お堀を走っていた頃の 瀬戸電 2 堀川・本町
大津町へ | 大曽根へ | 矢田へ | 尾張瀬戸へ | 瀬戸線ダイヤ1973(昭和48)年改正 |
瀬戸電 堀川・本町@ 堀川 1975(S50).10.19 瀬戸電の終点「堀川」駅です。 都心に比較的近いにもかかわらず、寂れたムードが素敵でした。 当時の日中の瀬戸線は、特急・準急が各20分おき、普通が40分おきに走っていましたが、ほとんどが大津町で折返し、堀川へ到着する列車は40分に1本でした。 地図を見ていただくとお分かりのように、すぐ近くを堀川(運河)が流れており、昔は貨車から船へ、船から貨車への貨物の積み替えで賑わっていたということです。 |
|
瀬戸電 堀川・本町A 堀川 1975(S50).10.19 堀川の駅舎です。 1973(S43).9に無人駅化、1976(S51)年2月15日に廃止されました。 この堀川駅最寄りの市電の電停は景雲橋でした。このあたりからアーケードの円頓寺(えんどうじ)商店街が始まっていました。この頃の円頓寺には、賑やかだった昔の面影がまだ残っていました。 |
|
瀬戸電 堀川・本町B 堀川駅跡 2018(H30).5.8 廃止から42年後の堀川駅跡です。 立派な看板が立っていて、昔を偲ぶことができます。 瀬戸電が走っていた外掘に沿って歩いてみると、本当にここを電車が走っていたのかと思うくらい、木々が生長しています。 |
|
瀬戸電 堀川・本町C 堀川 1975(S50).10.19 夕暮れの堀川駅です。 道路を挟んで、その向こう側に堀川がありました。 上の写真Aの逆方向です。 |
|
瀬戸電 堀川・本町D Nさん撮影 堀川 1973(S48).5.20 御園橋から堀川駅を見下ろしました。 貨物上屋が残っていました(線路は撤去されていますが)。 |
|
瀬戸電 堀川・本町E 堀川 1975(S50).10.19 御園橋から堀川駅を見下ろしました。 上の写真Dから2年後です。 貨物上屋はなくなっていました。 現在、この橋は愛知県立図書館への通り道になっています。 |
|
瀬戸電 堀川・本町F 堀川〜本町 1975(S50).10.19 堀川と本町の中間あたりです。 お堀区間では、電車が一番スッキリと撮れる場所でした。 |
|
瀬戸電 堀川・本町G 堀川〜本町 1975(S50).10.19 お堀のススキと瀬戸電です |
|
瀬戸電 堀川・本町H 堀川〜本町 1973(S48).3 本町橋の上から堀川方向を見て撮りました。右は石垣です。 準急の瀬戸行きです。まもなく本町に到着しますが、準急は本町通過・・・ |
|
瀬戸電 堀川・本町I 堀川〜本町 1976(S51).1.23 上の写真Hとほぼ同じ位置で、雪の日に、本町橋の横から堀川方向を見ています。 本町橋の下は狭かったので、線路が接近してきています。 |
瀬戸電 堀川・本町J 本町 1973(S48).3 本町橋の上から本町駅を見下ろしました。 上の写真HIの逆方向を見た写真です。 |
|
瀬戸電 堀川・本町←K、?L 本町 1973(S48).3 線路を跨ぐ橋が本町橋で、橋の下の幅が狭いため、有名なガントレット(搾線)になっていました。 複線でありながら、実質的には単線と同じですが、分岐器を省略することができます。 本町駅のホームから、堀川行きの電車(モ750形758単行)を撮ったのですが、行先板は折返しの喜多山を付けていました。 ↑名古屋鉄道社史P288に掲載された本町跨線橋工事中の写真。背景(石垣)から、本町駅側から見た写真。 社史には1911(明治44)年10月、土居下〜堀川間が単線開通。1913(大正2)年11月、大曽根〜堀川間複線化と記載。複線化の際にガントレットができたと思われます。 |
|
瀬戸電 堀川・本町M 本町 1972(S47).9 本町駅のホームから撮ったガントレットです。 これも、堀川行きですが、行先板は折返しの瀬戸になっています。 本町橋の堀川側は、石積ポータルで上部がアーチ状になっていますが、手前は四角のコンクリート造りです。本町橋を拡幅するときに、手前側にコンクリートで増築したと思われます。 なお、瀬戸電のお堀区間には、このようなガントレットが昔は3ヶ所(本町橋・久屋橋・清水橋)ありましたが、橋の改修の時に解消され、この本町橋が最後まで残りました。 |
