津島軽便堂写真館

名鉄岐阜市内線 5 岐阜工場(市ノ坪)    岐阜市内線1  岐阜2  岐阜3  岐阜4

岐阜市内線(89)

新岐阜駅前 2005(H17).3.31

最終日の新岐阜駅前です。
朝のラッシュ時限定運用の570形が、パスに挟まれながら新岐阜駅前へ到着しました。

岐阜市内線の最終日は、早起きして新岐阜駅前へ行きました。
岐阜市内線(90)

市ノ坪(岐阜工場) 2005(H17).3.31

新岐阜駅前で撮ったあと、美濃町線電車に乗って、市ノ坪へ行きました。

岐阜工場
(注:当時の名称は岐阜検車区だったと思いますが、岐阜工場と呼ばれた時代が長く、その方が馴染みがありますので、あえて岐阜工場と記します)の責任者と打ち合わせをした後、留置線で撮りました。

朝ラッシュの運用を終え、最後まで残った570形3両が留置線の奥にいました。
岐阜市内線(91)

市ノ坪(岐阜工場) 2005(H17).3.31

上の写真(90)の逆方向から見ました。
一番上の(89)に写っている571号は、574号と572号に挟まれていたようです。
岐阜市内線(92)

市ノ坪(岐阜工場) 2005(H17).3.31

人気者の510形もいました。
美しいですね!

513・514号の2両とも、このあと保存されましたが、架線の下でパンタを上げている最後の写真です。
↑岐阜工場の線路配置です。 岐阜600V線区が全廃になった日(H17.4.1) から、600Vの電車線に電気が送電されません。
岐阜には比較的新しい路面電車がたくさんいたので、最後の在籍車両41両中、30両が現役車両として他社で活躍することになりました(他に3両+αが保存展示されましたが…)。それをクレーンで吊り上げて順番に送り出すためには、入換が必要です。しかし600Vが切られてしまうと手押し入換しかできません! 最終日(電気があるうち)に送り出しやすいように電車を配置する必要があります。ということで、営業終了後の車両配置案を作りました(上図)。この案をベースに配置してもらうよう、岐阜工場の責任者にお願いし、当日の夜は、私も入庫車両をチェックしながら、どこへ留置するか指示を出し、最終電車が戻ってくるまで見届けました。(この図通りにはなりませんでしたが…)
この日は、私が永年勤めていた名鉄住商工業も最終日で、この日限りで会社が解散してしまいました(翌日から出向元の名鉄へ戻りました)。私は名鉄住商で他社工事を担当していたため、豊橋鉄道・福井鉄道・土佐電鉄の窓口になり、譲渡車両の改造内容や搬出日などの打ち合わせをしました。豊橋鉄道からは、801号と781号を最初に送ってほしいといわれたので、その2両は車号指定で一番運び出しやすい位置に配置しました。福井鉄道へ譲渡する770形・880形・800形は、岐阜工場で改造してから送り出すので、作業場近くに配置しました。改造工事のため、工場設備と200V・100V電源は廃止後もしばらく残してほしいという要望書も出しました。  (名鉄住商工業は、名鉄の車両部門の子会社で、名鉄の車両工場や検車区で働いていた車両現場の人達は、ほぼ全員が名鉄住商の人でした。名鉄の車両整備だけでなく、中部地方の私鉄の車両整備や改造工事を行いました)

岐阜市内線(93)

市ノ坪(岐阜工場) 1997(H9).12.15

岐阜工場のトラバーサの上に乗った福井鉄道601号です。
岐阜工場の事務所から見ました。遙か彼方には岐阜城も見えました。

名古屋地下鉄名港工場から廃車となった名城線1100形1111号と1112号を岐阜工場へ陸送し、1111号の中間扉を埋め連結部寄りを切り取り、1112号の運転台を切り継いで両運転台化改造し、ニコイチの福井鉄道601号が完成しました。
軌間が異なるため、台車(+モータ)は豊橋鉄道で廃車となった1900系から譲り受けました。この台車(DT21)は、元国鉄101系の廃車発生品を豊鉄が譲り受けたもので、再々度の利用でした。パンタ、クーラー及びその電源装置(SIV)も豊鉄1900系からの譲渡品です。
岐阜市内線(94)

市ノ坪(岐阜工場) 1998(H10).10.28

上の写真(93)の1年後です。
この年は、名古屋地下鉄1201号と1202号を切り継いで福井鉄道602号を完成させました。
同じ600Vですから、岐阜工場内で構内試運転も行いました。

この翌年にも名古屋地下鉄1200形を改造し、2両編成の福井鉄道610形を完成させました。
岐阜市内線(95)

