津島軽便堂写真館

名鉄 揖斐線 3/4  美濃北方尻毛・伊自良川橋梁    揖斐線1  揖斐線2   揖斐線4

揖斐線(44)

美濃北方 1981(S56).1上旬

雪の美濃北方駅を510+520形の新岐阜行き直通急行が出発しました。

この当時の昼間の運行パターンは、新岐阜~本揖斐間の直通急行が2本/時、忠節~美濃北方間の普通が2本/時でした。
揖斐線(45)

美濃北方 1981(S56).1上旬

美濃北方駅は揖斐線中間の主要駅でした。写真の700形-2320形の列車は、美濃北方で折り返しですが、一旦左の1番線に到着したあと、入換で右の2番線に転線し、出発を待ちました。
揖斐線(46) 美濃北方 1999(H11).1.10

上の写真(44・45)の18年後です。美濃北方折り返し列車が、到着した1番線からそのまま発車できるようになりました。
780形は1997(H9)年4月に製造された岐阜地区600V線区初のVVVFインバータ制御の電車でした。
開業間もない頃の岐北軽便鉄道北方(後の美濃北方)駅
 1915(大正4)年頃
        名古屋鉄道社史(昭和36年発行)P279より

美濃北方駅は、岐北軽便鉄道が忠節~北方間で1914(大正3)年に開業したときの終点でした。当時の駅名は北方駅で、写真後方の建物が岐北軽便鉄道本社でした。
揖斐線(47)

美濃北方 1999(H11).1.10

北方千歳町方面から到着する770形連接車の黒野行きの急行です。

北方町は、岐阜県の市町村では面積が最も小さく、人口密度が最も高いそうです。この線路に沿って南(右)側の街道沿いに町並みが続いており、向こう隣の北方千歳町駅と美濃北方駅は500mしか離れていませんが、急行列車は両方とも停車しました。

国鉄がJRに代わり、東海道線が便利になったので、北方町の人たちが車で約5キロ南の穂積駅まで出るようになり、揖斐線のお客さんが減りました。それも揖斐線廃止の一因でした。
揖斐線(48)

尻毛~又丸 1996(H8).2.3

珍しい名前の尻毛
(しっけ)駅を出発した510形です。
向こうの方に尻毛駅が見えます。交換駅で、新岐阜行き770形が停車しています。
この背面側の駅も、珍しい名前の又丸
(またまる)ですが、急行は通過しました。
揖斐線(49)

尻毛~又丸 1996(H8).2.3

上の写真(48)の続きで、通り過ぎた列車の後ろ姿を撮りました。
揖斐線(50)

 尻毛 1997(H9).9.20

尻毛駅の改札口です。
昔は有人駅で、駅員が通票を交換していました。
揖斐線忠節~黒野間が自動閉塞化され、無人駅となりました。

尻毛駅は、忠節を出た急行が最初に止まる駅で、有名撮影地・伊自良川橋梁の最寄り駅だったので、よく利用した思い出の駅です。
揖斐線(51)

 尻毛 1997(H9).9.20

尻毛駅で交換する770形と510形です。
1967(昭和42)年から始まった揖斐線・岐阜市内線の直通運転は、1987(昭和62)年に770形が登場するまでは510形の独壇場でした。だんだんと新型車両にその運用を譲り、この年に780形1次車が登場したので、510形の定期運用は大幅に削減されました。
揖斐線(52)

尻毛~旦ノ島 1976(S51).1

伊自良川の橋梁です。
10スパンの橋梁で、岐阜(忠節)に近く便利だったので、揖斐線随一の撮影地でした。

この頁で一番古い写真です。
名鉄電車を全部赤色に塗り替え始めた頃で、まだ緑色の電車がたくさん走っていました。
750形のMM2連です。
揖斐線(53)

尻毛~旦ノ島 1976(S51).1

上の写真(52)の鉄橋の右側(旦ノ島方)は、築堤になっていました。その手前は、畑になっていました。
西日を浴びて緑の電車が走ります。
ク2180形-モ760形の2連です。

この畑は、後にサッカー場になりました。
揖斐線(54)

尻毛~旦ノ島 1995(H7).9.15

伊自良川橋梁を渡るブルーライナーミニです。
1994(平成6)年に名鉄は創業100年を迎え、それを記念し、本線の1000系特急車の塗装を変更して「ブルーライナー」として期間限定で走行させました。
岐阜地区も770形を同様な塗装に変更し「ブルーライナー・ミニ」として走りました。

名鉄沿線の観光地を描いた電車で、今ならラッピングで比較的簡単にできますが、この当時は全部塗装だったので、原画に合わせて車体に描くのは大変だったと聞きました。
揖斐線(55)

尻毛~旦ノ島 1995(H7).9.15

伊自良川橋梁の旦ノ島方に続いていた築堤を510形2連が走ります。

線路が東西方向に走り、築堤-鉄橋と連続し、電柱が北側にあったので、撮影に最適の場所でした。
揖斐線(56)

尻毛~旦ノ島 1995(H7).9.15

ク2320形2325号+モ750形759号です。

ク2325号は元愛電(愛知電気鉄道)の特急車・電7形で1926(大正15)年製造です。
510形が、大正生まれの電車として有名でしたが、この2320形も大正生まれで、510形より約4ヶ月先に製造されたので、この時点では一番古い電車でした。

