木曽森林鉄道 滝越1 (上松起点32.8km) 蘇水寮の支線へ 集材線へ 上黒沢鉄橋へ やまばと号へ
木曽森林鉄道 滝越@ 滝越 1974(昭和49)年3月23日 (上松方向から見た滝越駅全景) 滝越は、木曽森林鉄道の中で一番奥にあった集落です。 森林鉄道が唯一の交通機関であった滝越(たきごし)という地名は、我々の年代(60歳)の森林鉄道ファンにとって特別な響きがあります。 NHKの新日本紀行で昭和48年1月に放送され、NHKアーカイブス「昭和 鉄道のある風景」DVD化された「木曽森林鉄道」では、滝越は主役級の扱いで、林鉄のむら「滝越」として紹介されています。 滝越を訪れたのは、1974(昭和49)年3月22日です。 森林鉄道に乗ろうと手を尽くし、林鉄ファンの友人Hさんの父君がC電力会社にお勤めだったので、そちらからお願いしました。関西電力の滝越発電所を見学する名目で、関電の滝越の寮に泊めていただけることになりました。Hさんと2人で、3月22日やまばと号に乗って雪の降る滝越で下車しました。 |
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木曽森林鉄道 滝越A 白川支線 1974(S49)年3月23日 関西電力の滝越の寮には滝越発電所に勤めているおじさん2人と賄いのおばさんがいただけでした。そこへ若者2人が泊めてもらいました。久しぶりの来客だったようで、その夜は面子がそろい麻雀をしました。(当時、麻雀は娯楽の主役でした) 泊めてもらった翌朝、滝越発電所の見学に行きました。寮が何処にあったのか、どうやって発電所まで行ったのか、発電所で何を見たのか全く記憶がありません。前夜雪が降ったので新雪を踏みしめながら行ったような気がします。 上の地図を見れば、発電所まで線路がつながっていましたが、写真は撮っていません。惜しいことをしました。 発電所見学を終わって、白川支線のところへ戻ったら、エンジン音が聞こえたので待っていると除雪機関車の戻り列車がやってきました。 |
滝越B 1974.3.23 白川支線 上の写真Aの続きです。 |
滝越C 1974.3.23 白川支線 左の写真Bの列車の後ろ姿です。 王滝川に架かる白川鉄橋を渡り 王滝本線に合流します。 |
滝越D 2010(H22).10.10 白川鉄橋(白川線王滝川橋梁) 白川支線の廃線跡に残る橋梁です。 |
滝越E 2010.10.10 白川鉄橋(白川線王滝川橋梁) 上の写真Cとほぼ同じ位置から撮りました。対岸は木に埋もれています |
木曽森林鉄道 滝越F 王滝本線と白川支線の合流点 1974(S49).3.23 左の線が王滝本線です。真っ直ぐに伸びている線路の手前側は前夜の雪で埋もれています。 今朝から王滝本線の本谷方面には列車が走っていないようです。 (こちらから見て)右の方に分岐し手前側に伸びている除雪された線路が白川支線です。上のA〜Cの除雪列車が走ったので、きれいに除雪されています。 写真奥の方が滝越駅です。 運材車も留置してありました。白川支線から運び出された運材車は一旦ここに留置されていたようです。 |
滝越G 1974.3.23 合流点付近の運材車留置線(滝越方向を見る) | 滝越H 1974.3.23 合流点付近の運材車留置線(本谷方向を見る) |