京福電鉄 越前・永平寺線 1/4 1972(昭和47)年8月 越前・2へ 越前・3へ 越前・4へ
京福−福井@ 永平寺 1972(S47).8.22 北陸私鉄めぐりで、京福電鉄福井支社に乗りました。 まずは、我が家の檀家寺(檀那寺)である津島の雲居寺の総本山:永平寺を参拝するため、永平寺線に乗りました。 永平寺駅で降りて、すぐに撮りました。 立派な駅舎でした。しかし残念ながら駅舎の写真は撮っていません。 この写真を撮ったあと、永平寺を参拝に行きました。 |
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京福−福井A 永平寺 1972(S47).8.22 永平寺の参拝を終わり、永平寺駅に戻ってきました。 東古市方面から電車が到着します。 この折返し電車に乗りました。 |
京福−福井BC 京善 1972(S47).8.22 永平寺から電車に乗って、二駅目の京善で途中下車しました。 この年の8月5日から「男はつらいよ・柴又慕情」が封切られていました。私は、名古屋の松竹座でこの映画を見てから京福電鉄を訪問したので、寅さんが歌子さん(吉永小百合様)と最初に出会う京善を訪問しました。 (映画では、京善駅前の茶店で運命的?な出会いをしました) なお「男はつらいよ・柴又慕情」には、尾小屋鉄道も登場します。 ←駅の出札窓口の横に看板が出ていました。(既に無人駅でした) この映画には、あこがれの吉永小百合さんが永平寺線のレールの上を歩くシーンや、東古市駅での別れのシーンもあり、撮影協力・京福電鉄鰍フ文字も頷けます。 ↑新塗装の永平寺行き電車が京善に到着しました。 京善で降りて撮った写真はこの2枚だけです。 |
京福−福井D 福井口 1972(S47).8.22 三国芦原線の分岐駅で、車庫のある拠点駅:福井口に戻って来ると、電動貨車テキ20号が構内入換に活躍していました。 参考図書の「私鉄車両めぐり特輯V」を読むと、 「テキ6形は大正9年梅鉢製、元は6〜11の6両であったが、昭和10.3.16新福井車庫類焼の際、8・10・11の3両が焼失、その際廃車。8号の電気部品及び台車・車体の一部を使用し、昭和11加藤車輛で車体を改造したのが20号」と書いてありました。 なお、テキ6形は正式には電気機関車ですが、外観が電動貨車に似ていますので、私の頭の中では電動貨車です・・・ |
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京福−福井E 福井口 1972(S47).8.22 テキ20号は、駅の方から車庫の方へ212号を押していきました。 奥のほうに、電気機関車テキ522号も見えました。 |
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京福−福井F 福井口 1972(S47).8.22 上の写真Eの続きです。 車庫の方へ推進して行きました。 電車の塗装変更が始まっていて、左に写っている新塗装の2013号は、元南海の電車です。 テキ20号の右奥に写っている電車は、元阪神の32号です。 電車の色については、次ページのカラー写真をご覧ください。 |
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京福−福井G 福井口 1972(S47).8.22 大好きな電動貨車(タイプ)ですから、たくさん写真を撮りました。 271号は、小田急開業時の由緒ある電車で、一旦相模鉄道へ払い下げられたあと、京福電鉄福井支社へやってきました。 |
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京福−福井H 福井口 1972(S47).8.22 テキ20号が別の電車の入換をしています。 テキ20号のいる線路は車庫につながっていますが、その向こうの2本の線路は越前本線です。福井口の次の駅(写真右方向)の越前開発までは複線です。 草むらの向こうの、左の方に別れていく線路は、三国芦原線です。この写真の左奥で北陸本線の上を越します。 |
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京福−福井I 福井口 1972(S47).8.22 元阪神の小型車32号です。 おしゃれな貫通扉に特徴があります。 この貫通扉の形状から、「喫茶店」・「床屋の玄関」という愛称があったそうです。 同系列車両が阪神から高松琴平電鉄へも譲渡されています。 「はなぶさ」に集まる仲間たちの 「床屋さん電車」をご覧ください。 私はてっきり観音開きの扉と思っていましたが、折り戸だったんですね! |
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京福−福井J 福井口 1972(S47).8.22 いろんな電車が並んでいます。 一番左に少し写っている2014号(新塗装)は元南海。その隣の263号は元京王、そして32号は元阪神、一番右の202号は京福オリジナルの車両のようです。 |
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京福−福井K 福井口 1972(S47).8.22 電動貨車(タイプ)テキ9号です。 長円形の側窓が良いですね! 参考図書の「私鉄車両めぐり特輯V」を読むと、 「テキ7形(7・9号)は6形と同形、制御器を交換したため形式が異なる」と書いてありました。 京福電鉄福井支社には、私が大好きな電動貨車が、この頃6・9・20・100号の4両いたと思われます。 次ページ以降にも電動貨車が登場しますので、ご覧ください。 最初の京福電鉄福井支社訪問時の写真はこれでおしまいです。 このあと、三国芦原線に乗って終点の三国港まで行きましたが、東尋坊観光をしただけで、三国芦原線の写真は1枚も撮っていません・・・ |
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参考図書
「世界の鉄道'75」 朝日新聞社 1974(昭和49)年10月発行
「私鉄車両めぐり特輯[第V輯]」 鉄道図書刊行会 1982(昭和57)年4月発行 京福電鉄の記事は、鉄道ピクトリアル1959.1-2月号(No.90・91)の再録