|
瀬戸電 堀川・本町N Nさん撮影 本町 1973(S48).5.20 本町駅に到着する754号+2221号です。この754号は、約3ヶ月後(1973年8月)に揖斐・谷汲線に転属し、谷汲線の廃線(2001(H13)年)まで活躍しました。 1928(S3)年製造され、柳橋から名古屋市電区間を走り、当時の名鉄のターミナル押切町を経て尾張各地を結んだ由緒ある電車です。 73年間という驚異的に長い現役時代を全うしたあとは、瀬戸線時代の姿に復元され、瀬戸市の「瀬戸蔵ミュージアム」に保存されました。 この写真はRM LIBRARY165「名鉄瀬戸線」の表紙と、「名鉄の支線、廃線-上巻」の表紙に採用されました。 |
|
瀬戸電 堀川・本町O 本町 1975(S50).10.19 堀川側から見た本町橋のガントレットです。 こちら側は石積みのポータルで、明治44年の開通時の面影を残していました。 |
|
↓堀川〜土居下 廃止記念 1DAY FREE乗車証 最終営業日の1日乗車証です。 ガントレットを堀川側から見た写真です。 |
←瀬戸電 堀川・本町P 本町 1973(S48).3 本町駅に通ずる唯一の道です。未舗装の道で、都心近くの駅とはとても思えません! しかし、石垣の向こうは官庁街! 都会のエアーポケットみたいなところでした。 |
瀬戸電 堀川・本町Q 本町 1973(S48).3 昼間は電車の利用客がほとんどいないので、近所の子供の隠れた遊び場、秘密の基地になっていたような感じです。 |
|
瀬戸電 堀川・本町R 本町 1973(S48).3 750形単行の堀川行きが来ました。 子供たちは電車と競争します。 |
|
瀬戸電 堀川・本町S 本町 1973(S48).3 本町を出発していく喜多山行き750形単行運転です。 乗降客はゼロでした。 |
|
瀬戸電 堀川・本町(21) 本町 1973(S48).3 本町駅は、周りの景色から隔離されたような場所でした。 堀川行きの電車が到着しました。行先板は「堀川」になっていました。 |
|
瀬戸電 堀川・本町(22) 本町 1973(S48).3 上の写真(21)の電車が堀川で折り返してきました。 準急の種別円板を付けています。 準急は本町通過です(一部の列車は特別停車)。 本町に停車する電車は少なく、日中に本町駅を利用するお客はほとんどいませんでした。 |
|
瀬戸電 堀川・本町(23) 本町〜大津町 1973(S48).3 元気動車ク2220形(2221)+モ750形(754)の堀川行きです。(行先板は折返しの喜多山になっていますが) お堀の中、上の写真(21・22)を撮った場所から撮りました。 |
|
瀬戸電 堀川・本町(24) 本町〜大津町 1972(S47).6 本町駅ホームから撮りました。 手前に本町駅のホームが写っていますが、電車(2322-905)は本町に到着せず、この場所にしばらく停車した後、大津町へ折り返していきました。 当時の瀬戸線の大部分の列車は、大津町で折り返しました。そのため大津町〜本町間は留置線としても使われていました。 |
|
瀬戸電 堀川・本町(25) 本町 1972(S47).6 本町から大津町に向かう2220形です。本町駅ホームから撮りました。 2220形は特徴あるスタイルで、この車両が来ると嬉しかったです。 |
|
2020(R2).8.22renewal 2011(H23).5.2up |
|
大津町へ 大曽根へ 矢田へ 尾張瀬戸へ ダイヤへ |
参考図書
「せとでん100年」山田 司・鈴木裕幸著 中日新聞社2005(平成17)年2月発行
「RM LIBRARY 165 名鉄瀬戸線-お堀電車廃止からの日々-」清水 武著 ネコ・パブリッシング 2013(平成25)年5月発行
「名古屋鉄道車両史-上・下巻」清水 武・田中義人著 アルファベータブックス 2019(令和1)年4・9月発行
「名鉄の支線、廃線-上巻(三河・知多編、瀬戸線)」生田 誠著 アルファベータブックス 2020(令和2)年6月発行
「名古屋鉄道社史」 名古屋鉄道 1961(昭和36)年5月発行