津島軽便堂写真館

名鉄岐阜市内線 3 岐阜駅前~新岐阜駅前  岐阜市内線1  岐阜2    岐阜4 岐阜5

昭和23年・岐阜  国土地理院の航空写真1948(S23).3.27撮影  USA-R1186-56

名鉄新岐阜駅は1948(昭和23)年4月に現在地へ移転しました。この写真は、その直前に撮られたものです。新旧の新岐阜駅が写っています。
旧・新岐阜駅は国鉄岐阜駅のすぐ横にあり、線路も国鉄に平行でした。笠松方面から来た名鉄電車は国鉄線を跨線橋で越し、急曲線&急勾配で地上にあった新岐阜へ下っていました。この路線は美濃電気軌道の笠松線として、市内線より遅れて1914(大正3)年に開通しました。開通当初は市内線と同じ電車が走っていました。
長住町駅は各務原鉄道の駅として1928(昭和3)年に開業しました。昭和23年に、移転してきた新岐阜駅に統合され、各務原線の新岐阜駅となりました。
岐阜地区の電車基地・岐阜工場は、1967(昭和42)年に市ノ坪へ移転するまで、長住町にありました。
昭和50年・岐阜  国土地理院の航空写真1975(S50).11.10撮影 CCB7527-C11B-17

左の写真の27年後です。この写真↑の時代が、私にとっては一番馴染みのある新岐阜駅風景です。(左の写真の時代には、私はまだ生まれていません!)
この頁の写真は、ほとんどがこの時代に撮った写真です。
この写真から40年以上経過しました。国鉄線は1987(昭和62)年にJR線となり、1992~96(平成4~8)年に高架化されました。赤線で記した岐阜市内線は2005(平成17)年4月1日に廃止されました。同年1月に新岐阜駅は名鉄岐阜駅と改称されました。
なお、国鉄を跨ぐ名鉄の跨線橋は、1914(大正3)年の開通当時のものが補強されそのまま使用されています。左右の写真を見比べると、隣の道路橋が線路の東から西へ移動し、拡幅されました。1992(平成4)年以降、JR線が高架化され名鉄線の上を通るようになりましたが、名鉄の跨線橋はそのまま残り、開通時の名残を留めています。
岐阜市内線(44)

 岐阜駅前 1969(S44).12

岐阜市内線の3回目以降は、岐阜駅前→徹明町→忠節の写真を掲載します。

岐阜駅前から本揖斐への直通電車は1967(昭和42)年の12月から始まりました。それを機に510・520形は写真のような赤白塗装になりました。この写真は、直通運転開始2年後です。
直通電車が始まった頃、岐阜駅前~忠節の市内線は連結運転が認められず、510形・520形が続行運転で走り、忠節で連結し、揖斐線は2両連結で走っていました。

市内線の中で、岐阜駅前の電停だけは立派な安全地帯がありました。
岐阜市内線(45) Nさん撮影

 岐阜駅前 1997(H9).7.6

上の写真(44)の28年後です。
1987(昭和62)年に登場した770形が岐阜駅前に停車中です。
老朽化した510形+520形の揖斐線直通急行を置き換えるための連接車で、4編成8両製造されました。
岐阜市内線初の冷房車でした。
岐阜市内線廃止後は、全車福井鉄道へ譲渡され活躍しています。

駅前電停は1本に減らされ、安全地帯が広くなりました。喫煙所も設置されていましたが、右の方に写っている角が丸いビルはそのまま残っていました。
岐阜市内線(46)

岐阜~新岐阜駅前 1969(S44).12

再び28年前に戻ります。
岐阜駅前~新岐阜駅前のカーブを揖斐線直通急行が通り過ぎました。


510形は、美濃電軌時代の1926(大正15)年に製造されました。当初は鉄道線の笠松線(後の名古屋本線)で使用され、その後は美濃町線の主力として活躍、1967(昭和42)年から始まった岐阜市内線と揖斐線の直通運転用に520形と共に抜擢?され、晩年は「大正生まれの丸窓電車」として絶大な人気を集めました。
2005(平成17)年の600V線区全廃まで2両が残りました。
詳細は
Wikipedia美濃電軌セミボ510形参照
岐阜市内線(47) Nさん撮影

岐阜~新岐阜駅前 1996(H8).4.13


新岐阜駅前から岐阜駅間に向かってカーブを曲がる510形2連です。

770形の登場により、510形の直通急行は1987(昭和62)年以降激減し、希少価値になりました。
岐阜市内線(48)

 新岐阜駅前 1974(S49).10.8

雨の日の新岐阜駅前です。
1967(昭和42)年に金沢から来た電車が、すっかり岐阜の町に馴染んでいました。
岐阜市内線(49) Nさん撮影

 新岐阜駅前 1974(S49).10.8

モ560形です。
北陸鉄道金沢市内線のモハ2200形で、6両全車が岐阜へやってきました。
詳細は→Wikipediaモハ2200形
岐阜市内線(50)

 新岐阜駅前 1984(S59).1.27

雪の日のモ570形です。
570形は、都電6000形のコピー車両で、写真の573号は、1950(昭和25)年に帝國車輌で製造されました。

570形は、岐阜市内線の全線廃止(2005/平成17年)まで3両が残りましたが、573号は一足先に廃車されました。
詳細は→Wikipediaモ570形
岐阜市内線(51)

 新岐阜駅前 1985(S60).8.12

土砂降りの新岐阜駅前です。
赤一色時代の510形+520形です。


520形は赤一色のまま廃車になりましたが、510形は鉄道友の会からエバーグリーン賞を1987(昭和62)年に受賞、それを記念し、残った3両(512~514)が赤白塗装に戻されました。
岐阜市内線(52)

