お堀を走っていた頃の 瀬戸電   大曽根付近                      矢田へ

大曽根付近の地図  大曽根付近

瀬戸電がお堀を走っていた頃、大曽根付近も魅力的な場所でした。
大曽根は国鉄との接続駅でもあり、元々瀬戸電の本社が大曽根にあったとのことで、瀬戸電の中枢部だったわけです。
左の地図をご覧ください。
瀬戸電の赤でなぞった部分は後に高架化されました。大曽根から北の部分は青線のように急カーブを解消され別線になりました。
大曽根の東に市電の電停がありました。1974(S49)年の市電全廃まで残っていました(緑線)。専売公社の引き込み線(黄線)と平面交差していました。専売公社は現在イオン・ドーム前SCになっています。青丸位置がナゴヤドームです。
1971(S46)年には、地下鉄が大曽根まで延伸されました(紺の点線)。森下駅の東側の道にも南北に市電が瀬戸電と平面交差して上飯田まで走っていましたが1971(S46)年に廃止になりました。
左の地図は、国土地理院発行1:25,000「名古屋北部」S47.8.30発行より
瀬戸電 大曽根@

大曽根 1975(昭和50)年12月10日

大曽根駅を北から撮りました。
格調高い大曽根駅舎です。
2階は旧瀬戸電の本社だったと思われます。
この頃の最長編成は2両でしたのでホーム長さも2両分約35mです。
奥に貨物列車が停まっています。
大曽根から尾張瀬戸まで、この頃は1日3往復貨物列車が走っていました(時々運休もありましたが)。
貨物列車は 1978(昭和53)年2月に廃止となりました。1ヶ月後に1500Vへ昇圧しましたので、昇圧に必要な電車(6600系、3780系など)を、国鉄と線路がつながっている内に鉄路で搬入し、それが終わった時点で高架化工事のために貨物側線を撤去したと思われます。

高架化工事は、1983(昭和58)年8月に森下〜大曽根〜矢田が完成しました。
瀬戸電 大曽根A

大曽根 1972(S47).9

堀川行きの751号が出発していきます。
この751号も、このあと谷汲線で活躍しました。 

大曽根駅の瀬戸方面ホームもなかなか渋いですね。
B大曽根 1973(S48).5.20 ミニスカート全盛期でした。
  両側に線路があり、右が瀬戸線、左は貨物用の側線でした。
C大曽根 1972(S47).9 
  左の写真と同じときに撮ったと思ったら違っていました。
瀬戸電 大曽根D

大曽根 1972(S47).9

大曽根駅から瀬戸方向を見ます。

上の写真BCの逆方向から見ています。
国鉄や地下鉄に乗り換えるためには写っている電車の右横(左上Bのミニスカートの女性がいるところ)を歩いて行く必要がありました。
瀬戸電 大曽根E

大曽根 1974(S49).11

国鉄大曽根駅との連絡線です。
デキ202号が貨車を押し上げています。
F大曽根 1975(S50).12.10 デキ200形の形式写真です G大曽根 1975(S50).12.10 瀬戸線専用ワフ70形の形式写真です

瀬戸電 大曽根H

大曽根〜矢田 1975(S50).12.10

貨物列車が国鉄ガード下のSカーブを通ります。
低いところで、豪雨が降るとすぐ水に浸かりました。
今は高架になって安心です。
   
I大曽根〜矢田 1975(S50).12.10
 上のHの貨物列車が通り過ぎたところです。人家密集地帯でした。
J大曽根〜矢田 1973(S48).5.20
  線路脇まで人家がありましたが、高架化で変わってしまいました。
 
瀬戸電 大曽根K

大曽根〜矢田 1973(S48).5.20

神社の横、踏切の近くです。

神社の向こう側を走っていた瀬戸電も、高架化により神社の手前側を走るようになりました。
  瀬戸電 大曽根L

大曽根〜矢田 1973(S48).5.20

堀川行きの単行列車が走ります。

このカーブは別線で高架化されました。(上の地図の赤線で一番上の部分)

玄関が線路に面している家もあり、なかなか感じの良いカーブでしたが、無くなってしまいました。

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