津島軽便堂写真館

名鉄岐阜市内線 2  公園前~徹明町   岐阜市内線1   岐阜3 岐阜4 岐阜5

岐阜市内線(21) Nさん撮影

 公園前 1977(S52).9.18

558号の流し撮りです。
この写真は、たぶん公園前電停の南東角から撮ったと思われます。
岐阜市内線(22)

材木町~公園前 1972(S47).5


材木町を出た電車は、写真手前の急カーブを曲がり、公園前に向かいました。
写真奥の急カーブの手前が、公園前電停です。
岐阜市内線(23)  Nさん撮影

材木町~公園前 1977(S52).9.18


電車のいる位置は上の(22)とほぼ同じですが、反対方向から撮りました。

電車の後ろの突き当たりを、左に曲がったところが材木町電停です。
↑岐阜市内線(24) 材木町~公園前 1977(S52).9.18 Nさん撮影

556号が急カーブを曲がり材木町に向かいました。上の写真(22)を撮った場所から直角に右を見た写真です。
岐阜市内線(25) 材木町~公園前 1977(S52).9.18 Sさん撮影

材木町電停を見ています。
安全地帯がないので安心して乗降できません。
急カーブではレールの側面に油を塗らないと、車輪のフランジが直摩耗するので、塗油は必要不可欠な作業です。
でも危険作業です!
岐阜市内線(26) 材木町 1988(S63).5.29

材木町付近も、市内電車がなくなるまで古い街並みが残っていました。
岐阜市内線(27)

 材木町 1972(S47).5


材木町電停に停車中です。
写真奥の交差点から、公園前の交差点まで車は一方通行になっていて、電車だけが両方向へ走っていました。
岐阜市内線(28) Sさん撮影

 材木町 1975(S50).4

上の写真(27)の逆方向から見ています。新岐阜行きの電車です。
花電車を夜景で撮りました。

撮影4月となっていますので、信長まつり(10月)ではなく、岐阜まつり?の花電車でしょうか。

我々の年代で、花電車といえば、専用の電車を装飾し、お客が乗れない電車(名古屋市電等)でした。 →はなぶさ花電車
それ故、見せるだけで「お客を乗せない花電車」という言葉が生まれたと先輩に聞きました…学生時代の想い出です!
この花電車!?は、お客を乗せていますので装飾電車という表現が適切かもしれませんが…
岐阜市内線(29)

 材木町
 1988(S63).5.29

材木町電停から和服女性が乗り込みます。柳ヶ瀬あたりに向かうのでしょうか?
安全地帯がなく、車道に白線を引いただけなので段差が大きく、乗り込むのに苦労しています…(乗り込んだ後の段差も大きいですが!)
岐阜市内線(30) Sさん撮影

 材木町 1975(S50).2

蔵の街並みと雪景色です。
岐阜市内線(31) Sさん撮影

本町~材木町 1976(S51).4

まつりの山車と電車がすれ違いました。
好天に恵まれ、絶好のお祭り日和でした。
古い街並み、祭りの山車行列、急カーブを曲がる電車…これ以上ない素晴らしい光景でした。
岐阜市内線(32) Sさん撮影

本町~材木町 1974(S49).2

上の写真(31)と同じ急カーブです。
電車のすれ違いシーンのように見えますが、2両とも同じレールの上にいて本町に向かっています。珍しい続行運転ですね。雪でダイヤが乱れたのでしょうか?
岐阜市内線(33) Sさん撮影

本町~材木町 1974(S49).2

急カーブを曲がる557号です。
上の写真(32)の右奥の本町方向から見た写真です。
従って、この写真の左先が材木町電停です。
岐阜市内線(35)

 本町 1988(S63).5.29

本町を走る551号です。

日本全国の都市に本町があり、昔はそこが町の中心地でした。
岐阜の本町も、昔は町の中心だったと思いますが、この写真の頃は寂しい歯抜けの街並みでした…

すぐ下の写真(36)と見比べると、背景の山の形が同じなので、同じ場所で撮った写真だとわかります。
岐阜市内線(36)

明治44年、本町開通時の絵葉書

   名鉄資料館所蔵

1911(明治44)年10月7日に、今小町~本町間が延長開通しました。

美濃電軌第一期の駅前~今小町間の開通(1911/M44.2.11)の8ヶ月後に第二期開通を迎えたわけです。
そのときに制作された絵葉書です。

この区間は、開通からちょうど77年後に廃止されたことになります。
岐阜市内線(37) Sさん撮影

伊奈波通~本町 1975(S50).2

この日は大雪で、電車が立ち往生してしまいました。
Sさん通学途中の出来事です。まだ真面目な大学一年生だったので、授業に遅れないよう先を急ぎました。従ってどのように復旧したかわかりません。最期まで見届けなかったことを後悔しているそうです…
岐阜市内線(38) Nさん撮影

伊奈波通~本町 1977(S52).9.18

上の写真(37)と同じ急カーブです。
556号が岐阜駅に向かいます。
岐阜市内線(39)

伊奈波通~本町 1988(S63).5.29

これも、上の(37・38)と同じ急カーブです。
花電車!?が通りました。
岐阜城も見えました。
岐阜市内線(40) Sさん撮影

 伊奈波通 1974(S49).8

岐阜の花火大会です。
毎年7月の最終土曜日と、8月の第1土曜日に長良川畔で開催されます。
今は、各地で夏場に花火大会が開催されますが、岐阜の花火には歴史があります。

花火大会の夜、電車は伊奈波通で折り返し運転でした。
この電停から長良川畔までは数百米と近いのです。花火大会終了後は、電車もバスも大混雑しました。
(行列して乗るのを待つより歩いて新岐阜駅まで出た方が早い…伊奈波通~新岐阜間は2.1kmで30分あれば歩けます…)
岐阜市内線(41)

 伊奈波通 1988(S63).5.29

廃止が迫った頃で、車内はお名残乗車で混雑していました。普段からこれくらい乗っていれば廃止にならなかっただろうに…

伊奈波通電停の近くにある伊奈波神社は、岐阜市一番の神社で、岐阜市民が初詣に行く神社です。
岐阜市内線(42)

 徹明町 1988(S63).5.29

花電車!?が徹明町の電停に到着しました。
よく見ると、電停にお客さんが待っています。安全地帯のない道路の真ん中にぽつんと立って、徐行も一旦停止もしない車の風圧を感じるのは勇気のいることです。一般の人は、怖くてなかなか電車に乗れなかったと思います。
市内電車廃止の一因が感じられる写真だと思いますが、いかがでしょう…

県警は、車の運転手が安全地帯にぶつかると危険だという理由で安全地帯設置を認めなかったということを聞きましたが、乗客の危険を考慮していなかったのでしょうか?
岐阜市内線(43)

 徹明町 1988(S63).5.29

上の写真(42)の続きです。
花電車!?は、徹明町交差点の平面交差を渡り、柳ヶ瀬・長良北町へ向かいました。

左端「夏はC」の看板の女性が気になります。トップアイドル時代の浅香 唯です!
2015(H27).12.8up
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参考図書:
  「路面電車と街並み
岐阜・岡崎・豊橋」 日本路面電車同好会・名古屋支部編著 トンボ出版 1999(H11).6.10発行
  「世界の鉄道'73」朝日新聞社1972(S47).10.14発行