津島軽便堂写真館

名鉄 揖斐線 2   黒野藪川(根尾川)橋梁      揖斐線1  揖斐線3  揖斐線4

揖斐線(21)

 黒野 1981(S56).1上旬

黒野は揖斐線の拠点駅で、谷汲線の分岐駅でした。揖斐谷汲線の全駅と乗務員を管理する黒野幹事区がありました。車庫(黒野検車)もあり、揖斐谷汲線の電車の日常検査はここで行っていました(定期検査は市ノ坪の岐阜工場へ回送)。

雪が積もった黒野駅です。
揖斐方面から乗ってきた晴れ着姿の女性が谷汲山へ初詣に行くようで、3番線の電車へ乗り換えました。

3本のホームに、新岐阜・本揖斐・谷汲行きの電車が並びました。
揖斐線(22)

 黒野 1981(S56).1上旬

赤一色時代の510形が黒野を出発しました。
510形の後ろは520形でした。
揖斐線(23)

 黒野 1981(S56).1上旬

新岐阜行きが出発したあと、本揖斐行きと谷汲行きが続けて出発します。
揖斐線(24)

 黒野 1988(S63).4.12

谷汲行きの3番ホームと車庫です。

この当時の黒野車庫は、手前の検車用建屋(ピット付き)の奧に、修繕用の建屋がありました。

廃止間際には、奧の建屋は解体されていました。
揖斐線(25)

 黒野 1994(H6).1.15

西日を浴びて、谷汲行きが黒野駅を発車しました。
揖斐線(26・27) 黒野 1995(H7).1.15

雪が降った成人の日に谷汲線へ撮影に行きました。
黒野駅で谷汲行きを待って撮りました↑

分岐器の下には融雪用のカンテラが焚かれていました→
手前の画面下の分岐器下にチラッと見える橙色の灯りが、雪割草とも呼ばれるカンテラです。
揖斐線(28)

 黒野 1999(H11).1.10

大雪の日に、また谷汲線へ撮影に出かけ、乗換の待ち時間に撮りました。

この770形連接車は1987(昭和62)年に赤一色で登場しましたが、1997(平成9)年に登場した780形の塗色が好評だったので、同じような白色ベース緑赤に塗り替えられました。
揖斐線(29)

 黒野 1999(H11).1.10

スノープローを付けて雪まみれになった755号が黒野駅に到着します。

この電車に乗って谷汲線の撮影に出かけました。
揖斐線(30)

 黒野 2001(H13).5.5

こどもの日の黒野駅です。

751号が黒野駅に到着しました。
この日も、この電車に乗って谷汲線の撮影に出かけました。



なお、谷汲線と揖斐線の黒野~本揖斐間は、この年(2001/H13)の10月1日に廃止されました。
揖斐線(31)

 黒野 2000(H12).8.13

黒野車庫に憩う780形のLoft全面広告電車です。
この電車の白色部分と黄色部分は塗装でした。これ以降にラッピング技術が進化し、最近の広告電車は全面ラッピングです。
揖斐線(32)

黒野駅跡 2013(H25).6.16

黒野駅は2005(平成17)年4月1日に廃止されましたが、それから7年半後のこの年に「黒野駅レールパーク」として復活しました。
復活記念で、この日イベントが開催されました。

茶色の建物が元黒野駅舎で、その昔は谷汲鉄道の本社でした。
左に黒野駅の2・3番ホームが残っています。
揖斐線(33)

黒野駅跡 2013(H25).6.16

黒野駅舎の2階からホームを眺めました。
黒野駅の2階には、揖斐谷汲線のジオラマを始めとして、各種資料が展示されています。
揖斐線(34) 黒野駅跡 2013(H25).6.16

黒野駅3番線から元駅舎を眺めました。
揖斐線(35) 黒野駅跡 2013(H25).6.16

黒野駅舎は黒野駅ミュージアムとして開放されています。

揖斐線(36)

黒野駅跡 2015(H27).4.4

揖斐線廃止10周年を記念し、512号が2015(平成27)年4月から1年間限定で黒野駅2番ホームに展示されました。

展示されて間もない頃の512号です。美濃駅跡に展示されていた電車を借り受けて、1年間限定で黒野駅跡に展示されました。
この機会に再塗装されましたので、綺麗な車体です。
揖斐線(37)

黒野駅跡 2015(H27).4.4

上の写真の反対側から見た512号です。
512号は、この約1年後に美濃駅跡に返却されました。

今は電車がいない寂しいホームになってしまいました。黒野駅ゆかりのモ401号が岡崎南公園から戻ってくることを密かに願っています。
 →モ401号参照
揖斐線(38) Nさん撮影

相羽~下方 2005(H17).3.27

下方を出発し、相羽に向かう電車の後ろ姿です。

廃止間際に、この電車で下方に到着しこの写真を撮ったあと、通ってきたばかりの藪川(根尾川)鉄橋に向かいました。
揖斐線(39)

下方~政田 1994(H6).1.15

藪川の鉄橋を渡る赤一色時代770形です。

根尾川の大野町以南は藪川と呼ばれていましたが、現在は根尾川で統一されたようです。この少し下流で揖斐川と合流します。
揖斐線(40) Nさん撮影

下方~政田 2005(H17).3.27

藪川(根尾川)の鉄橋です。
13スパンの長い鉄橋でした。廃止間際にNさんと一緒に撮りに行きました。

左隅に写っているのが下方駅です。堤防の上にありました。
揖斐線(41)

下方~政田 2005(H17).3.27

隣の道路橋から見た藪川(根尾川)鉄橋です。かろうじて13スパン写っていました。
揖斐線(42)

下方~政田 2005(H17).3.27

河原に降りて780形を撮りました。
水温む春ですが・・・
この鉄橋の上を電車が走るのは、あと4日限りでした。
揖斐線(43)

下方~政田 2005(H17).3.27

藪川(根尾川)の左岸堤防に向けて坂を上ってくる黒野行きを撮りました。



この次の頁は、美濃北方駅から東側です。
 2017(H29).4.15up
津島軽便堂Topページへ戻る   廃止間近の谷汲線へ    揖斐線1 揖斐線3 揖斐線4  次の頁(揖斐線3)

参考図書: 「名古屋鉄道社史」 1961(昭和36)年5月 名古屋鉄道発行
       「写真が語る名鉄80年」 1975(昭和50)年3月 名古屋鉄道発行
       「名古屋鉄道百年史」 1994(平成6)年6月 名古屋鉄道発行