津島軽便堂写真館

名鉄三河線(山)LEカー 1/2    三河線(山)2へ    三河線(海)へ   八百津線

名鉄三河線・猿投~西中金8.6kmは2004(平成16)年4月1日に廃止となりました。
三河線は、三河鉄道により開業した路線で、百年前の1914(大正3)年に刈谷新~大浜港(現・碧南)で開業、その後路線を南北に延伸していきました。

猿投以北の歴史は下記の通りです。
1927(S2).8.26 猿投~枝下開通
1927(S2).9.17 枝下~三河広瀬開通
1928(S3).1.23 三河広瀬~西中金開通

1941(S16).6.1 三河鉄道は名鉄と合併
1985(S60).3.14
 三河線・猿投~西中金をLE化・ワンマン化
2004(H16).4.1
 三河線・猿投~西中金を廃止
 (碧南~吉良吉田も同時に廃止)
国土地理院1/20万「豊橋」S42.6.30発行より。
三河線(山)廃線区間を赤
でなぞり、西中金~足助の未成線区間を青で追記しました。西中金~足助4.44mile(7.4km)は1924(大正13)年に路線延伸が計画され、追分付近までは用地買収が終わり路盤もできたところで、不況の深刻化と用地買収の難航により工事中断となり、1958(昭和33)年に路線免許を返納、未成線のままで終わりました。青の実線は路盤ができていた区間、青の点線は推定で記入しました。足助駅は足助の町の入口付近に計画されたであろうと推定しました。
↑「観光の三河鐵道」(名鉄資料館所蔵)より 1937(昭和12)年頃の三河鉄道沿線図(猿投以北を切り抜き)  三河鉄道は1941(昭和16)年に名鉄と合併
三河線(山) ①

 西中金 1973(S48).2

電車が走っていた頃の三河線の終点西中金駅です。
HL車3730系が停車中です。

私が初めて西中金を訪問したときの写真です。たぶん名鉄全線乗りつぶしのため、この電車に乗って西中金まで来て、折り返し待ち時間に写真を撮り、そのままこの電車で折り返したと思います。


終点の西中金から猿投に向かって写真を掲示しますのでご覧ください。
三河線(山) ②

 西中金 1973(S48).2

西中金駅の全景です。
昔の名残か、機回しができる線路配置でした。
昔の線路配置図を見ると、手前に1本貨物側線が延びていました。
手前の空き地がそれらしい感じです。

写真奥の方には、足助方面への未成線の路盤が残っていました。
三河線(山) ③ Nさん撮影

 西中金 1973(S48).1.15

終端側から見た西中金駅構内です。
HL車3780系が停車中です。

Nさんも名鉄全線乗りつぶしのため西中金を訪問しました。私の訪問(上の①②)より1ヶ月前でした。
三河線(山) ④

 西中金 1975(S50).1

西中金駅舎です。
足助へ向かう人たちがバスを待っています。
マイカー時代が到来するまでは、足助行きバスの乗り継ぎ駅として賑わいました。特に紅葉シーズンは香嵐渓に向かう人々で大混雑しました。

この駅舎は鉄道廃止後も残り、驚くことに国の登録有形文化財に指定されました。
旧名鉄西中金駅舎・ホーム

上の写真①~③の2年後です。たぶん誰かに西中金から足助方面へ向かう未成線の路盤があると聞いて、それをバスの車窓から眺めるために出かけたと思います。西中金から足助の終点までバスに乗り、終点にあったバスの営業所で下の⑤⑥を撮っただけで、帰りました。
三河線(山) ⑤⑥ 足助 1975(S50).1
名鉄バスの足助の営業所です。
西中金からバスに乗り、足助の町並みを通り越したところがバスの終点でした。そこで撮った写真です。
↓下のバスは足助から更に奥、杉本経由小渡行きです。地図で調べると松本製材のトロッコがあった加塩橋も通りました。当時そんな知識はありませんでしたが・・・。フリーバスの看板があり、フリー区間ではバス停以外でも乗降可能でした。
三河線(山) ⑦ 西中金 2003(H15).9.28

廃止半年前の西中金駅舎です。上の④の写真と見比べると、瓦屋根がトタン屋根に変わっています。
三河線(山) ⑧ 西中金 2003(H15).9.28

西中金から足助に向かうバスです。この当時は乗り継ぐ人も減っていて、小型のバスになりました。
三河線(山) ⑨

 西中金 1988(S63).11.12

レールバスが走り始めて3年半後の西中金です。
キハ10形が停車中です。

この日は、香嵐渓の紅葉を見るためレールバスに揺られて西中金を訪問しました。この写真⑨⑩を撮ったあと、足助行きのバスに乗り換え渋滞に巻き込まれながら、香嵐渓の綺麗な紅葉を鑑賞しました。(何とか明るい内に到着しました)
三河線(山) ⑩

 西中金 1988(S63).11.12

西中金に停車中のレールバス重連です。
手前が三河線(山)をワンマン化するため3年半前に導入されたキハ10形2次車で、その向こうにいるのは前年に導入されたボギー車のキハ20形21号です。
キハ10形の重連と思いましたが、側窓の違いで20形であることがわかりました。紅葉見物の多客を予想して当時1両しかいなかったボギー車20形を動員したと思いますが、もう列車で来る人は少なくなっていました。
三河線(山) ⑪ Nさん撮影

 西中金 2003(H15).9.28

廃止半年前の西中金駅です。
終点側の車止めから見ました。上の写真③の30年後でした。
キハ30形が停車中です。
三河線(山) ⑫

 西中金 2004(H16).3.28

上の写真⑪の半年後・廃止直前です。
3日後に最終運行を控え、駅は賑わっていました。
この9年前に登場したLEカーキハ30形の「かえで号」がいました。
三河線(山) ⑬ 西中金 2003(H15).9.28

駅の三河広瀬方から撮りました。
三河線(山) ⑭ 西中金 2003(H15).9.28

左の写真から少し離れて撮りました。手前にはコスモスが咲いていました
三河線(山) ⑮ 西中金~三河広瀬 2003(H15).9.28

この右の方が西中金です。
三河線(山) ⑯ 西中金~三河広瀬 2003(H15).9.28

線路脇には彼岸花が咲いていました。向こう側が西中金です。
三河線(山) ⑰ 西中金~三河広瀬 2003(H15).9.28

♪青いススキの小径を帰るのか・・・(いい日旅立ち)
三河線(山) ⑱ 西中金~三河広瀬 2003(H15).9.28

畑越しに、西中金に向かうLEカーです。
三河線(山) ⑲

西中金~三河広瀬 2003(H15).9.28

三河広線からトンネルをくぐり、電車運転の名残の鉄柱が立ち並ぶ線路を曲がってくるキハ30形です。終点の西中金まではもうすぐです。
三河線(山) ⑳

西中金~三河広瀬 2003(H15).9.28

上の写真⑲の続きです。
たわわに実った柿の木がお迎えしていました。


三河線に二つ連続してあったトンネルを抜けてきた列車です。
力石・広瀬トンネルの向こうの写真は次の頁です(準備中)
  2014(H26).12.16up
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参考図書: 「名古屋鉄道社史」 名古屋鉄道 1961(昭和36)年5月発行
       「名鉄の廃線を歩く」 徳田耕一編著 JTBキャンブックス 2001(平成13)年8月発行
       「三河を走って85年」 郷土出版社 1999(H11)年2月発行