この地図は、国土地理院1/20万「金沢」S44.10.30発行・「岐阜」S43.2.28発行より
戦時中の配電統制令により、電力会社(京都電燈)が作った鉄道路線を引き継いで昭和17(1942)年誕生したのが京福電鉄です。都と井に鉄道路線があったため、京福電鉄という名前になりました。
京都市内の京福電鉄は、嵐電叡電と親しまれ昭和50年代の前半までポール電車が走っていました。
福井県内の京福電鉄の最盛期は、三国芦原電鉄・永平寺鉄道・丸岡鉄道を合併し長大な路線網がありました。
 越前本線:福井〜京福大野 36.4km、 三国芦原線:福井口〜三国港 25.2km
 永平寺線:金津〜永平寺24.6km、 丸岡線:本丸岡〜西長田 7.6km  合計93.8kmもありました。
 京福電鉄福井支社と呼ばれ、全線600V電化で、軌間1067mmでした。

私が最初に福井を訪問した1972(昭和47)年には、永平寺線の金津〜東古市18.4kmと、丸岡線全線は既に廃止となっていました。それでも67.8kmが残っていたわけです。
その後、越前本線の勝山〜京福大野8.6km(図の水色線)が1974(昭和49)年に廃止となり、永平寺線の残存区間:東古市〜永平寺6.2km(図の赤線)も2001(H13)年に運転休止となり、そのまま翌年に廃止となりました。
残りの路線(福井〜勝山・福井口〜三国港)も事故を機に2001(H13)年から運休になり廃止寸前までいきましたが、地元の熱意により、「えちぜん鉄道」として2003(平成15)年に運行が再開され、見事に再生しました。

京福電鉄 越前・永平寺線 1/4   1972(昭和47)年8月   越前・2  越前・3  越前・4


京福−福井@

 永平寺 1972(S47).8.22

北陸私鉄めぐりで、京福電鉄福井支社に乗りました。
まずは、我が家の檀家寺(檀那寺)である津島の雲居寺の総本山:永平寺を参拝するため、永平寺線に乗りました。

永平寺駅で降りて、すぐに撮りました。
立派な駅舎でした。しかし残念ながら駅舎の写真は撮っていません。

この写真を撮ったあと、永平寺を参拝に行きました。
京福−福井A

 永平寺 1972(S47).8.22

永平寺の参拝を終わり、永平寺駅に戻ってきました。

東古市方面から電車が到着します。
この折返し電車に乗りました。
京福−福井BC 京善 1972(S47).8.22

永平寺から電車に乗って、二駅目の京善で途中下車しました。

この年の8月5日から「男はつらいよ・柴又慕情」が封切られていました。
私は、名古屋の松竹座でこの映画を見てから京福電鉄を訪問したので、寅さんが歌子さん(吉永小百合様)と最初に出会う京善を訪問しました。
 (映画では、京善駅前の茶店で運命的?な出会いをしました)
なお「男はつらいよ・柴又慕情」には、尾小屋鉄道も登場します。


←駅の出札窓口の横に看板が出ていました。(既に無人駅でした)

この映画には、あこがれの吉永小百合さんが永平寺線のレールの上を歩くシーンや、東古市駅での別れのシーンもあり、撮影協力・京福電鉄鰍フ文字も頷けます。


↑新塗装の永平寺行き電車が京善に到着しました。

京善で降りて撮った写真はこの2枚だけです。
京福−福井D

 福井口  1972(S47).8.22

三国芦原線の分岐駅で、車庫のある拠点駅:福井口に戻って来ると、電動貨車テキ20号が構内入換に活躍していました。


参考図書の「私鉄車両めぐり特輯V」を読むと、
「テキ6形は大正9年梅鉢製、元は6〜11の6両であったが、昭和10.3.16新福井車庫類焼の際、8・10・11の3両が焼失、その際廃車。8号の電気部品及び台車・車体の一部を使用し、昭和11加藤車輛で車体を改造したのが20号」と書いてありました。

なお、テキ6形は正式には電気機関車ですが、外観が電動貨車に似ていますので、私の頭の中では電動貨車です・・・
京福−福井E

 福井口  1972(S47).8.22

テキ20号は、駅の方から車庫の方へ212号を押していきました。

奥のほうに、電気機関車テキ522号も見えました。
京福−福井F

 福井口  1972(S47).8.22

上の写真Eの続きです。
車庫の方へ推進して行きました。

電車の塗装変更が始まっていて、左に写っている新塗装の2013号は、元南海の電車です。
テキ20号の右奥に写っている電車は、元阪神の32号です。


電車の色については、次ページのカラー写真をご覧ください。
京福−福井G

 福井口  1972(S47).8.22

大好きな電動貨車(タイプ)ですから、たくさん写真を撮りました。

271号は、小田急開業時の由緒ある電車で、一旦相模鉄道へ払い下げられたあと、京福電鉄福井支社へやってきました。
京福−福井H

 福井口  1972(S47).8.22

テキ20号が別の電車の入換をしています。

テキ20号のいる線路は車庫につながっていますが、その向こうの2本の線路は越前本線です。福井口の次の駅(写真右方向)の越前開発までは複線です。
草むらの向こうの、左の方に別れていく線路は、三国芦原線です。この写真の左奥で北陸本線の上を越します。
京福−福井I

 福井口  1972(S47).8.22

元阪神の小型車32号です。

おしゃれな貫通扉に特徴があります。
この貫通扉の形状から、「喫茶店」・「床屋の玄関」という愛称があったそうです。

同系列車両が阪神から高松琴平電鉄へも譲渡されています。
「はなぶさ」に集まる仲間たちの
床屋さん電車」をご覧ください。

私はてっきり観音開きの扉と思っていましたが、折り戸だったんですね!
京福−福井J

 福井口  1972(S47).8.22

いろんな電車が並んでいます。
一番左に少し写っている2014号(新塗装)は元南海。その隣の263号は元京王、そして32号は元阪神、一番右の202号は京福オリジナルの車両のようです。
京福−福井K

 福井口  1972(S47).8.22

電動貨車(タイプ)テキ9号です。
長円形の側窓が良いですね!

参考図書の「私鉄車両めぐり特輯V」を読むと、
「テキ7形(7・9号)は6形と同形、制御器を交換したため形式が異なる」と書いてありました。

京福電鉄福井支社には、私が大好きな電動貨車が、この頃6・9・20・100号の4両いたと思われます。
次ページ以降にも電動貨車が登場しますので、ご覧ください。

最初の京福電鉄福井支社訪問時の写真はこれでおしまいです。
このあと、三国芦原線に乗って終点の三国港まで行きましたが、東尋坊観光をしただけで、三国芦原線の写真は1枚も撮っていません・・・
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参考図書
  「世界の鉄道'75」 朝日新聞社 1974(昭和49)年10月発行
  「私鉄車両めぐり特輯[第V輯]」 鉄道図書刊行会 1982(昭和57)年4月発行 京福電鉄の記事は、鉄道ピクトリアル1959.1-2月号(No.90・91)の再録