大井川鉄道 井川線 1/4 アプト式になる前 井川線2へ 井川線3へ 井川線4へ →あぷとラインへ
大井川鉄道 井川線A 千頭 1973(S48).7.23 留置線から、DB1形が客車2両を引っ張って千頭駅の井川線ホームへ入ってきました。 機関車の次位が、好ましいスタイルのスハフ1形で、ダム工事作業員輸送の時代から活躍している客車です。 大井川鉄道に蒸気機関車が復活したのは1976(昭和51)年で、この写真を撮った3年後です。従って、この頃は、まだ観光客はそれほど多くはありませんでしたが、その代わり地元の人達がそれなりに乗っていました。 井川線の奥泉でバスに乗り換えていく秘境・寸又峡温泉は、1968(昭和43)年の金嬉老事件で一躍有名になりましたので、当時の私でも知っていましたが、そこには泊まりませんでした。記憶がハッキリしませんが、たぶん千頭駅近くの旅館に鉄研仲間9人で泊まり、翌日に井川線へ乗ったと思われます。 |
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大井川鉄道 井川線B 千頭 1973(S48).7.23 上の写真Aで客車2両を引っ張ってきた機関車は切り放され、別の機関車が両国機関区の方からバック運転でやってきました。 |
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大井川鉄道 井川線C 千頭 1973(S48).7.23 上のBの続きです。 まもなく客車に連結します。 オープンデッキ客車スハフ1形のデッキから撮りました。 連結してしばらくすると、井川に向けて出発しました。 |
井川線D 沢間 1973(S48).7.23 井川行きの列車が沢間に到着します。赤ん坊をオンブした女性が待っています。 沢間からは、その昔、千頭森林鉄道が分岐していました。 |
井川線E 沢間 1973(S48).7.23 赤ん坊をオンブした女性は後ろの客車に乗り込むようです。しかし、ここから井川行きに乗るお客さんがいたとは・・・びっくりです。 |
井川線F 沢間 1973(S48).7.23 沢間では、地元のお客さんが結構降りました。 この頃は、井川線沿線にもそれなりに人が住んでいて、地域住民の足になっていたんですね。 |
井川線G 土本 1973(S48).7.23 線路脇に4キロポストが立っています。土本駅は千頭から3.9kmなので、土本駅構内です。 |
大井川鉄道 井川線H 川根小山 1973(S48).7.23 DB1号+客車2両の井川行きが、川根小山で交換待ちです。 DD101形の引く、長い編成の列車が山を下りてきました。 寸又峡温泉の宿泊客を井川まで連れて行った帰りの列車だと思います。 駅員が通票を持って待ち構えます。 |
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大井川鉄道 井川線I 井川行き列車 1973(S48).7.23 頑張って走るDB1号を、すぐ後ろのスハフ1形客車のデッキから撮りました。 |
井川線J 井川行き列車 1973(S48).7.23 まもなくトンネルに入ります。 川根長島駅に向かって走っています。 |
井川線K 川根長島 1973(S48).7.23 川根長島駅で通票の交換です。 今は接岨峡温泉駅と名前が変わりました。 |
井川線L 尾盛 1973(S48).7.23 右上の写真Kと、右の写真Mの間に撮っています。 従って、秘境駅「尾盛」です。ここから乗るお客さんがいて又ビックリ! |
井川線M 尾盛〜閑蔵 1973(S48).7.23 関の沢鉄橋 川底からの高さが(現在)日本一の関の沢鉄橋です。 井川線のハイライトです。 |
2012(H24).5.16up | |
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参考図書:RM LIBRARY 96 「大井川鉄道井川線」 白井 昭著 ネコ・パブリッシング 2007.8.1発行