名鉄三河線・碧南~吉良吉田16.4kmは2004(平成16)年4月1日に廃止となりました。 三河線は、三河鉄道により開業した路線で、1914(大正3)年2月5日に刈谷新~大浜港(現・碧南)で開業、その後路線を南北に延伸していきました。 碧南~吉良吉田の歴史は下記の通りです。 1926(T15).9.1 三河鉄道・大浜港(現・碧南)~神谷(後の松木島)開通 1928(S3).8.25 神谷~三河吉田(現・吉良吉田(位置は少し異なる))開通 1941(S16).6.1 三河鉄道は名鉄と合併 1990(H2).7.1 三河線・碧南~吉良吉田をLE化・ワンマン化 2004(H16).4.1 三河線・碧南~吉良吉田を廃廃止 (猿投~西中金も同時に廃止) |
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↑国土地理院1/20万「豊橋」S42.6.30、「名古屋」S41.8.30発行より。 | 三河線(海) ① 碧南 1975(S50).7.19 1914(T3).2.5大浜港駅開業、1954(S29).4.1大浜港→碧南に駅名変更。この駅舎は碧南市が誕生した昭和23年に建てられたものです。 |
↑「観光の三河鐵道」(名鉄資料館所蔵)より 1937(昭和12)年頃の三河鉄道沿線図の碧南(大浜港)~吉良吉田(三河吉田)を切り抜き 三河鉄道は1941(昭和16)年に名鉄と合併 | |
↑1974(昭和49)年9月17日改正の三河線(海)平日ダイヤの一部(11:30~14:20)です。貨物列車のスジを青線でなぞりました。 このダイヤで三河線海の貨物列車は、刈谷~三河一色1往復(上図青線)、刈谷~新川町1往復、刈谷~碧南2往復が設定されていました。また当時の三河線海は知立~重原を除きタブレット閉塞式で、タブレット交換駅(閉塞の境界)は、重原~新川町の全駅と碧南・三河平坂・三河一色・吉良吉田駅で、貨物取扱い駅は刈谷~碧南の各駅(刈谷市・新須磨を除く)と三河平坂・三河一色でした。 ダイヤを見ると太線が急行で、知立~碧南に運行され、途中停車駅は刈谷市・三河高浜・高浜港・北新川・新川町でした。その他の通過駅では走行中に運転士が運転台の窓から顔と手を出してタブレットの授受を行っていました。運転台の後ろで見ながらスゴイ!と思ったのですが写真を撮っていないのを悔やんでいます。(後悔することばかりですが)←三河線山の記事をコピーして修正しましたので同じようなことを書いています・・・ |
三河線(海) ② 碧南 1975(S50).7.19 貨物扱いが盛んだった頃の碧南駅構内を南(玉津浦方)から見ました。 この当時、西三河の特産品である金物・瓦製品・味醂・漬物・乾麺など1日90tの貨物扱い量があったと言うことです。 |
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三河線(海) ③ 碧南 1975(S50).7.19 碧南駅構内を北(新須磨方)から見ました。 中央にデキ400形も停車中で、貨物輸送が盛んだった様子がわかります。 三河線・海の刈谷~碧南間のほとんどの駅で貨物扱いをしていて、最初に三河線に乗ったときは驚きました。しかし駅構内の全景を撮ったのは碧南駅だけです。もっと各駅で貨物扱いしていた駅の風景を撮っておけばよかったと悔やんでいます。 |
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三河線(海) ④ 碧南 1984(S59).3.11 1981(昭和56)年11月から、碧南~吉良吉田間は、両運転台の800形単行で運転されるようになりました。 1番線には知立~碧南折り返しのHL車3730系、2番線には碧南~吉良吉田折り返しの800形単行が停車中です。 |
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三河線(海) ⑤ 碧南 1993(H5).12.12 1990(平成2)年7月から、碧南~吉良吉田間は、キハ20形LEカーの運転が始まり、同時にワンマン化されました。 |
←三河線(海) ⑥ 三河旭 1993(H5).12.12 Nさん撮影 三河旭駅は、矢作川橋梁の最寄り駅でしたから、鉄橋で写真を撮る場合この駅で下車しました。撮影が終わって、この碧南行きキハ20形に乗ります。 |
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↓ 三河線(海) ⑦ 三河旭 2004(H16).3.13 Nさん撮影 碧南~吉良吉田の廃止が迫った頃です。「ご愛顧 ありがとうございました」の看板がついていました。 |
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三河線(海) ⑧ Nさん撮影 三河旭~中畑 1993(H5).12.12 三河線(海)随一の撮影ポイント・矢作川橋梁を渡るキハ20形です。 全長423.9mで、名鉄の橋梁の中では本線の木曽川橋梁(木曽川堤~笠松)484.5mに次ぐ2番目の長さでした。橋脚のスパンはこちらの方が短いので橋桁の数では勝っています。橋桁に1~21の番号が振ってあり、21スパンの見応えのある橋梁でした。 |
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三河線(海) ⑨ 三河旭~中畑 2004(H16).3.14 矢作川橋梁です。 私が三河線・海の廃止区間で撮った写真は、駅撮りを除けば、この鉄橋しかありません・・・ この鉄橋の写真を続けます。 |
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三河線(海) ⑩ 三河旭~中畑 2004(H16).3.14 河口に近いので、カモメがたくさん飛んでいました。 |
