津軽鉄道(混合列車が走っていた頃) 2/4               津軽1へ       津軽3へ   津軽4へ

津軽鉄道 1-I

 大沢内 1972(S47).3.19

大沢内駅です。

貨物側線が1本だけある単純な線路配置ですが、昔は交換可能駅であった面影が残っていました。

写真の向こう側が津軽中里方です。

津軽鉄道 1-J

 大沢内 1972(S47).3.19

駅の横にあった防雪柵を入れて撮りました。
防雪柵の風下側に吹きだまりを作り、線路に積もる雪を少なくする構造になっています。

やってきた列車は、後ろに貨車1両つないだ混合列車です。
混合列車ファンの私は大喜びで撮りました。
津軽鉄道 1-K

 大沢内 1972(S47).3.19

混合列車が大沢内に到着しました。

あとで分かったことですが、後ろにつないでいる貨車は社有貨車で、小荷物運搬用でした。そのため、途中駅で切り放すことなく、五所川原から津軽中里まで毎日1往復していました。
津軽鉄道 1-L

 大沢内 1972(S47).3.19

混合列車は、貨車がパラパラと良い感じに留置してある大沢内を出発しました。

津軽鉄道 1-M

 大沢内 1972(S47).3.19

大沢内を出発した混合列車の後ろ姿です。
終点の津軽中里まであと少しです。
1-N 大沢内 1972(S47).3.19

 貨物側線で、荷扱いの終わった貨車を3人力で小移動しています。
1-O 大沢内 1972(S47).3.19
 津軽中里方面から五所川原行きの列車が到着します。
 この列車は上のJ〜Mの折返しで、後ろに貨車を連結していました。
 この列車に乗り、五所川原に向かいました。
1-P 金木 1972(S47).3.19
 金木で交換待ちのため小休止です。
 ディーゼルカーの後ろの社有貨車に荷物を積み込んでいます。
1-Q 金木 1972(S47).3.19
 土木係員が枕木のようなものを積んだトロッコを押してきて待機しています。列車が出発したあと、線路を転がして側線に運ぶのでしょう。 
津軽鉄道 1-R

 金木 1972(S47).3.19

津軽中里行きが出発しました。
駅長が直立不動で見送ります。

右に停まっている五所川原行き混合列車も間もなく出発します。
大きな荷物を抱えたおばさんが乗り込もうと急いでいます。

金木停車中にP〜Rを撮って、再びこの列車に乗り込み五所川原に向かいました。
津軽鉄道 1-S

津軽五所川原 1972(S47).3.19

五所川原に留置してあったオハ31形客車です。ダブルルーフの客車で、屋根上には石炭ストーブ用の煙突がついています。

この客車は、朝の通勤通学用列車に使用されていましたが、このときの訪問では走っている姿を見ることができませんでした。



このオハ31形のうち1両が、現在は国鉄時代の姿に復元されて、大宮の鉄道博物館に保存展示されています。
津軽鉄道 1-(21)

津軽五所川原 1972(S47).3.19

上の写真Sオハ31形の車内です。
肝心なダルマストーブは写っていませんが、煙突のおかげでストーブ付き客車であることが分かります。
津軽鉄道 1-(22・23) 津軽五所川原 1972(S47).3.19   車庫には、私好みの気動車2403号がいましたが、もう使われていませんでした。
 これで1回目の津軽鉄道訪問を終えました。 そして翌年の同じ頃に津軽鉄道を再訪しました。
 その写真は次ページ以降です。 津軽富士「お岩木やま」をバックにした写真もありますので、ぜひご覧ください。
 Top頁(Home)へ  津軽鉄道の最初へ戻る  次(津軽鉄道3)へ