叡電 ポール時代 1/3 叡電2へ 叡電3へ 紅葉・桜・新緑の叡電へ
京都市北部を走っている叡電です。 今は叡山電鉄となり、文字通りの叡電となりましたが、私が訪れたときは京福電鉄叡山線と鞍馬線でした(左図の青線)。 昔から、叡電という愛称で呼ばれていました。 叡電は、一般の鉄道としては最後の1978(昭和53)年まで、ポール集電の電車が残りました。 私が中小私鉄の魅力に目覚めた1972(昭和47)頃にポール集電で残っていた私鉄は、叡電と嵐電(京福嵐山・北野線)のみでした。 あこがれのポール電車を訪問したのは1972(昭和47)年5月1日でした。 名古屋→(急行「比叡」)→石山→(京阪)→東山三条→(京都市電)→加茂大橋=出町柳を目指しましたが、京都市電がメーデーの行列に行く手を阻まれ、出町柳到着が30分くらい遅れたような気がします。 左の地図は、国土地理院発行1/20万「京都及大阪」S43.3.30発行より |
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↓叡電@ 鞍馬 1972(S47).5.1 あこがれのポール電車この日の最初の写真です。 出町柳からこの電車に乗り、終点鞍馬へ到着しました。 |
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叡電A 鞍馬 1972(S47).5.1 鞍馬駅に到着する203号です。 鞍馬駅から山の中へ入って次の到着電車を待ちました。 ポール集電ですから、ポールを強調するために後ろから撮りました。 |
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↑叡電B 鞍馬 1972(S47).5.1 鞍馬駅に到着した203号がポールを降ろしています。 |
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←叡電C 鞍馬 1972(S47).5.1 のどかな鞍馬駅です。近所の犬がホームにいました。 |
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叡電D 鞍馬〜貴船口 1972(S47).5.1 上の写真Cを撮ったあと、少し歩いて203号が鞍馬を出発してくるのを撮りました。 |
↑叡電E 鞍馬〜貴船口 1972(S47).5.1 上の写真Dの203号の後ろ姿です。 |
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←叡電F 鞍馬 1972(S47).5.1 次の301号が鞍馬に到着しました。 丸い行き先表示器を車掌さんがひっくり返します。 丸い行き先表示器はとても魅力的でした。 |
叡電G 貴船口 1972(S47).5.1 鞍馬の一つ手前の貴船口も情緒のある駅でした。 石段を下りたところに待合室があり、便所は更に階段下にあります。 |
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叡電H 貴船口 1972(S47).5.1 格好いいデナ21号が貴船口に到着しました。 窓上のRが優雅で、京都らしい上品さを感じる電車でした。 ハイカーが乗り込みます。 |
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叡電I 貴船口〜二ノ瀬 1972(S47).5.1 上の写真Hの続きで、21号の後ろ姿です。 |
←叡電J 貴船口 1972(S47).5.1 貴船口を出発して、ポールを張り上げ鞍馬に向かう電車です。 |
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↓ 叡電K 出町柳 1972(S47).5.1 夕方の出町柳を出発して八瀬遊園に向かう細面の元阪神電車です。 左のJを撮ったあと、貴船口から出町柳に戻りました。 このあと、たぶん市電・嵐電・山陰線を乗り継いで亀岡のユースホステルに宿泊しました。 |
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2012(H24).3.31up | ||
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