「全国森林鉄道」(2001(H13)年発行)によれば、
屋久島の安房森林鉄道は、軌間762mm、距離26.1km

沿線での屋久杉伐採終了に伴い、1969(S44)年に営林署の運行が終了し、伐採拠点であった小杉谷事業所も1970(S45)年に閉鎖。それにより、林業関係者や家族が大勢暮らし、学校の分校まであった小杉谷地区も無人地帯になりました。
この地図は
 国土地理院 1/5万 屋久島東北部S47.12.28発行(上半分)
      〃      屋久島東南部S47.12.28発行(下半分)
 
1976(昭和51)年、屋久島・安房森林鉄道の線路が残っていた部分に青・赤・緑の色を付けました。
 
---青線(荒川〜小杉谷線終点)は、私が歩いた区間。森林鉄道の役割がまだ残っていた
 ---赤線(苗畑〜荒川)は、屋久島電工が発電所の維持管理用に運行していた区間
 ---緑線は、小杉谷で分岐する石塚線

屋久島の森林鉄道 1/5  安房森林鉄道1976(昭和51)年の記録です   屋久島2へ  屋久島3へ  屋久島4へ  屋久島5へ

安房森林鉄道の地図
屋久島の森林鉄道の存在を知ったのは、廣田尚敬さんの写真集「魅惑の鉄道」(1969(S44)年発行)でした。運転手?が屋久杉に跨がり、ロープ1本でブレーキを操作しながら坂を下る流し撮り写真に深く感銘しました。
「乗り下げ」と呼ばれる手法で、往きは運材用の台車は機関車に引かれて坂を登っていきますが、帰りの屋久杉を積んだ台車は、下り坂を利用して単独&無動力で麓の貯木場まで、急カーブ連続の細い線路をロープ1本のブレーキ操作だけで運ばれたというのですから、すごいと思いました。

1976(昭和51)年の秋、友人から「屋久島でまだ森林鉄道が動いている」と聞いて、屋久島へ出掛けました。既に屋久杉の伐採は終了していましたが、伐採された切り株(土埋木)を掘り起こして運搬するために地元の業者が不定期で列車を走らせているということでした。
36年前のことで、運材列車を撮ることが出来なかったほろ苦い思い出がわずかに残っていますが、その他の記憶は薄れています。残念ながら記録もありません。そのときの写真をご覧ください。
1976(昭和51)年11月8日の朝、鹿児島港から屋久島へフェリーで向かいました。
←鹿児島港を出てすぐ、桜島    ↑鹿児島湾から見た開聞岳
↓まもなく屋久島の宮之浦港に到着
 当時の時刻表で調べると、鹿児島から屋久島へ行くフェリーは、朝8:00に鹿児島港を出港して、12:10に宮之浦港に到着します。
約4時間の船旅でした。前半は鹿児島湾内で船は揺れず快適な船旅でしたが、後半は外海へ出てそれなりに揺れました。
屋久島の宮之浦港へ着いてから、バスで森林鉄道の起点:安房へ向かいました。
屋久島@ 苗畑 1976(S51).11.8
 安房の近くにある、苗畑です。貯木場から苗畑までの線路は既に撤去されていましたので、ここから山に向かって線路が伸びていました。
屋久島A 苗畑 1976(S51).11.8
 屋根のない機関車が置いてありました。佐藤工業と書いてあります。
苗畑〜荒川は、屋久島電工が管理していましたが、その下請の会社と思われます。
屋久島BC 武田産業 1976(S51).11.8 
 当時の簡単なメモを見ますと、安房→営林署→苗畑→武田産業と書いてありました。まず、営林署で屋久島の森林鉄道について聞きに行ったと思います。土埋木の輸送は、営林署ではなく武田産業が行っていると聞いて、武田産業を訪問し、翌日に列車が動くかどうか聞きました(翌朝、荒川から山へ入る列車があると聞いて喜びました)。 会社の前には酒井工作所製のディーゼル機関車が保存してありました。
屋久島D 屋久島交通車庫 1976(S51).11.8
 たぶん、武田産業の近くにバスの車庫があり、珍しいキャブオーバー形のバスがいましたので撮りました。どういうわけか「鹿児島交通」と書いてありました。譲渡されたのかな?
屋久島E 屋久島交通車庫 1976(S51).11.8
 左と同じようなバスですが、こちらは「屋久島交通」と書いてあり、色も屋久島交通の他のバスと同じでした。

