 小杉谷に向けて出発準備の整った、セメント袋運搬貨物列車です。 牽引する貨車がセメント袋で重くなったので、機関車の車輪が空転する恐れがあります。 そこでまず、分岐付近の急カーブのレールの上に砂を撒いてから出発です。 ↓屋久島(24) 荒川 1976(S51).11.9 貨物列車が出発しました。 まず荒川鉄橋に向かいます。 ← 屋久島(25) 荒川鉄橋 1976(S51).11.9 荒川鉄橋を渡り、小杉谷に向かいます。貨車のセメント袋の上に大勢の人が便乗しています。 |
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←屋久島(26) 荒川付近 1976(S51).11.9 荒川鉄橋を渡るとすぐトンネルをくぐります(前ページの荒川付近地図参照) ↓屋久島(27) 荒川付近 1976(S51).11.9 トンネルのすぐ向こうに、側線があり何か置いてありました。手前は除雪用? |
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屋久島(28) 荒川 1976(S51).11.9 2本の列車が荒川を出発してしまいました。 とりあえず上の写真(27)まで追っかけましたが、そこまでが限度でした。 荒川には、モーターカー(+貨車)だけが残りました。ひょっとしたらモーターカーも動くかもしれないと思い、一旦荒川工場に戻ります。 戻る途中に撮りました。 荒川付近は、無人になっていました。当然モーターカーも動く気配がありません。 |
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屋久島(29) 荒川 1976(S51).11.9 上の写真(28)の逆方向です。 この写真を撮ったあと、誰もいなくなった荒川から小杉谷に向けて歩き始めました。 小杉谷終点までは、約9kmの道のりです。 この場所へ夕方に迎えに来てもらうよう、乗ってきたタクシー運転手に頼みましたので、たぶん8時間くらいあとに、ここへ戻ってきたと思います。 |
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屋久島(30) 荒川分岐 1976(S51).11.9 小杉谷に向けて線路を歩き始めてすぐ、荒川分岐のところに立っていた案内看板です。 上の写真(23)の中央やや左の、砂を撒くおじさんの左側に写っている白い看板です。 この時間通りに機関車が出発したかどうかは、全く覚えていませんが、看板を読めば列車本数が少ないことだけは分かります。 モーターカーの通行があればラッキーだと思いながら、小杉谷に向けて頑張って歩きました。 旅館で作ってもらった握り飯とお茶を入れた水筒を持って、一人ぼっちの線路歩きでした。 歩きながら撮った写真は、次のページです。 |
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