嵐電 ポール時代 1/2 京都らしい古風で優雅な電車がホイール付きのポールで走っていました
京都市西部を走っている嵐電です。 京福電鉄嵐山線と北野線です(左図の青線)。 嵐山本線 四条大宮〜嵐山 7.2km 北野線 北野白梅町〜帷子ノ辻 3.8km 私が中小私鉄の魅力に目覚めた1972(昭和47)頃にポール集電で残っていた私鉄は、叡電と嵐電のみでした。ただし、同じポール集電でも、集電部分(架線と接するところ)が、叡電はスライダーシューに変更されていましたが、嵐電はトロリーホイールのまま残っていました(その写真は後ほど)。嵐電のポールは、1975(昭和50)年12月に、Zパンタに変更されました。 私が最初に嵐電の写真を撮ったのは1972(昭和47)年の5月でした。 ←左の地図は、国土地理院発行1/20万「京都及大阪」S43.3.30発行より |
嵐電@ 嵐山 1972(S47).5.2 格調高い駅舎の終点・嵐山駅です。 線路が3本あり、よく見ると全部の線に電車が停まっています。 この風格ある駅舎も、1974(S49)年10月に「嵐山レディースホテル」を併設した駅舎に変わってしまいました。 |
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嵐電A 嵐山 1972(S47).5.2 嵐山駅を出発する四条大宮行きの電車です。 朝陽を浴びる古風な電車と駅舎、そして背景の山が、私の思い描く京都のイメージにピッタリで、お気に入り写真です。 私は、嵐電といえばこの電車を思い浮かべます。 嵐電の主力であったこの形の電車は、モボ101形・111形・121形の3種類の形式があったようですが、車体外観はほぼ同じでした。 |
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嵐電B 嵐山 1972(S47).5.2 上の写真Aの電車が通り過ぎたところです。 ↓そのもう少し先に、嵯峨駅前の電停があり、そこで嵐山行きとすれ違いました。 嵐山から嵯峨駅前までは287mです。 |
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嵐電C 嵐山 1972(S47).5.2 嵐山の駅舎側から撮った駅の風景です。 約40年前の、のどかな嵐山駅です。 写っている時計の針を見ると、10時少し前の情景です。 このときの訪問の嵐電の写真はこれだけ(@〜C)で、このあと嵐電・京都市電を乗り継いで叡電の写真を撮りに行きました。 |
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嵐電D 太秦(うずまさ) 1972(S47).8.5 真夏の京都です。 弥勒菩薩半跏思惟像で有名な広隆寺の門前をとおり、太秦駅に到着する嵐電です。 なお現在は、太秦→太秦広隆寺と駅名が変わりました。 |
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嵐電E 太秦(うずまさ) 1972(S47).8.5 上の写真Dの続きです。 同じ場所で反対を向いてとりました。 太秦を出発していく四条大宮行き電車です。 |
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嵐電F 太秦(うずまさ) 1972(S47).8.5 太秦に到着した嵐山行きです。 運転士が切符を集めています。 屋根上の降ろしたポールの先に、丸いトロリーホイールが付いています(下半分しか写っていませんが)。 この滑車のようなホイールが架線の下を回転しながら集電していました。 |
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嵐電G 太秦(うずまさ) 1972(S47).8.5 太秦を出発し、嵐山に向かう電車です。 左端に「2 09」という表示が写っています。たぶん午後2時9分で、真夏の一番暑い時間帯でした。 そのため、歩き回らず、駅でジッとD〜Hの写真を撮っていました。 前方左に向かう坂道は「大映通り商店街」の看板があります。 映画撮影所のメッカ太秦に東映映画村ができたのは、この3年後でした。 |
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嵐電H 太秦(うずまさ) 1972(S47).8.5 広隆寺の山門前の併用軌道を走る嵐電です。 オート三輪とすれ違います。 |
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2012(H24).4.15up | |
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参考図書
「世界の鉄道'73」 朝日新聞社 1972(昭和47)年10月発行