高松琴平電鉄 1/3 旧型電車が活躍していた昭和時代 琴電2へ 琴電3へ
↑琴電① 瓦町 1988(S63).2.20 琴電のターミナル・瓦町駅です。 昔の面影を伝えるの賑やかな駅でした。 |
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←琴電② Nさん撮影 志度線 房前~原 1973(S48).7.26 志度線の終点付近の海沿いを走る230号です。 この電車は、「世界の鉄道'75」によれば、宮城電鉄から来ています。 |
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琴電③ Nさん撮影 志度線 房前~原 1973(S48).7.26 松林のある海沿いを走る315号です。 遙か彼方には、特異な形状の八栗山が見えました。 Nさんは、1973(昭和48)年の夏に、非鉄仲間と一緒に小豆島・四国旅行をし、他の人が栗林公園観光をしている間、志度線・長尾線を乗りに行きました。 |
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琴電④ Nさん撮影 長尾線・長尾 1973(S48).7.26 おしゃれな貫通扉が魅力的な、元阪神電車37号です。 床屋さん電車・喫茶店電車と呼ばれていました→「はなぶさ」をご覧ください →「床屋さんがいた頃の琴電」も 長尾線は、1976(昭和51)年12月に600V→1500Vに昇圧されたました。 600V時代晩年の長尾線の主役は、元阪神の、この30形電車でした。 |
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琴電⑤ Nさん撮影 長尾線 1973(S48).7.26 長尾線のひまわり畑の横を走る、元阪神の30号です。 |
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琴電⑥ 志度線 塩屋~房前 1977(S52).5.6 志度線に乗り、塩屋を出てしばらくすると海が見えます。 海沿いに出て直ぐのところを志度行きが通り過ぎました。 私が初めて琴電を訪ねたのは、1977(昭和52)年のゴールデンウィークでした。 このときは、土佐電、伊予鉄、琴電の四国の私鉄めぐりをしました。 |
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琴電⑦ 志度線 屋島 1977(S52).5.6 志度線には、屋島、八栗山といった観光名所がありました。 そこにはケーブルカーも走っていましたが、この屋島駅近くから出ていた屋島ケーブルは廃止になってしまいました。 昔は、観光客で賑わった面影が残る駅舎でした。 高松築港行きの510号が、まもなく屋島を出発します。 左の方には、たくさん電車が止めてありました。その電車の写真が下の⑧です。 |
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琴電⑧ 志度線 屋島 1977(S52).5.6 屋島駅の留置線にいた、元阪神の床屋さん電車です。 長尾線で活躍していた電車ですが、1976(昭和51)年12月の長尾線昇圧で役割を終え、しばらく屋島駅に留置されていたものと思われます。 この5ヶ月前に琴電を訪問していれば、元阪神電車の活躍シーンが見られたと思うと残念でたまりません。(当時はそんな知識もなく、あとから調べて分かったことですが・・・) 京福電鉄福井支社や野上電鉄にも同じタイプの電車がいたのですが、そちらも車庫でしか撮っていませんでした。 |
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琴電⑨ 志度線 屋島 1977(S52).5.6 八栗行きが屋島に到着しました。 高松築港・瓦町から乗ってきた観光客は、ここで降りて左の方の屋島ケーブルの乗り場へ向かいます。 右ホームの右の線(兼留置線)にいる73号は、元東濃鉄道駄知線103号ということです。→Wikipedia |
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琴電⑩ Nさん撮影 屋島ケーブル 1973(S48).7.26 琴電屋島駅の近くの、屋島登山口~屋島山上を結んでいたケーブルカーです。 正式名称は、屋島登山鉄道で、琴電の系列会社でした。 1929(昭和4)年開業の歴史ある路線で、戦時中の休止を経て、戦後運転再開されましたが、2004(平成16)年に運転休止、そのまま翌年に廃止されました。 |
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琴電⑪ Nさん撮影 瓦町 1973(S48).7.26 瓦町に到着する1011号の準急琴平行きです。 金比羅さんで有名な琴平に向けて、昔は瀬戸内海沿いの港町から、「琴平参宮電鉄」坂出-丸亀-善通寺-琴平、多度津-善通寺、「琴平急行電鉄」坂出-琴平が走っていましたが、かなり昔に廃止になり「琴平電鉄」だけが残りました。 |
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琴電⑫ 瓦町 1977(S52).5.6 瓦町駅3番線に停車中の510号八栗行きです。 3番線は、志度線専用ホームで、高松築港から来た電車は、ここで折返し屋島・八栗・志度方面に向かいました。高松築港行きの志度線列車も、この3番線で折り返しました。 |
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琴電⑬ 瓦町 1977(S52).5.6 瓦町に到着する長尾線の列車です。 この93号は、元京浜急行の電車で正面貫通路上の屋根のカーブに特徴があります。 志度線用の電車でしたが、長尾線の昇圧(1976(S51).12)により、長尾線に転用されました。 |
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琴電⑭ 瓦町 1977(S52).5.6 4・5番線に停車中の長尾線の列車です。 共に元志度線の電車でした。向こうの62号は「世界の鉄道'75」によれば、自社で本格的車体新造を施工した最初の電車ということです。 当時、長尾線の列車は瓦町で折り返していました。 手前の100号は折返して、長尾線の平木行きになります。 |
↑琴電⑮ 瓦町 1977(S52).5.6 810号の高松築港行きが、まもなく瓦町駅1番線に到着します。 この電車の生まれは豊川鉄道で、福塩線時代に廃車となったのを払い下げられた買収国電です。当時最大級の車体でした。 |
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←琴電⑯ 長尾線・平木 1977(S52).5.6 平木に到着した100号です。 運転士が行き先板を平木→瓦町へひっくり返しています。 100号は、大正15年生まれの琴電オリジナル電車で、当時の琴電の最古の電車でした。楕円の車号番が良いですね! この電車に乗り、平木まで来ましたが、長尾線全線乗るために長尾行きを待ちました。(長尾の写真はありませんが・・・) |
琴電⑰ 長尾線・平木 1977(S52).5.6 130号が平木駅を出発しました。 右の方には、5ヶ月前まで長尾線の主役だった、元阪神の30形が留置されていました。 この写真が、このときの四国旅行最後の写真です。 |
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2013(H25).6.22up | |
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参考図書:「琴電100年のあゆみ」 森 貴知著 JTBパブリッシング2012(H24).3.1発行
「世界の鉄道'75」 朝日新聞社1974(S49).10.14発行
「日本鉄道旅行地図帳 11号 中国四国」 新潮社2009(H21).3.18発行