 新岐阜駅前 1985(S60).8.12

同じく雨の日の560形と550形です。


背景には証券会社の看板がたくさん写っていて、このあたりが岐阜の金融街だったことが分かります。
岐阜市内線(53)

 新岐阜駅前 2000(H12).8.13

新岐阜駅前に並んだ770形です。
1987(昭和62)年に赤一色で登場した連接車770形ですが、1997(平成9)年に780形が新塗色で登場し、その色が好評だったので770型も同じ色に変更されました。


上の写真(51)の15年後でしたが、証券会社の看板は相変わらずたくさんありました。山一証券は倒産し、つばさ証券の看板に変わっていました。
岐阜市内線(54)

 新岐阜駅前 2005(H17).3.20

全線廃止が迫った頃、510形の団体列車が運転されました。
その後ろに780形が停車中で、最古参の510形(1926/大正15年製)と最新鋭の780形(1997/平成9年製)が並びました。年齢差71歳です。


名鉄の新岐阜駅は、この2ヶ月前・空港線開業の2005(平成17)年1月19日に「名鉄岐阜」駅と改称されましたが、市内線の方は廃止まで「新岐阜駅前」でした。
手前の513号は、廃止後この近くの金
(こがね)公園に保存され、その向こうの514号は谷汲駅跡に保存されました。
岐阜市内線(55)

 新岐阜駅前 2005(H17).3.20

1997~98(平成9~10)年に7両が製造されたモ780形です。
10年も経たずに岐阜での役目を終わろうとしていました。全面窓下にシールが貼ってあります。書いてある文字を読むと↓
 「 永年のご愛顧誠に 
  ありがとうございました 」
モ780形は、名鉄の路面電車で初のVVVFインバータ制御車でした。
岐阜市内線廃止後は、全7両が豊橋鉄道へ譲渡され、豊橋市内線の主力として活躍中です。

上の写真(54)の3両が通り過ぎたところで振り返って撮りました。岐阜駅前~新岐阜駅前間は平成15年12月から休止されていましたので、電車は全てここで折り返しました。背景は高架化されたJR岐阜駅です。
岐阜市内線(56)

 新岐阜駅前 1977(S52).1

雪の日で、係員が新岐阜駅前電停に常駐し、竹ぼうきで運転台窓の雪を払っていました。
岐阜市内線(57)

 新岐阜駅前 1977(S52).1

524+513の揖斐線直通急行です。
市内線でも連結運転が認可され、2両連結で走りました。
この当時は、赤白塗装でも細帯と金太郎塗りのない簡易塗り分けでした。

520形は美濃電軌により1923(大正12)年に製造されました。美濃電時代はDB505形505~510号でした。人気の丸窓電車510形511~515号の3年先輩になります。
1930(昭和5)年に美濃電は名鉄と合併(名鉄は名岐鉄道と社名変更)し、DB505形はモ520形521~526号となりました。木造車で丸窓電車でしたが外回りに鉄板を張り付け、丸窓もなくなりました…
520形は、770形登場により1987(昭和62)年から翌年にかけて全廃されました。
岐阜市内線(58)

 新岐阜駅前 1984(S59).12.2

夜の新岐阜駅前です。
この日は、岐阜グランドホテルで忘年会があったので、市内線で鵜飼屋電停まで乗りました。その前に新岐阜駅前で撮りました。
岐阜市内線(59)

 新岐阜駅前 1974(S49).10.8

雨の日の新岐阜駅前です。
岐阜市内線(60) Nさん撮影

 新岐阜駅前 1974(S49).10.8

雨の新岐阜駅前で、510形と550形が並びました。

左手前に延びる線路は、1967(昭和42)年まで長住町にあった岐阜工場への入出庫線でしたが、この当時は各務原線の新岐阜駅につながる線路だけが残され、ラッシュを輸送終えた市内電車の留置線として使われていました。1988(昭和63)年、長良北町~徹明町の廃止により、この引込線も撤去されたようです。
岐阜市内線(61) Nさん撮影

 新岐阜駅前 1974(S49).10.8

513号から傘を差したおばさんたちが大勢降りてきました。
直通急行には大勢のお客さんが乗っていました。
岐阜市内線(62)

 新岐阜駅前 1974(S49).10.8

赤ん坊を負んぶし、幼子を抱っこした逞しいお母さんが電車の前を横断しました!
岐阜市内線(63)

 新岐阜駅前 2005(H17).3.27

廃止直前の新岐阜駅前です。
770形が出発しました。
背景の新岐阜百貨店は、1957(昭和32)年に開店し、この年(2005/平成17年)の年末に閉店しました。
そしてビルは解体され、なくなってしまいました。
岐阜市内線(64)

新岐阜駅前 2000(H12).8.13

私が見た岐阜市内線初の全面広告車でした。
新岐阜駅前に出来たロフトの広告電車です。
この当時は、まだ全面ラッピングの技術が確立されておらず、白と黄色の部分は塗装です。その上に、ロフトで売っているグッズのシールが貼り付けてありました。
岐阜市内線(65)

新岐阜駅前~金宝町 1977(S52).1


雪の日の新岐阜駅前から金宝町方面を眺めました。
岐阜市内線(66)

新岐阜駅前~金宝町 1977(S52).1


岐阜の繁華街・神田町通りから新岐阜駅前方面を眺めました。
 2015(H27).12.29up
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参考図書:
  「路面電車と街並み 岐阜・岡崎・豊橋」 日本路面電車同好会・名古屋支部編著 トンボ出版 1999(H11).6.10発行
  「世界の鉄道'73」朝日新聞社1972(S47).10.14発行

  「鉄道ピクトリアルNo.816・名鉄特集」-岐阜駅から見た名鉄の印象-渡利正彦著 2009(H21).3月臨時増刊号