隣のモ750形759号は、
(初代)名古屋鉄道が1929(昭和4)年に製造。(初代)名古屋鉄道は、翌年美濃電気軌道と合併し、名岐鉄道と社名変更したので、名岐鉄道誕生時の最新車両が750形でした。
なお、名岐と愛電は1935(昭和10)年に合併し、現在の名古屋鉄道になりました。
揖斐線(57)

尻毛~旦ノ島 1996(H8).2.3

上の写真(56)の5ヶ月後で、同じ編成です。
河原に雪が積もり、良い感じでした。
揖斐線(58)

尻毛~旦ノ島 1996(H8).2.3

日当たりの良い築堤の南斜面の雪は溶けましたが、サッカー場は雪に覆われていました。
雪遊びをする子供たちの向こうを770形が走り抜けました。
揖斐線(59)

尻毛~旦ノ島 1996(H8).2.3

築堤の北側から逆光で撮りました。
雪原の中で犬の散歩です。
揖斐線(60)

尻毛~旦ノ島 1996(H8).2.3

雪景色を走る704号+2327号です。
揖斐線(61)

尻毛~旦ノ島 1997(H9).4.13

伊自良川橋梁の一番尻毛方を走る780形です。

この年の4月1日に登場して、まだ2週間足らずの780形です。ピカピカの新車でした。
揖斐線(62)

尻毛~旦ノ島 1997(H9).4.13

780形の10年先輩の770形です。
赤一色でしたが、780形の色の評判が良かったので、同じような色に塗り替えられました。
揖斐線(63)

尻毛~旦ノ島 1997(H9).4.13

築堤を通り過ぎ、間もなく伊自良川橋梁上を走ります。
遙か彼方には、金華山・岐阜城が見えました。
揖斐線(64)

尻毛~旦ノ島 1997(H9).9.20

伊自良川橋梁上を走る510形です。
車内2両目の運転台後ろから撮りました。
揖斐線(64)

尻毛~旦ノ島 2000(H12).9.30

伊自良川橋梁を走る510形三重連です。
510形は5両在籍しましたが、この当時まで3両残っていました。そのうちの512号が引退するので、引退興行で2日間(2000/9/30-10/1)三重連走行が行われました。
揖斐線(65)

尻毛~旦ノ島 2000(H12).9.30

黒野から忠節に向かう列車です。
折角の三重連でしたが、あいにくの天気でした・・・
揖斐線(66)

尻毛~旦ノ島 2000(H12).10.1

上の写真(64・65)の翌日です。前日とは打って変わって良い天気になりました。
あまりの天気の良さに、2日連続で三重連を撮りに行きました。
まずは金華山・岐阜城バックに黒野行き急行です。
揖斐線(67)

尻毛~旦ノ島 2000(H12).10.1

上の写真(66)の続きです。

伊自良川右岸には彼岸花が咲いていました。
揖斐線(68)

尻毛~旦ノ島 2000(H12).10.1

サッカーに夢中な少年たちの向こうを770形が走りました。

510形三重連の撮影の合間に撮りました。
揖斐線(69)

尻毛~旦ノ島 2000(H12).10.1

黒野から忠節に向かう510形三重連です。
天気が良いと撮影にも力が入ります。
揖斐線(70)

尻毛~旦ノ島 2000(H12).10.1

青空を大きく撮り込んだ510形三重連です。

先頭の512号は、この三重連走行のあと運用を離れ、急いで美濃駅へ保存展示のための改造と化粧直しを行い、601号と共に10/25に美濃駅跡へ輸送されました。10/29に「旧美濃駅オープニング式」が盛大に行われ、保存車両内ではバザー・演劇
(このため改造工事で車内の座席を全部撤去)が、駅では朝市が開催されました。
残った2両(513・514号)は、岐阜600V線区が全廃される2005(平成17)年まで活躍しました。

ここに写っている3両は、512号が旧美濃駅
(2015年から1年間は旧黒野駅へ貸出)で、513号が岐阜の金(こがね)公園で、514号が旧谷汲駅で保存されています。
揖斐線(71)

尻毛~旦ノ島 2001(H13).7.1

谷汲線と揖斐線黒野~本揖斐間の廃止3ヶ月前に、750形三重連興業が行われました。
上記の2路線専属で使用されていた3両の750形は、その2路線廃止に伴い全車廃車となりました。

ここに写っている3両は、先頭の755号が旧谷汲駅で、751号が北方町のパン屋さん
(歩絵夢)で、754号が瀬戸の瀬戸蔵ミュージアムで保存されています。
揖斐線忠節~黒野間は、このあと4年間残ったのですが、私がこの付近で撮ったのは、これが最後でした。

伊自良川橋梁は何度も訪問し、夕暮れの写真を多く撮りました。その夕暮れ写真を次頁に掲載します。
  2017(H29).4.25up
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参考図書: 「名古屋鉄道社史」 1961(昭和36)年5月 名古屋鉄道発行
       「写真が語る名鉄80年」 1975(昭和50)年3月 名古屋鉄道発行
       「名古屋鉄道百年史」 1994(平成6)年6月 名古屋鉄道発行