1976(昭和51)年11月8日は、安房の旅館に泊まりました。
翌朝、苗畑から11.2kmの荒川まで行く交通手段はタクシーしかありませんので、宿からタクシーを朝早く来てもらうよう予約しました。


1976(昭和51)年11月9日。いよいよ屋久島の安房森林鉄道訪問です。
早起きして一人でタクシーを待ちました。
前日に武田産業で、荒川の列車出発時間は聞いたと思います(早い時間だったと思いますが時間は忘れました)ので、それを撮ろうと早めに宿を出ました。
タクシーがなかなか来ずイライラしたという、どうでも良いことだけ覚えています。

安房の旅館からタクシーに乗り、山越えの道を荒川に向かいました。
←途中、ヤクシマザルの群れとも遭遇しました。
←「知られざるナローたち」(1981.8月)に掲載された、荒川付近の地図
 苗畑から小杉谷に向かう森林鉄道の本線から分岐して車庫がありました。
 案内用立て看板によれば、荒川工場と書いてありました。
 この荒川工場から一旦本線に出て、スイッチバックして小杉谷に向かうのが、この当時の森林鉄道ルートでした。
 ここから下流の苗畑方面は、屋久島電工管理の鉄道になっていました。
↓屋久島F 荒川 1976(S51).11.9

タクシーで荒川に到着しました。人が大勢集まり、山に入る準備中でした。
左の地図で、下(南)のほうから到着し、南から北を向いて撮った写真です。

道路が通じているのはここまでで、ここから奥に入るには森林鉄道に便乗するか、線路を歩くしかありません。

屋久島G

 荒川 1976(S51).11.9

出発準備中のSKW(酒井工作所)の機関車です。
屋久島H

 荒川 1976(S51).11.9

上の写真Gと同じ所にいる列車を別の角度から撮りました。
(北から南を見る)
屋久島I

 荒川 1976(S51).11.9

カラーで撮りました。
上のGHと同じ機関車です。緑色でした。
屋久島J

 荒川 1976(S51).11.9

もう1両いたSKWの機関車です。
こちらは黄色で、後ろに「武田産業」と書いてありました。
これから逆向きの推進運転で本線に向けて出発するところです。

左奥には、屋久島電工のモーターカーが停まっています。

屋久島K

 荒川 1976(S51).11.9

上のJの黄色い機関車が、荒川工場から、本線の分岐に向けて推進運転で進んでいきます。
機関車にへばりついている人と、その後ろを歩いている人がいます。縄文杉方面を目指す登山客でしょうか?
屋久島L

 荒川 1976(S51).11.9

推進運転をしてきた黄色い機関車は分岐器を通り過ぎ、本線に入りました。
ここで折り返して小杉谷方面へ向かいます。
このすぐ左側に荒川橋があります。

リュックを担いだ登山客は、この列車に便乗させてもらったのか、それとも列車が出発したあと線路を歩き始めたのかよくわかりません。
(他に道はありません)
屋久島M

 荒川 1976(S51).11.9

上のLの続きです。
折り返した列車が荒川橋を渡っています。大勢の人が貨車に便乗して山に向かいます。

機関車の先頭に座っている人は、砂を撒くためでしょうか?それとも貨車が満員のため・・・?



黄色い機関車は行ってしまいましたが、緑色の機関車はまだ荒川に残っています。

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参考図書:「魅惑の鉄道」 廣田尚敬著・ジャパンタイムス・1969・11発行
      「知られざるナローたち」(レールガイ別冊・1981.8月) 丸善出版発行
      「全国森林鉄道」 西 裕之著・JTBキャンブックス・2001.10発行