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三河線(海) ⑪ 三河旭~中畑 2004(H16).3.14 シジミ採りの風景を、上流側の橋から逆光で撮りました。 |
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三河線(海) ⑫ Nさん撮影 三河旭~中畑 2004(H16).3.13 右岸堤防(三河旭方)から見た矢作川橋梁の全景です。 古レール利用の架線柱がそのまま残っており、良いアクセントになっていました。 この鉄橋を走った電気機関車牽引の貨物列車の写真は →はなぶさをご覧ください。 |
三河線(海) ⑬ 三河旭~中畑 2004(H16).3.14 左岸堤防(中畑方)から見た矢作川橋梁の全景です。 |
三河線(海) ⑭ 三河旭~中畑 2004(H16).3.14 この右側が矢作川橋梁です。お名残乗車で車内は混雑していました。 |
三河線(海) ⑮ 三河平坂 2004(H16).3.14 三河平坂駅の交換風景です。 廃止が迫った頃は、碧南~吉良吉田間で唯一の交換駅で、朝だけ列車交換が行われたようです。 |
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三河平坂付近の地図 国土地理院1/5万「岡崎」S32.3.30発行に加筆 平坂の町は、江戸時代には年貢米の積出港として栄えた所で、西尾鉄道が1914(大正3)年に平坂線を開通させました(左図の青線)。開通時は軌間762mmの軽便鉄道で、蒸気機関車が活躍しました。その後、愛電に合併され1928(昭和3)年に改軌・電化、1960(昭和35)年に廃止されました。 三河鉄道(左図の赤線)は1926(大正15)年に大浜港(碧南)~神谷(松木島)が開通しましたが、後から出来たため、駅は町外れにあり、両鉄道は競合関係にあったためか、乗換には不便な駅配置でした。両線が名鉄に合併後も交差部に駅は出来ませんでした。 |
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三河線(海) ⑯ 三河一色 1984(S59).3.11 800形の単行が走っていた頃の三河線(海)です。 吉良吉田から乗った碧南行き電車が、三河一色で交換待ちをしましたので、電車から降りて撮りました。 813号は1981(昭和56)年にモ3500形3503号を両運転台化改造して出来た車です。 なお、3500形は戦時中の1942(昭和17)年に出来た電車です。 →Wikipedia名鉄3500系(初代) 813号は、1989(平成元)年に廃車となりました。 |
三河線(海) ⑰ 三河一色 1984(S59).3.11 三河一色駅での交換風景です。813号と814号が交換しました。 三河一色駅は、この直後の3月19日に運転業務を廃止し、ここで列車交換はなくなりました。左方の倉庫前には、一色産の鰻を貨車で積み出していた頃は引き込み線がありました。 |
三河線(海) ⑱ 吉良吉田 1984(S59).3.11 814号は3505号を両運転台化改造して出来た車です。 両運転台の800形は、この当時809~814の6両がいました。そのラストナンバーです。 |
三河線(海) ⑲ Nさん撮影 吉良吉田~松木島 2003(H15).10.19 矢作古川の橋梁を渡るキハ30形です。 矢作古川は、Wikipediaで調べたら名前の通り、昔の矢作川でした。 徳川家康の命により、治水対策で矢作川の大規模な付け替えを行いました。現在の西尾線米津橋梁の少し上流付近で矢作川と矢作古川が分流しています。 矢作古川の橋梁といえば、名鉄社史に掲載された↙下の写真です! |
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名古屋鉄道社史(昭和35年発行)より転載 西尾鉄道株式会社 「矢作古川橋梁上の試運転列車 西三軌道はこのような汽車で開業した」 社史283ページに左の写真と上記解説文が掲載されています。 実に可愛らしい"エィヴォンサイド"製の軽便蒸気機関車ですね! 東海道線岡崎駅横の岡崎新駅と西尾駅を結ぶ「西三軌道」は1911(明治44)年に開業しましたが、翌年「西尾鉄道」と社名変更したので、「西尾鉄道」の名称が一般的です。軌間762mmの蒸気軽便鉄道でした。 この西尾鉄道は、西尾に最初に出来た鉄道で、その後、西尾~港前、西尾~吉田港を順次開通させましたが、碧海電気鉄道や三河鉄道の攻勢を受け、1926(大正15)年に愛知電気鉄道へ合併、1928(昭和3)年に改軌・電化されました。 |
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三河線(海) ⑳ Nさん撮影 吉良吉田 2004(H16).3.13 吉良吉田駅の三河線ホームです。 向こう側へ延びている線路は蒲郡線で、蒲郡線も三河鉄道が建設した路線です。 ↓廃止が迫り、お名残乗車のお客さんで三河線のホームは賑わっていました。 |
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三河線(海) (21) 吉良吉田 2004(H16).3.14 これが、三河線LEカー最後の写真です。 三河一色大提灯号の看板付きです。 |
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津島軽便堂 三河線(山)1へ 八百津線へ | 2015(H27).1.16up |
参考図書: 「名古屋鉄道社史」 名古屋鉄道 1961(昭和36)年5月発行
「名鉄の廃線を歩く」 徳田耕一編著 JTBキャンブックス 2001(平成13)年8月発行
「三河を走って85年」 郷土出版社 1999(H11)年2月発行