市ノ坪(岐阜工場) 2003(H15).6.5

谷汲線と揖斐線・黒野~本揖斐が2001(平成13)年に廃止になったあと、750形が3両廃車になりました。
まず、755号を谷汲駅跡へ送ったあと751号を揖斐線沿線の美濃北方駅近くのパン屋さんへ輸送しました。電車の色は、パン屋さんの好みでパステル調に塗り替えました。
左には、瀬戸蔵へ保存される754号が待機しています。
岐阜市内線(96)

市ノ坪(岐阜工場) 2004(H16).1.28

3両目の750形は、754号を瀬戸電時代の姿に復元し、尾張瀬戸駅前の瀬戸蔵に保存することになりました。
瀬戸市の担当者のこだわりで、瀬戸電時代の緑色に塗り替え、ゴツゴツのリベットも復元し、車内灯も蛍光灯からグローブの白熱灯
に変えました。
ヘッドライトもシールドビーム化されたものから元の白熱灯式に戻しています。さすがに窓枠のアルミサッシを木枠に戻すことはあきらめ、塗装でカバーしました。
岐阜市内線(97)

市ノ坪(岐阜工場) 2004(H16).1.28

瀬戸電時代の姿に復元された754号ですが、保存展示される瀬戸蔵のスペースに合わせ、全体の6割ぐらいの長さにカットしました。


この750形は、1928(昭和3)年に製造された電車です。前年に製造された同タイプの700形と共に計20両(各10両)が、昭和初期の旧・名鉄の代表車両でした。一宮線・犬山線・津島線から押切町へ、更には市内線に乗り入れて柳橋まで走った最後の新造車です。1932(昭和7)年には同僚の755・756号が、半室畳敷きに改造されて、柳橋→押切町→鵜沼→下呂! 鵜沼から高山線の蒸機に牽引され下呂まで直通運転されました。名鉄初の高山線乗り入れで、特急「北アルプス」号の元祖です。また、日本初のお座敷列車でした。
岐阜市内線(98)

市ノ坪(岐阜工場) 2004(H16).9.26

岐阜600V線区全線廃止の半年前です。
3色の電車が岐阜工場奥の留置線に並びました。
中央の590形は、美濃町線用の電車でしたが、その昔は岐阜市内線でも使われていました。
岐阜市内線(99)

市ノ坪(岐阜工場) 2005(H17).3.22

岐阜600V線区全線廃止の10日くらい前です。
検車建屋の屋根上点検足場から撮りました。
右が市ノ坪駅で、向こう側が田神駅です。
岐阜市内線(100)

市ノ坪(岐阜工場) 2005(H17).4.25

岐阜600V線区全線廃止から1ヶ月近く経過しました。

上の写真(99)と同じ場所から見ています。第2の職場へ送られる電車が所狭しと並んでいました。
岐阜市内線(101)

市ノ坪(岐阜工場) 2005(H17).4.25

動かなくなって1ヶ月近く経った岐阜工場です。
この写真に写っている電車は、現在も全て第2の職場で頑張っています。
岐阜市内線(102)

市ノ坪(岐阜工場) 2005(H17).4.25

留置線の奥から検車建屋の方を見ました。
右の最古参の510形は、このあと岐阜の金公園と谷汲駅跡へ保存展示されました。
左の最新型780形は、このあと豊橋へ輸送され、現在も大活躍しています。
岐阜市内線(103)

市ノ坪(岐阜工場) 2005(H17).4.25

800形801号が吊り上げられ、豊橋へ輸送されます。

私は、3月末まで他社鉄道担当で、4月からは担当を外れてしまいましたが、この日は豊橋鉄道へ初輸送だったので、仕事を抜け出し、様子を見に来ました。
岐阜市内線(104)

市ノ坪(岐阜工場) 2005(H17).4.25

801号のあとは、781号を吊り上げました。
岐阜市内線(105)

市ノ坪(岐阜工場) 2005(H17).4.25

781号をトレーラーに乗せました。
この夜に豊橋へ輸送されました。

名鉄の岐阜600V線区が全廃され、寂しい限りですが、その残党30両が現在も他社で活躍していることが、せめてもの救いです。

岐阜工場では、福井鉄道向け車両改造や天竜浜名湖鉄道向けトロッコ客車の製作、明治村客車の車体更新などの工事を行い、仕事で何度も訪ねた懐かしい場所ですが、このあと、ここを訪問していません。
岐阜工場は知らぬ間に更地になり、その後はパチンコ店になりました。
岐阜の電車については、名鉄資料館の
廃止から10年・岐阜の電車
 をぜひご覧ください。
  貴重な画像が満載です。
津島軽便堂Topページへ戻る   岐阜市内線1 岐阜市内線2 岐阜市内線3 岐阜市内線4   2016(H28).1.27up

参考図書:
  「路面電車と街並み 岐阜・岡崎・豊橋」 日本路面電車同好会・名古屋支部編著 トンボ出版 1999(H11).6.10発行
  「世界の鉄道'73」朝日新聞社1972(S47).10.14発行